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朝から自分と向き合ってみたら「まとまった休みに、旅に出ない選択をした理由」について、自分なりの価値観の変化に気づけたよ

ここからは、朝から紡いでおりまして、ずら〜と3700文字くらい続きます。結局紡いだ後に、yukoという人間が、どのような結論にたどり着いたか気になる人がいれば、このindexでワープしていただければワープできるようにしてみました。初めての形式ですね。公開ジャーナリング+最後にまとめを。このアウトプット個人的には好きです。笑

公開ジャーナリング

何も決めずに、体裁もそこまできれいにしなくて、描く。これまでどおり、即興で文字を紡ぐ。その時間が実は自分にとって、メンタル的に落ち着く時間なのかもしれない。

どうしても、成果物を気にしてしまう。だから、これだけきちんと自分と向き合えて、言葉を紡げて、アウトプットできたということが、個人的には少し落ち着くのかもしれない。Twitterのタイムラインだけを眺めていて、いろんな記事を読んで、記事を読んだ上で、咀嚼してアウトプットするのも、それは自分なりに、今日はこの記事を読みましたと、自分の一つの実績?というほどでもないけれど、人生の積み重ねの一つにしたいのだと思う。

仕事でコンテンツ(記事)を執筆するようになると、どうしても自分のnoteでも構成や、繋がりを意識したり、読みやすい文章にする為に、何度も何度も読み直してしまうけれど、その筋力も必要だし、即興で言葉を紡ぎながら、自分と向き合う時間もやっぱり必要だよなぁと思って、言葉を紡いでいる。

手描きの方が良いのかもしれないけれど、これは衰える原因になるかもしれないけれど、漢字が変換されるのと、ずっとピアノをやってきて、キーボードで音を紡ぐように、カタカタとキーボードを叩けるのが好きなのかもしれない。打刻音に、自分自身が癒されているのかもしれない。そして、自分の脳内の言語化スピードは早い方らしく、そのスピードに手描きだと追いつかないこともあるのかもしれない。フリック入力のスピードも異常らしい。

紡ぎながら、自分がパソコンで描いた方が、心地よく、気持ち良い理由が少し分かった。そして、たぶん仕事している風に浸れるのも心地よいのかもしれない。

気軽に飛行機の予約ができなかった。あんなに、島に行きたいとツイートしていた時もあったけれど。今は有給消化期間で、何をしても許される羽を広げられる期間だ。自粛期間中にあれだけ旅に出かけたくて、島に行きたくて...って色々と考えていたのに、いざ島を調べてみると、まだそもそも宿泊客を受け入れていない施設もあるのと、一人旅で予約できる施設も少なく、調べるのがだんだんと億劫になってきていた。世間的にも県外を跨ぐことは、まだなんとも言えない雰囲気が漂っているのも事実。

そして、自分にとっても、今は旅行にいくことのインプットを増やすよりも、この一年半走り続けて来た中での、振り返りだったり、ここ数ヶ月の出来事と向き合って、まとめてアウトプットしたい気持ちの方が強かったみたい。どこかで、後ろ髪を引かれている感覚。初めてかもしれない。衝動で動いていた自分から、インプット量とアウトプット量のバランスを考え始めてきているみたいだ。

まとまった休みが取れるのは今しかないという、特別な期間から、まとまって休みを取れるから、旅にいこうというのが、これまでの自分の考え方だった。旅に出ることで、リセットされる。けど、空間や景色でリセットされるよりも前に、自分と向き合って、自分の中で、描きたいもの、アウトプットしたい。振り返りたいものと向き合えていないのに、新しい空間に身を置くことが少し、やり残した宿題があるのに友達と遊びに出かけてしまっている罪悪感的なものを感じていたのかもしれない。そうだ、きっとそうだ。と描きながら思った。

幸いにして、今はとても家が居心地が良い。引越して、とても広い家に住めているし、何より近くに個人店経営のカフェがたくさんあるし、癒される。近くの川に散歩に出かければ、鴨にも出逢えるし、白鷺にも出逢える。亀だっていた。

先週の今頃、無性に旅に出たくなって、鎌倉の紫陽花をみたくなって、とりあえず二泊分の荷物をカバンに入れて、一泊だけ宿をとって行ってみたけれど、なんだか一泊で満足で帰りたくなったんだった。やりたいことがたくさんある。家に籠っていた方が、それはできるのかもしれない。どうしてもやりたいことのために、スケッチブックで描いた紙や、読みたい本をリュックに背負って旅に出るには、少し荷物が多すぎる。旅するなら、身軽で、無の状態で、ひたすら好奇心が赴くまま、フラフラその空気を感じたいけれど、戻って○○しなきゃと感じたまま、旅に出るのが、出づらかったのだとおもてた。

島に行きたいなと思ったのも、行ったら結局その街にしかないものを見たくなって、なるべく移動してしまうだろうなと思ったからだった。小さな島であれば、目の前に海が見えて、自然が溢れあていて、だけど基本的に部屋でぼ〜っとしながら、振り返ったり描きたいのもだけ描けるのかなと思ったり、文豪が愛した旅館とかを探していたのも、その理由かもしれない。

別に描き手でもなんでもないし、これが仕事になっているわけではないのだけれど、どうしても自分の中での学んだことを、アウトプットしたり、まとめたりしないと気持ち悪い病みたいなものにかかっているみたいだけれど、それもまた良いのかもしれないし、今まで振り返ったり、インプットしたものをアウトプットまですることの意識が少なかったのかもしれない。noteみたいに描きやすいサービスも積極的に活用していなかったし。どうしてもGoogleドキュメントにまとめると、仕事感が出て嫌気が差すこともあったから。

おやすみができたら、旅に出る。

そんなわたしなりのルールを、少し変えているから、戸惑っているのかもしれない。正解なんてないのに、結局どこかで、ベストな生き方をしたいって思ってしまう。そしてそれを、最短最速で...。

この2週間なんて、自分で決めれば良いし、別にだらだらしたって、何かを成し遂げたって、それもまた自分だよねって受け入れられるだけで強くなれるのかもしれないし、結局、よく生きたいって思考に捉われてしまっているのだなぁ〜と思いながら、でも描きたい世界や成し遂げたいこともあるから、そのために向き合わなければいけないなというよりかは、向き合いたいなと思うのだけれど、結局人間は弱いから、楽な方へ楽な方へと惰性で生きやすくなっちゃうから、誰かと約束したり、そして自分と約束したりしなければなぁ〜と思う。自分との約束をやらないことで、どんどん自分を信じられなくなって、自信がなくなるんだなって思ったり。

でもたしかに身体は相当疲れていて、動けなかった。それはそうかもしれないし、それくらい走りきっていたと思って、自分の動けない気持ちを労ってあげる優しさも、強さなのかもしれないできない自分を受け入れる、許容する、完璧を求めすぎない、だけど諦めずに、たまには立ち止まる時もあっても良くて、だけど、長期的に続けてみる

目指したい世界はなんだっけ?って話を、たまにこうやって自分と向き合いながら、改めて思い浮かべて、やっぱりそうだったから、向き合いますかと思い直してみる。

だけど、難しいのが思い直して見たときに、例えば作詞をしたいと思って、詞の分析をしたり、詩を紡いでみたり、わかりやすい活動だけに時間をさいても、何かが生まれるわけではなくて、一見遠回りしてそうだけれど、全然違う文脈の例えば、化学の本を読んでみたり、科学館に行ってみたり、そんなことをすることで、新しい刺激を得て、インプットによって、アウトプットに変化や、彩が生まれたりもするから、難しいなぁって。

自分にとって必要だと思っていたものが、実は必要ではなかったり、ビジネスや、自分の成長に一見最短では結びつかないだろうなって思っていたものが、実は半年後や一年後に結びついたりするものだから、何を選べば良いのかなって不安になったりする。ダラダラする時間も大切なのかもしれないし、何を持ってダラダラと呼ぶのかもよくわからなくなってきた。映画や漫画に触れる機会が少なかったから、そういったアートに触れてみるのも良いし、ただ本当にコンテンツが溢れすぎていて、読みたい記事も、読んだ方が良いだろうなと思う記事もたくさんだ。どうしよう。苦笑

自分なりの情報の取捨選択や、行動の取捨選択もしたいなと思いながら、直感でワクワクしたものには動ける余白も残しておきたい。

何が結びつくかはわからないから、仕事の責任がないものに関しては特に、直感で選んでも良いのかもしれない。楽しそうだから、行く。参加したいから行く。自分の直感に素直になって選んでみて、違ったらまた変えればいい。その感覚だけを、信じてみるのでも良いのかな。

いろんなオンラインイベントも溢れすぎていて、「参加しない」と決断をした後に、Twitterのタイムラインなどをみて、盛り上がっているのを知ると「あぁ、参加したら良かったのかな」と後悔をしてしまう。結局自分の軸がないのかもしれないなぁ〜。みんなどうやって向き合っているんだろう。

気付いたら3500文字も紡いでいたので、そろそろこの辺にしておこうかなと思うけれど、こういって文字と向き合って、自分なりに大切にしていることとか、悩んでいる原因についてしれるのは、良い機会だったと思う。

これは公開する必要はないのかもしれないけれど、こんな感じで、わたしの頭の中はこうなってますって、知りたい人がいるかは本当に稀だとは思うけれど、ありのままを伝えていく、素直に自己表現ができる人が増えたらいいなと思っているなら、これは本当にありのままだから、そのまま公開することにする。

最後に、気づきや、まとめだけ、してみようかな...。ふぅ。笑

手描きのノートよりも、パソコンのnoteで描く理由

・打刻音に癒される(仕事している風になって、自己肯定感が上がるw)あ
・自分の脳内の言語化スピードは、PC打刻の方が追いつく
・漢字も変換されるから(これは良いのか問題)
→先日の関ジャムの番組で、川谷絵音さんも漢字がスマホだとすぐ変換されるから、歌詩じはスマホで描くって言ってたなぁ〜と

まとまった休みに、旅に出ないという選択をした理由


・これまで走り続けてインプットしてきたものを、アウトプットしたい
・長期休み=旅 という自分なりの方程式が崩れたから、不安だったのかも
・価値観の変化
・やりたいことが、旅に出ることよりも、あった
・振り返りたいものと向き合えていないのに、新しい空間に身を置くことが少し、やり残した宿題があるのに友達と遊びに出かけてしまっている罪悪感的なものを感じていた
・旅するなら、何も後ろ髪を引かれない、無の状態で、ただ楽しみたいみたい
・何かやり残した状態で旅に出るのは、自分の性格的に、合わないみたい

余白(自由)を与えられたとき、自分の時間の使い方でも、正解を求めてしまう

・直感で動いても良いのでは?
・だって、何が自分にとって、必要だったか、1年後にようやくわかることもあれば、5年後にわかることだってあるから、そんなにすぐにわかんないよ
・直感を大切に決めて、「選ばなかった」道は、後悔しない
・きっと、必要な時がまたくるし、本当に必要だなと思ってから、また学び直したり、触れ直したりすれば良いから
・そして、次の直感の感覚を研ぎ澄ませて、自分がより選択したことに、納得感を持って生きれるようにすれば良いだけの話であるのだ
・そんなにすぐに自分にとってしっくりくるものや、出逢えてよかったものに出逢えるわけではない
・そんなに人生甘くない。笑
・周りにも社会にもあまり期待しない
・出逢えたらラッキーと思う
・TwitterなどSNSが活発で、どうしても他人の動きが見えてしまうから、辛いんだろうなぁと
・周りの目をどうしても気にしちゃうからね。笑

トップの写真は、先週訪れた鎌倉の紫陽花。縦写真って、noteのトップ画像だと、どのように表示されるかの実験も兼ねて。


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