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環境調整:バランスを整える-多様性を語るのは少し止めてみよう-

とても感じます。

男女雇用機会均等法を機に、LGBTQやSDGsやフェミニズムや、様々な運動家によって利権が生まれました。

日本では言論の自由があり、素晴らしい方々が多くいらっしゃると感じます。自分の良心を表現し発信する事は非常に大切だなと思います。

同時に、発信したものに対して生まれた「反対意見」の自由もあります。ここの取り纏めは非常に重要かと思います。

SDGsなどもそうですが、「地球温暖化」に向けて活動すると補助金が出ますが、反対の「寒冷化対策」には出ません。

利権ができてしまうと、政治はお金を回す為に拍車をかけます。

「多様性」も利権の一つと言えると思います。

日本には、キャンセルカルチャーも無く、今の若い人たちは、心優しく、本当に思慮深い方が多いように感じます。

そして、「世の中の為にいい事をしたい」と言う若者も多く増えていると感じます。

だからこそ、それをうたう企業も増えます。しかし同時にハリボテなポリコレ(PoliticalCorrectness)も多くなっています。(悪気がなくとも)

耳触りの良い言葉こそこれからは注意していかなければならないかと思います。

例えば企業の社長が言う、「国籍関係なく優秀だったので雇っている」(勿論、優秀な方に違いないと思いますが)具体的でない言葉。

自分と異なる人、異なる能力を持っている人の事を、

分かりやすい「優秀さ」「生産性」みたいなものでしか測れないのは、少し世知辛い様な。。単なる企業の合理性なだけで、「多様性」などと言葉を単純化してはいけないと感じます。これは本当に私たちが求めている「多様性」とは少し違う気もしています。

「多様性」「差別」「人権」と言う言葉を使わずに

先ずは側にいてくれる人と話し合う事に戻ってみたらどうでしょう。

「多様性」と言うパワーワードによって「差別を探す」と言う時代に向かっては大変です。

「どんな差別を受けましたか?」

と記事をつくる為に”わざわざ”探すの人たちがいるというのです。

非常に難しい問題ですね。

実体験に基づかないで、何でもかんでも、「差別はいけない」と自由、人権を誇示主張し過ぎては、人権が横領を振り秩序もなくなり、単なる弱肉強食の事態になりかねません。

権力と権威を学び、人権がいかなる時に「制限」されるか、「適切」さを学ぶ必要があると感じました。

全ては、大切な人の為に。



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