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第2章 道程 ④「古巣で働くよ~!」

 12月1日が来た。寒いがよく晴れた日だった。今日から古巣で働くこととなる。RECNAの先生方は元から全員知っていたので不安はそんなになかった。事務スタッフは2名入れ替わっていたが、物腰のやわらかい方々で、仕事を丁寧に教えてくださった。
 今日から私は「元ユース代表団のメンバー」ではなく「事務スタッフ」になる。学生時代のノリを引きずったり、先生方に甘えたりといったことはプライドが許さなかった。先生方は学生時代の私をよくご存じだ。だからこそ、これからは上司対部下、あるいは教員対スタッフという形で、一から新たな信頼関係を築く必要があった。

学内には猫スポットがいくつもあり、RECNAもその一つだった。
この猫は「ジョン」と名付けられていた(筆者撮影)

 新年度になると、研究プロジェクトの学外研究者とやりとりをする機会が増えた。その年の秋に研究者が一堂に会し、研究の進捗状況共有や今後の研究の進め方を話し合う「合宿」の打合せをするためだ。顔合わせも電話もしたことのない学外の先生方にメールをするのはとても勇気が要った。
 その中には、東京大学の著名な政治学者・藤原帰一先生もいらっしゃった。 先生方はご返信をくださるのが早く、毎回とても丁寧なメールをお送りくださった。合宿の場で初めて顔合わせをしたときも、社会経験の浅い年下相手にも関わらず、変わらず誠実にご対応くださった。RECNAで働くことの緊張やプレッシャーは、少しずつほぐれていった。

合宿の模様(筆者撮影)

 仕事を初めて1年半ほど経った頃、私の人生に転機が訪れた。それが「被爆体験継承活動」との出会いである。
 実はその前年、2016年4月に1人の女性研究者が客員研究員としてRECNAに赴任なされた。彼女は桐谷多恵子先生といい、被爆体験の継承や被爆地の戦後史・復興を専門としている若手の研究者だ。
 桐谷先生の着任にあたり、先生が持っている科研費を長崎大学の方へ受け入れる手続きをすることになり、事務的なやりとりをするようになった。
 
 桐谷先生が私を継承活動に導き、また志を同じくする者として私を支え励ます存在になってくださるとは、この時の私は知る由もない。

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