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HSPを知ることで肩の荷が降りたこと

私がHSPについて知ったのは、3年くらい前でした。

小学生の時から、

・周りの目線を過剰に気にして本音が言えない
・友達に感じたことを打ち明けても「変わってるね」と理解されにくい
・人の気持ちを先回りして考えすぎて空回りする
・場の空気や周囲の感情の影響を受けやすい
・涙もろかったりすぐにびっくりする

などの性質があり、集団生活に溶け込めませんでした。

両親が「◯◯(私)は生きづらい子だねぇ...」と話しているのを聞いて、「生きづらさ」って何だろう?と思ったことを覚えています。

親に心療内科に連れていってもらい、カウンセリングも受けましたが、

「気にしすぎだよ。もっとおおらかになったら?」「社会にでたら、もっと大変なことがあるから、いちいちくよくよするだけ損だよ。もっと明るく、楽しく生きなきゃ」なんてアドバイスを受け、
「私のことを知らない人に話を聞いてもらったって、何の解決にもならない!」と、途中で行かなくなりました。

転勤族で、小中学校で4回転校を経験したのですが、転校先での友達作りにはいつも苦戦し、昼休みも1人きりで図書室に通う日々。おかげでたくさんの本には出会えたけれど、話し相手がいないのは孤独でした。

「どうせ私なんて理解されない」「私は独りで構わない」と、どんどん性格がひねくれていき、だけど、心のどこかでは、いつも、誰かに理解されたい、誰かと分かち合いたい、と思って生きてきた子ども時代でした。


高校生になって、自分の生きづらさの根本的な原因が分かれば治療ができるのでは、と思い、心の病や障害など思いつくかぎりのことを、図書館やネットを使って調べてみたのですが、いつもしっくり当てはまるものが見つからず、「単にこういう性格ということなのか」と結論づけるしかありませんでした。


好奇心旺盛ではあったので、大学生になってからは、色々なアルバイトをしたり、習い事を始めたり、ボランティアやコミュニティに参加する中で、社交性やコミュニケーション力は、人並み程度には鍛えられました。やっとこの時から、みんな違う個性や感覚があると分かって、「変わってるのは自分だけじゃない」「意外と自分も受け入れてもらえる」とも思えました。


そして社会人になり、ある程度、周りの人と同じような社会人に擬態することはできるようにはなったけれど、なぜ自分は社会に馴染めないのだろうか、なぜ傷つきやすいのだろうか、心が弱く未熟なのだろうかと、悩みは尽きませんでした。

ただ、次第に、残業の多い環境下で、明日の仕事をどうこなすか、ということが私の中での第一優先事項になったため、以前のように自分を内観する余裕がなくなっていました。


そんな時、ネットの記事が何かを見て、たまたまHSPを知りました。

私はHSPなのだろうな。と思いました。

だけど、その時は、「自分はHSP気質なのだろうけど、それを知ったところで何も変わらないだろう」と決めつけて、自分の気質について考えることをおざなりにしてしまいました。

そして、今回、退職や、大失恋など、自分にとっては人生の岐路ともいえる出来事を経て、改めて自分の気質に向き合おうと決めました。

そこで、HSPのことを思い出し、関連の書籍を読みはじめました。

すぐに、
かつて「HSPを知ったところで何も変わらない」と思ったことは、間違いだったと気づきました。

HSPの特性を知ると、「今までの私の生きづらさは、私が弱いからでも、劣っているからでも、努力が足りなかったからでもなくて、生まれつきの気質だったんだ」と分かり、それだけで、長年背負っていた肩の荷を下ろせたような感覚、心が軽くなり、楽になっていくような気がしたのです。

特に同じHSPでも、分類があるのが目から鱗でした。

(...おそらく、好奇心で色んなコミュニティに顔を突っ込んだりしている私は、HSS型HSP(刺激追及型)なのだろうなと思いました)

まずは、HSPの気質を理解することが第一歩。

HSP関連の本や、HSPの方々の書かれた記事などを読んだりして、勉強中です。

それは、しおれかけた花に、ジョウロで毎朝、水をやるような感覚、少しずつ自分に養分を与えているような作業に思えます。


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