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歌のシェフのおいしいお話(15)ペレアスとメリザンド その5

引き続き、ドビュッシーのオペラ《ペレアスとメリザンド》の第一幕第二場に注目します(訳は前々回の記事、人物相関図は前回の記事をご覧ください)。
この場面を読んで気になった点を検討してみます。

ゴローは6ヶ月間どこで何をしていたのか?

ゴローが書いてよこした手紙には、「メリザンドと結婚して6ヶ月になるが…」とありますが、狩りの途中に道に迷い、メリザンドと出会って(その後どのタイミングで結婚したかは不明ですが、とにかく結婚して)から、船の中からペレアスに宛てて手紙を書くまで、ゴローは一体どこで何をしていたのでしょう?

現在でもヨーロッパのあちこちに「中世の王侯貴族の狩猟用の宮殿」なるものが残っていることからもわかるように、狩猟に泊まりがけで行くことは不思議ではありませんが、一国の王子が国をほっぽらかして6ヶ月も勝手に留守にするのはいくらなんでも長すぎます。しかも王が高齢で殆ど盲目で、ユルジュル姫の国と長いこと戦争が続いていて、国内では飢饉も起きているという状態なのだからなおさら、壮年のゴローには果たすべき公務もいろいろあったはず。

しかも狩りで道に迷ったとき、ゴローは犬とはぐれたという話はしていますがお供については一切触れていません。近所の慣れた狩場ならともかく、泊まりがけで行くような遠くの深い森に犬だけ連れて入ったのでしょうか。それとも比較的近所で迷ってメリザンドに出会い、その後勝手に船で新婚旅行をしていたのでしょうか。

堅実で慎重だったはずのゴローが突然行方不明の音信不通になって6ヶ月。帰りを待っている家族にしてみれば、どこの誰と一緒であろうと、まずはとにかく帰ってきてくれればそれでいい、という気持ちになるでしょう。それを見越して、ゴローは自分の無茶な要求を通すべく、6ヶ月も待ったのかもしれません。
あるいは常におとなしくアルケルの言うことを聞いてきたゴローが生まれて初めて自分の決断を家族に突きつける、そう決意するまでに半年かかったのかもしれません。

いずれにしても、この手紙を読む家族が「6ヶ月待たされた状態である」ということは重要な情報です。

ゴローはなぜペレアス宛に手紙を書いたのか?

ゴローの手紙の目的は、自分がメリザンドと結婚したことを家族に知らせ受け入れてもらうこと、この手紙は異父弟のペレアス宛ですが、もちろん宮廷内でめぼしい権限があるわけでもないペレアスが賛成したからといってゴローが帰ってこられるわけではなく、母ジュヌヴィエーヴと、何より祖父である王アルケルが賛成してくれなければいけません。

この手紙を受け取ったペレアスが判断に困ってそのまま母に渡して相談する、母がほぼ盲目のアルケルにそれを読んで聞かせる、という流れをゴローは予想していたはずです。そしてそれが、アルケルに直接手紙を書くよりもずっと自分の望み通りの結果をもたらすチャンスが高いと踏んだのだと思われます。

というのも、手紙の中でゴローは弟ペレアスに対しては「自分の帰還の準備をしてくれ」(当然賛成だと思っている、というかそもそも意見を聞いていない。兄の選択に反対する権限を想定していない)と述べ、母については「お母さんは喜んで許してくれるだろうということはわかっている」と、母自身がそれを読むことを承知の上で書いています。こう書かれたら母としては懸念があっても反対しにくくなりますね。そして本丸の祖父については「でもアルケルが怖い、彼の善良さにもかかわらず」と述べ、弟と母の援護を上手に引き出そうとしています。

これまで家庭内での優等生だったゴローですが、その気になればかなりの策略家、という一面がわかります。

アルケルはなぜペレアスを引き止めたのか?

メリザンドとの勝手な結婚をアルケルに受け入れてもらうことにうまく成功したゴローに対し、「死の床にある友達マルセリュスに会いに行きたい」とアルケルに直接訴えたペレアスの願いは退けられます。「マルセリュスは自分が何日に死ぬか分かっていて、僕が今すぐに会いに行けば間に合うけれど無駄にする時間はないと言っている」とペレアスが涙ながらに訴えたにもかかわらず、アルケルは平然と「しかししばらく待たなければいけないよ」と一蹴するのです。ペレアスが友人の死に目に会うことはできない、という宣告です。
第一の理由としてアルケルは「お前の兄さんの帰還が我々に何をもたらすかまだわからない」と述べています。これはどういう意味でしょうか、ペレアスが城に留まることとなんの関係があるのでしょうか?
おそらく、一旦はゴローの要望を受け入れてメリザンドとの帰還を認めたアルケルですが、ことの次第によっては、自分の言うことをきかなくなったゴローを廃嫡してペレアスを王位継承者にする、という「プランB」も頭の中に念のために持っていたのではないでしょうか。アルケルは単なる善良な老人ではないのです。
ペレアスが出発してはいけない第二の理由としてアルケルは「ペレアスの父親も、マルセリュスよりも重いかもしれない病気で臥せっている」ということも挙げています。それはそうかもしれませんが、アルケルはさらに「お前は父親と友達を秤にかけることができるのかね?」と意地悪く付け加えています。その一言、いう必要あります???そもそも友達の見舞いに行っても一生帰ってこないわけではないのだから、死に目に会いに行くことくらい許してやってもいいんじゃありません???と思うと個人的にはアルケルに腹が立って仕方ありません。

結果としてペレアスが城に留まりメリザンドと出会ってしまったことは、兄が弟を殺すという悲劇を引き起こします。このとき一刻も早くマルセリュスの見舞いに出かけることをアルケルが許していれば、メリザンドと出会うこともなかった、少なくともこのような形では会っていなかったのです。

ちなみにペレアスはこの初登場シーンから最後に兄に殺される夜まで、オペラ全体を通じて「出発したい」「明日出発する」「旅をしなければ」と何度も何度も何度も言っています。そのたびにアルケルの許しを得られなかったりメリザンドに行かないでと言われたり、なんだかんだで結局城に留まり、そして結局死んでしまうのです。しのごの言ってないで出発しろペレアス!!!

「盲目」になったアルケル

アルケルは殆ど盲目だとされていますが、生まれつきではなく次第にそうなったことがペレアスによる第二幕冒頭の説明からわかります。城の敷地内にある「盲人の泉」は昔は盲人の目を治すという奇跡によって知られていたが、国王自身が殆ど盲目になってしまってからは誰もその泉には近寄らなくなった、という話です。

実際に目が不自由ということに加えて、アルケルは、将来を見通したり周りの状況を見極めたりするという点においても「盲目」になりつつあったように思えてなりません。

ゴローからの手紙の感想の中で彼は「ユルジュル姫との結婚でゴローを幸せにできると思っていたのに…」と言いながらも、「ゴローは自分自身の未来を私よりよく知っている」と述べて、素性が全然不明のメリザンドとの結婚をすんなり受け入れます。
でも、やっぱり普通に考えたらそんなのおかしいですよね?本人たちの合意だけで結婚できるというのは近代的な法の素晴らしい成果ではありますが、自分の子がどこの誰で何歳だかもわからない人と無理やり結婚しようとしていたら誰だって心配になるでしょう。ましてゴローは一国の王子。その結婚は政治的な意味を持ちます。長きにわたって国を疲弊させてきた戦争を終わらせることのできるユルジュラ姫との政略結婚の方がいいに決まっています。
ちなみにアルケルは、先妻の死以来ゴローは孤独だった、彼は一人でいてはいけない、「それに」ユルジュラ姫との結婚は長い戦争を終わらせることができる…と述べていますが、主な狙いはこちらの政治的メリットの方だったと思われます。繰り返しますが、アルケルは単なる善良な老人ではないのです。
しかしともかくこのプランをアルケルは手放してしまいます。ゴローの遅れてきた反抗期(「家出してやる!」)への対処ミスとしか言いようがありません。

オペラの後半でゴローがメリザンドの不貞を確信して虐待とも呼べるような行為に及んでいるときも、アルケルはいまいちなアシストをしてゴローの怒りの火に油を注いだ挙句、すぐ側にいながら、メリザンドを救出するまでにしばらく(ヴォーカルスコアにして8頁分くらい)手を拱いて見ています。

城内で絶対的な権力を握るアルケルが、年老い、比喩的な意味でも「盲目」になって正しく判断する力を失っていることが、この城を取り巻く暗く寂しい雰囲気の源になっているように思えます。

まだまだ続きます!!

(しかしあっという間に年の瀬ですね、今年は田舎に帰ったりせずにパリに残る人も多いようで街は年の瀬感が全然ありませんが、一応明日は蕎麦など茹でてみようかと思っています。近所の中華スーパーに最近日本の製品も置くようになって、蕎麦も発見できたのはよいのですがなぜか茶蕎麦しかなかったので茶蕎麦で年を越します。みなさまもよいお年をお迎えください!)

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