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大事なのはそこじゃない

昨日ふと思った。
発達障害か発達障害じゃないか。
病気か病気じゃないか。
大事なの多分そこじゃないよな。

例えば足の曲がった人がいるとして🦵
『自分の足はどんなふうに曲がっているのか』
『いつから曲がっていたのか』
『あの人も実は曲がっているのではないか』
『足が曲がってない人にどう思われるのか』
『早く走れないのも足が曲がってるせいかな』
『足が曲がってない人はどんな暮らしなんだろう』
『足が曲がってない人生だったらな』
こういうことばかり考えていても幸せにはなれなさそうだ。

そんなために学んできたんじゃなくて。
そういう特性や自分と他人との違いを知った上で、じゃあ自分はどう生きるか、とか、どう人と関わっていくのか、のヒントを知りたいから色々と情報を集めているのだと思う。

上の例で言うと
『足の形に合わせてこういう服を着よう』とか
『早く走れないから早めに家を出よう』とか
そういう発想や行動力を持ちたくて。
思考はそのための通過点でしかないんだ。

気をつけなきゃいけないのは、それはただ
『自分らしく生きればいいよ!』ということではなかったりするってことなんだろうな。

特性だから治らないんだろうけど、それで変に悲観的になったり、世の中に対して傲慢になるんじゃなく。
何か困ったことがあった場合には、そこに自分の特性がどう関係しているのか(関係していないこともあると思う)を分析して冷静に対応する。無理をして周りに合わせるんじゃなくて、"調整"をする。
そんな感じでうまく補正をかけながら前に進めたらなぁと思う。

足の例だと当たり前な感じがするのに、その対象が『脳(心)』だとすごく分かりづらくなってしまうのが不思議。

感情と論理はどっちも大事
自分も他人もどっちも大事
でも全部を抱えることはできないから、その辺のバランスを考えて発言や行動できることが、結局周囲や自分を含めたヒトの気持ちを大切にしている、ということにつながるんだろうなと思う。

すごく当たり前のことなんだけど。こうやって言葉にしないとまた白黒思考の悪い癖が出てきちゃうから。(前にも似たようなこと書いた気もする、、)

ヒトの気持ちを大切にして生きていけたらいいなぁと思う。


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