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環境調整:何を言うかより、何が脳に入るか

人間は700万年前頃より、本能より大脳皮質が大きくなり、合理的になりました。そして火を使う事を知り、男性の発情期がなくなり誘導型性欲になりました。

つまり、本能を抑制することができるようになり、動物から少しず離れていき、明らかな弱肉強食でなくなりました。そして「人間」の「生活」が生まれ生活を色付ける事ができるようになって、今日に至っています。


人間が生まれてくるときの大脳皮質は真っ白です。両親の遺伝子が半分ずつ入って生まれてくるのに、何も情報が入っていません。人間の大脳皮質と本能の割合は他の動物・生き物に比べ非常に分厚く大きいです。(極端な例ですが、人間の大脳皮質の85%を占めているのに対し、魚は10%以下です。)その為、本能が刺激されるには時間がかかります。大脳皮質に入っている情報が本能を負かしてしまうことだってあります。ここの情報が利己的であればあるほど、本能は良いように働かないでしょう。


つまり、私たちが発する言葉は、生まれてから現在に至るまでの経験が情報となって大脳皮質に入ったもので、そこから捻出された貴重なものです。

実に当たり前のことなのですが、そう改めて考えると

「何を発言するか」よりも「何が脳に入るか」、の方に重きを置くべきなのかもしれません。

『言論の自由を』よりも『脳の自由を』かもしれません。

受け取る側の脳に自由が無いとマインドコントロールされてしまうのでは無いかと感じます。

自分の発言と行動は、間違いなく自分が獲得したものから生まれています。発言と行動が伴っていなくとも、それはどちらも自分です。

ただ、中学生、高校生頃になるとそこのズレに気づき始めるんですよね。言ってる事とやっている事(やりた事)にズレが生じると、違和感を感じ、苛立ち始めます。そして反抗期があり、大人になると今度は『自分探し』に行く人がいます。これは実に健全な成長かと思います。私もありました^^

ズレているのに違和感を感じず、麻痺してしまっている人も少なく無いでしょう。現実逃避だったり、魂を売るような行動をしてしまった人も居るでしょうし。本能だけで生きる事ができない今の社会では、苦しみ葛藤する時間は必須なのかもしれません。でも進化や成長には痛みは必ずともうなうものだと思っています。

その後のケア方法はこちらをお読みいただけたら幸いです。

本能を抑制し生活を色付けることを知り、多種多様になり選択肢が増えていきました。有限である一生の「時間」にとても大きな価値を生んだとも思います。

どんな選択をして生きるかは、決して本能任せでは無いのが人間です。本能だけで生きるということは、魚のようになるのです。時期がきたら子孫を残し、死にゆくのです。私たちは、そうでなくなりました。

「あなたの良心・信念が、本能でありますように」 


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