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恐ろしすぎる現実に気付かされずに生活を送る人がいるということ。国を訴え、その事実を改善させることを願う人がいるということ。


私が生まれて初めて精神科のお世話になった環境が医療保護入院でした。
当時精神科というものの存在は『逝っちゃったあちらの世界』的な、
一般社会とは明らかに一線を画した恐ろしげなものだったと認識しています(結局私自身が差別的な視点で捉えていたのですが)。

抑うつ感とか感情、性格的な衝動とかの一般的にありうる精神的な状態とは異なる、
唯その場にいることすら儘ならぬどうしようもない状態に陥ったために自らの意思で救いを求めて突入した医療機関でしたが、
その施錠された未知の空間で問答無用に進められる治療という名の治験と、
周りにいる入院患者から聞かされる軽く30年以上ここに居るという事実に、
事情を知らない私は『無事に我が家へ生還することは生涯叶わないのかもしれない』とまで考えたものでした。

当時の私はとても悲惨な精神状態で、
そこの病院は実の親にある法的権限で何とか強引に退院できましたが、その後も数箇所の病院を25年間ほど又に掛けました。

そのうちの1つである国立の病院にてお世話になったのが、当時PSWとして敏腕を振るっていた、
こちらの書籍にて紹介されている古屋龍太さんでした。

現在はその病に打ち勝ち、個人事業主として建設現場で働いている私ですが、
あの時からそのまま数えて28年間の月日が流れているわけですが、
具体的な脱出の手立てを怠っていたら、まだ退院が叶わずにずっとあの施錠により閉じ込められた恐ろしい空間にいたとも考えられるので、
空恐ろしい気持ちになります。

現在もその恐ろしい事態になられている方が大勢いると聞きまして、
本人も意識することが封じ込められている、
人生というものを根こそぎ奪われているその事実に、
民主主義国家というものの本来の意味、目的に近づくための徹底した改善策が必要かもしれません。

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