見出し画像

筋トレと禅のおしえがリンクしたこと

最近パーソナルトレーニングをはじめました。週2回1時間みっちり。職業柄の肩こりや猫背、腰痛などを解消したいという思いもありましたが、とにかく無心になる時間がほしいと思ったところもあります。毎日、仕事や子育てや、日々起きる大小のノイズ、コロナも相まって人と飲んだりすることもめっきり減ったせいか、なんとなく気分転換の切り替わりがうまくできていないと感じたからです。

トレーナーはとにかく追い込みます。熊と戦いますみたいな体格で、そして満面の微笑みを絶やさず(でも目は笑ってない)できる!できる!You Can do it! ナイスファイト!みたいな感じで絶対10回3セットのバックショルダー・プレスを要求します。地獄のサイドレイズ、ベンチプレス、などなど(名称覚えられへん)。腹筋も経産婦よろしく反り腰解消のため、膝の内側でボールを潰した状態のまま腰を丸めての腹筋20回3セット。とか。

みっちり1時間トレーニングするのですが、35分すぎくらいからどんどん思考停止してきます。各所の筋肉のしんどい感覚も麻痺してきます。今日あっためんどくさい話やしょーもない愚痴や小さな悩みとかちょっとマジで一旦どっかいきます。身も心も一切の執着から離れるんです、この境地は「心身脱落」まさに禅のおしえ。

「曹洞宗」を開いた道元は「只管打坐(しかんたざ)」という、何も目的を持たず、何も考えず、ただ座るという修行を特徴としますが、筋トレは目的はあるんだけども、なんだか35分すぎから何も考えられず、ただ筋肉をイジメ続け悟りを開くというNeo禅だとも思うのです。数多のトレーニングはあれどJOGやサイクルなど疲労度合いが有酸素運動のハイとは違うな、これは悟りだなと思う次第です(有酸素運動は流派の違う禅の修行のような気もしますが)

とどのつまり、脳みそを色んな日々の邪念や考えやストレスから開放するすべとして、禅や瞑想もいいですが(でもなかなか自宅では家人の目もあったりなんだりでできなかったりもするので)、Neo禅筋トレで自身と向き合うとかって一石二鳥やん?とか思ったりする、火曜日の夜でした。馬鹿なのはアレですけど、程々楽観になれるような気もします。

あ、あと、翌日筋肉痛がでるとめちゃくちゃ嬉しくなるという自分が昨今形成されていて、これもまたひとつ新しい境地だなと実感する日々です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?