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抽象写真について

私の作品の多くを占める抽象写真。

作品についてよく言われるのは『写真で抽象表現って珍しい』という感想です。

その通りで確かに少数派です。
しかしある程度の規模で存在しています。

評論家でも無い私が、私見を書くのもおこがましいのですが、抽象写真に惹かれて撮り続けている者として書きたい事があります。

まず多くの人に馴染みのある抽象絵画との違いは何なのか?

それは、手で描くのかカメラで撮るかだけ、つまり表現は同じです。

ここで抽象主義とは何かを分かり易く説明できればと思いますが、今回は美術ライターの方の文章を引用させていただきます。佐藤晃子氏の『名画のすごさが見える西洋絵画の鑑賞事典』より抽象絵画の父カンディンスキーについての一文です。

カンディンスキーは、音の組み合わせで魅力的な音楽が生まれるように、ものや人の姿を具体的に描かなくても、美しい色と形を組み合わせることで人を感動させることができると考えました。

名画のすごさが見える西洋絵画の鑑賞事典


つまり大雑把に言うと、具体的なものに頼らず表現するということではないでしょうか。

写真でも具体的なものにとらわれないことで、色と形で画面構成を作り、概念を入れ込めると言うことです。

当たり前のことですが、抽象写真家の方も自分自身の概念をどこまで写真に入れ込めるか皆さん日々格闘しておられると思います。

絵の具の代わりに様々な被写体に挑んで、各々の信念を持って抽象表現をしていることと思います。

それぞれ何を抽象表現しているかも違いますし、撮影方法も多岐に渡ります。
景色をぼかしたり、ぶれるようにしたり、光の反射を利用したり、シャッタースピードを調整したり、あるいは物体の直線や曲線、カラーや質感を利用し画像に切り取ったものなど。
それぞれの個性で極められています。

デジタル加工を施した物もあれば、加工なしの物もあります。
被写体も人工的に用意したものから、スナップ写真のように偶然出会ったものを撮る方もおられます。

抽象芸術としての仕上がりレベルも人それぞれ違いがありますが、しかし、抽象写真というカテゴリーの規模が小さく注目度も低い事もあり、作家さんや興味深い作品も埋もれ気味なところはあると思います。

私自身も少しでも多く作品を撮り続けることで、これら抽象表現の写真作品たちが、1つのジャンルとして今よりもさらに大きな規模で、より洗練された上で、当たり前に存在する日か来る手助けになればと思っています。

もし抽象芸術としての写真を見る機会があれば、作家が何を入れ込んだか、どう写したかなど作品の背景を考えながら楽しんで頂けると大変ありがたいです。

では、最後になりましたが、最近撮影した作品を一つ載せさせて下さい。


音/波/逆行した時間

最後までお読み頂きありがとうございました。


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