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電車で見た母娘に自分が重なり鼻の奥がツンとした話

友達に誘われてお料理教室の体験レッスンに行き、その日に入会してしまった。

入会後初日のレッスンメニューは特別で、ステーキの上にフォアグラが乗ってるヤツだった。でもこんなの家で再現できないよ、近所でフォアグラ売ってるの見たことないもん。

普段なら試食時にワインも飲み放題らしいのだけど、今はコロナの影響で飲み物の提供もナシ。せっかくフォアグラとのマリアージュを楽しめるチャンスだったのにさ。コロナめ。

この「コロナさえなかったら」思考は、声を張り上げたところでどうにもならない、という学習がすでに脳内で何回も繰り返されてるからやらない。誰のせいにもできないジレンマを「何で!...」の先をスッと止めることで軽くする術を身につけたというか。でもそのうちどっかで気持ちが爆発しそうでコワイけれど。

お料理教室はいいとして(いいんか)、その行きの電車で乗り合わせた母娘の、ただひとつのやり取りを見て、思いがけず涙が出そうになった話。そして最終的にはいつもの想いに行き着いたという話。

電車は横並びの長い座席が向かい合う形の車両。私の隣には一人分のスペースしか空いていなかった。二人で乗り込んで来た母娘の、小学3年生くらいの女の子が私の隣に、その向かいに母親が座った。場所を変わってあげようかと思ったけど、母親に携帯を借りたその子はすぐにゲームを始めたから、もうそのまま座ってることにした。

電車が出発してしばらくした時、向かいの母親がスッと立ち上がり、ゲームに熱中して、座ってるスカートの膝がだんだん開いていく女の子の足をポンっと叩き、また座った。

すると女の子はゲームに集中しながらもパタンと左右の膝小僧をくっつけたのだった。

「きっといつも言われてるんだろうな」と一瞬感じた時、鼻の奥がツーンとした。

その時は自分でもよくわからなかったけど、その母娘の一連の動きが、昔の自分と娘にダブって見えて、泣きそうになったのだ。

思うに……私の娘は今年成人式を迎え、もうこの母娘のような時代は戻ってこないんだな、というセンチメンタルが少しと、無事にここまで成長してくれたこと、そしてゲームに集中しちゃってるスカートの中が、向かいのオジサンから好奇の目で見られないようにと心配する母親の思考など、そのすべてが一瞬で流れ込んできたからだと思う。

私の、其の手の心配は現在進行形で、まだ幼いところがある娘を信頼できてない部分もあり、短いスカートで外出する時はいろんなリスクをはらむ気がしていい気がしない、というより短いスカートにいいことなんて何も無いとさえ思っている。

実際その日の帰りの電車では、向かいに座るショートパンツの女の子の、張りのある太ももが気になってしょうがなかった。たとえ健康的に見えたとしても、その子の母親の気持ちになってしまう。

「家にいるこの子のママは、この魅力的な太ももが、他の乗客の目に晒されていることを知らないだろうな」と考えてしまうのだ。

昔からたびたび娘に忠告することで、膝をちゃんと揃えて座ることを意識づけたかった。最近の娘がどんな感じで一人電車で座っているのか見たことがないから、私の地道な草の根活動の成果を確かめることはできないんだけど。

そしてその想いは、娘と同じ年頃の女の子たちにも当然発動しちゃうわけで、膝が開き気味の女の子がいれば、

「お嬢さん、あともうちょっと膝小僧をくっつけて!」と、向かいの席からテレパシーを送ったりしている。

いっそのこと、電車の窓に、

「女子たちよ!膝小僧をくっつけよう!」
「向かいの座席からはスカートの中が丸見え!」
「ホラ!前のおじさんが見ている!」

というシールを貼りたいくらいだ。

それだけおおっぴらに注意喚起すると、スカートの中に視線を送ることも憚られていいんじゃないか。。
そんなことを考えてたら、三宮についた。(笑)

帰宅したら「自分が思ってるより、向かいの席からは見えるよね」と久しぶりにまた娘に言おうと思った。

やっぱりまだ現在進行形で心配の真っ最中。そんな話。



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