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ショートショート『夏の大三角』

夜空に浮かぶ三角形を手にとる。

星座を空から引っ張り出すことができると気がついたのはいつの事だろうか。地上におろした星座が目に見えるのは自分だけのようで、子供の頃には家族や仲良くなった子の何人かに勇気を出して伝えてみたこともあったが「見えない」と言われる上におかしな奴扱いされて嫌になり、いつしか言うのをやめた。

都会では中々目にすることができないが星座は約90種類ある。その一覧を片手に満点の星空の片端から星座を引き出したこともあった。ケンタウルスを初めて目の当たりにしたときは感動したし、子熊は可愛くて添い寝をした。しかし多くは知らないギリシャ人で、地上によんでみても話すことがない。獅子や蠍は襲ってくる事こそないが、やはり落ち着かなかった。そもそも自分が住んでいる街から星が綺麗に見える場所まで車で2時間はかかる。

ただ星座といると説明のできない不思議な安堵感があった。

そのうちに空虚な気分の日には大抵、都会であっても目にすることができる星座を手にとり夜を凌ぐスタイルに落ち着いた。夏なら専ら手軽な三角形を夜空から抜き取り出す。

ある7月の夜、近所の公園でお気に入りの石のベンチに寝そべりながら三角形を弄んでいた。夜空には三角型の穴がぽっかりと空いている。もう時刻も遅いが、バスケットコートを併設したこの公園では複数の子供達がボールを投げて遊んでいた。家族は心配しないものだろうか。

彼ら位の歳の頃、算数の授業で三角定規を使いはじめ、ついにこの三角型の星座の使い道がわかったと思った。夏休みの宿題なら夜にできる。意気揚々とノートに夏の夜空から取り出した三角をのせてみて、使いようがないことにすぐ気がついた。直角三角形でもなければ二等辺三角形でもない。しばらくただの定規代わりにして、結局この活用方法は諦めた。

「すみません」

バスケをしていたであろう少年の一人が話しかけてきていた。

「すみません、それちょっと見せてもらってもいいですか。」

少し怒ったような口調の彼にはこの三角形が見えていた。いつの間にか星座を自分一人のものと思い込んでいた自分は、慌てて少年に三角を差し出す。

「あ、ごめん。 −なにか探しているの?」

渡した三角形を、何かを探すように熱心に覗き込んでいた少年はこちらの質問に短く答える。

「お母さん」

そのまましばらく少年は三角形を見つめたあと満足した様子でこちらへ返してきた。

「明日もここにいますか?」


三角を毎晩のように手放せなくなった時期が自分にもあった。ただいつも通り安堵感を求めるだけでない、何か。丁度とても趣味の合う友人の一人が自ら命を絶ち、この世を去った直後からのことだった。

こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ。三角を構成する3点の星の間には目を凝らせばさらに無数の星が光輝いている。

それからは双方都合のつく夏の大三角が見える日には会い、夜空から抜き出した三角形を少年に手渡した。彼はそれをただ眺めるだけのような日もあったが、大抵はコートでボールを投げる合間に見るか、隣にぽんと置いてスマホでゲームをしながらちらりと覗くぐらいだった。

「病院でも、たまにお父さんが仕事とかで行けない日があって、妹が小さいからおれが代わりに行っててん。いっつも今みたいに横でゲームしてるだけやったけど。」

スマホには職場のゲームオタクの同僚が「最近きてる」と言っていたロールプレイングゲームの操作画面が映っている。

「お父さんの代わりにお母さんのとこ行ってたんや、えらいね。」
そう言うと少年は照れながら嬉しそうに笑った。

冬になると一時期、夜空にこの三角形の星座を見ることができなくなった。少年と会うこともなくなったが、春になり3点の星全てが地平線から現れると少年も再び自分の元を訪れるようになった。

夏、成長期の彼はこの約1年の間に10センチ以上も身長が伸びていた。いつものように三角形を隣に置きながらゲームをしている。
ふと、三角を見た彼は何かに気付き、それを持ち上げてまじまじと覗き込んだ。

「おらんくなった」

神妙な面持ちでこちらを見る。

「なあ次どこ行ったとおもう?」

自分でも意外な程この彼の問いかけに対してはすぐに答えていた。

「どこやろう。またヒトにうまれてくるとも限らないんじゃない?」

「たしかに」と彼は納得したように頷いた。

「でも、またうまれてこなあかんの、大変やな。」

やはり次もヒトなのかもしれない、そう思うと彼の母親が急に気の毒に感じられてついそう言葉が漏れた。

「おれはまた会えるかもしれんから嬉しい。」

ループだ。
生の意味が宙に浮かんで混乱してくる。ただ目の前の彼は母親との再会を想像してか、笑顔でとても嬉しそうだ。
今がよければそれでいいのかもしれない。
彼がよければ、それで。

「お父さん心配するし帰るわ。ありがとう。」

三角が手元へと帰ってきた。

先立った友人の時が止まったままのSNS画面を開いた。フォロー欄にはかつて自分も教えて貰った作家やアーティストの名前が溢れていた。友人の死後、それらの多くを自分も読み、聴き、時には観にも行った。
新たな素晴らしい作品やアーティストはそれからもどんどんと世の中に生まれ続けてきて、今では自分の方が本も音楽も詳しくなっている。
死に追いやられた主な原因は厳しい料理人の世界での過酷な労働と人間関係と聞いているが、最期の引き金は恋人との破局だった。死の間際、友人は自らの投稿を全て消していた。ただ1枚幸せそうな恋人同士の写真を残して。

「まぁ知らんけど。」

フォロー欄からそのアカウントを削除し三角を夜空に戻した。


その日から少年が星の三角形を求めて訪れることはなくなった。


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