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バンクシー展で考える

街を美しく保ちましょう。公共の場や個人の物を汚したり傷つけてはいけません。
この道徳、価値観から見れば、グラフィティ(落書き)は悪、犯罪です。たとえそれがバンクシーが描いた物でも。

バンクシーのグラフィティの多くは、社会批判です。決してただの自己顕示、憂さ晴らしではありません。
ある時は戦争反対の意思表示であり、ある時は政府への抗議だったりします。

社会批判は多くの人に注目されてこそ意味があります。人目につく街にあってこそです。
バンクシーのグラフィティは街頭演説のような物です。
ということは、為政者が公共の場にチラシを貼るな、落書きをするなと規制するのは、批判を抑えるためかもしれないと、うがった見方もできます。
支配者は必ず、支配しようとする者に気づかれないように、反抗の芽を摘むための規則や慣例を作ります。

横道に逸れそうなので、バンクシーの話に戻します。
落書きは落書きです。消されても文句は言えません。
しかし、バンクシーのグラフィティが人々の注目を浴びるようになると、金の匂いに敏感な人々が放っておくはずがありません。バンクシーのグラフィティはアートになったのです。アートとは、お金に換えられるようになったということだと、私は考えています。

価値があるとわかったら、壁を剥ぎ取ったり、保存という名目で行政が撤去したり、カバーで保護するようになりました。滑稽ですね。
政治批判だったため、(たぶん)政府が消してしまったという例外もありますが。


それほど影響力を持つようになったバンクシーがますます有名になった事件は、オークション会場で落札された絵が、額縁に仕掛けられたシュレッダーで切られていくという場面でしょう。
アートを金儲けにする人々への見せしめだと考えられますが、切られて暖簾状になった絵の価値が上がったのは皮肉なことです。
でもそれもバンクシーにはわかっていたことでしょう。

落書きだけど価値があり、シュレッダーで切られても価値が上がる物がある。
不公平なのが世の常で、世の中は矛盾だらけだということをバンクシーが教えてくれました。