見出し画像

66:感情セーブ

書くことないな。
そう思えるのはある意味健康の証ではないか。
自分にとって表現の一原動力は焦燥感や不安感だったのかもしれない。辛い時ほどなにかを残しておきたい。みたいな。
薬のせいかなんか分からないがここ1週間くらいのわたしは"無"に近い。平坦。特に何をするでもなく日々を過ごしているがそれに対する焦りや不安が湧かない。悪い言い方をすれば"どーでもいーやー"となっている。

そーいや鬱のときには一にもニにもまず休養が必要だとよく聞く。骨折した脚を無理に動かして早く良くなるわけないでしょうと。鬱は脳の病だからまず頭を休ませなければならないと。

薬で頭を強制シャットダウンしてんのかも。もしかしたら飲むほどエモくなくなるのかなぁ。

今日親が掘り起こしてきた子供の頃の録画ビデオをたまたま見ることになった。そこには5年前くらいに立て続けに亡くなった父方のじいちゃんばあちゃんが若くて元気な姿で映っていた。まだ小さいわたしや兄に話しかけたり手を繋いで歩く姿を見て、懐かしい声をきいて、涙がこぼれ落ちる。うわぁ2人とも元気じゃんって。心が"無"の状態だったものだから尚更くらってしまった。
喧嘩ばかりする夫婦だったけど、わたしはあの2人がとても好きだった。

あぁ世の中なんでこうもエモくなくなっちゃったんだろう。それを思うと酷く悲しい。エモくない故に、エモさへの渇望から"エモい"なんて言葉がうまれたんじゃないだろうかとさえ思う。

今日の残像思い出すとまた涙が出てきてとまらん。久々にみれて嬉しかったな。

結局いっぱいかいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?