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選択と別れ。 オンライン演劇 #それでも笑えれば を見ながら

 今年はいろんな別れを聞き、なんでだろう...どうにかならなかったのかな...って勝手に考えちゃうことがあったけど。

演劇で2人の葛藤のシーンを見て、当事者じゃなければわからないことはたくさんあるし、当事者が一番悩んで苦しんでるから、周りは決断を尊重するしかないよなって気づかされた。

劇団ノーミーツの「それでも笑えれば」を見た時に、湧き上がってきた感情。

お笑いコンビを解散する選択をした二人は、コントの中でその葛藤を語っていた。

いろんなことを考えた上での決断。

相手を思うばかりに、何かを優先するばかりに、本心とは違うことを伝えながら、自分の気持ちだけではなく、相手を思ってより良い道を選ぶこともある

お互い生きている中での「別れ」って、なんだろう。またいつか再会する可能性はあるのに、「別れ」を選択する。

恋人や夫婦、家族、所属している団体、サークル、会社。

何か一緒に取り組むための関係性を断つのが「別れ」なのかなと...。「別れ」の意味がよくわからなくなったので、大辞林で調べてみた。

① わかれること。離れること。
② 死別
③ 一つの源から別れ出たもの。分派、傍系。

「別れ」の表現を用いるときは、どんな時だろう。

友人・知人関係の人との関係性に「別れ」の言葉はあまり使わない。ゆるいつながりの中での関係性であり、何か約束があるわけでもない。関係性が濃くなったり、薄くなったり、目的が明確ではなく、縛られない関係が、友人や知人との関係性なのかもしれない。

当たり前のことかもしれないけど、改めて気づかされ、噛み締めておきたくて、文字に残しておきたいから言葉にしている。

恋人との別れ、夫婦での別れ、コンビを解散する別れなど。そして今日は嵐が活動を休止をする日。音楽活動の別れだと、小学生の時に、SPEEDが解散するって聞いた時はとても悲しかった。そのあとは、JUDY AND MARYや、19、175Rの解散などを知るたびに、なんとも言えない感情が芽生えた。

自分の中で距離が遠い人や、思い出が多くない人の「別れ」を聞く分には、そっかぁ。としか思わないけれど。親しい人からの「別れ」を聞くと、頭の中がそれでいっぱいになってしまう。

わたしには何もできないし、変わらない事実は決まっているのに、朝起きると寂しさが込み上げてきたり、ふと頭の中で余白が生まれると考えてしまうことがある。

寂しさを誰かと共有したいのかもしれないし、その寂しい感情を味わうことも、人生において大切な時間な気がする

けれども、考えても変わらない事実に、当事者ではない自分が、限りある時間を費やすのは、もったいないなって思う時もある。生き急いでいるのかな。余韻や感情を味わう時間を大切だと思う自分もいる一方で、もっと違う時間に費やした方が良いのでは?と思う自分いる

時間の使い方は、人それぞれ正解はない。仕事で結果を残したいという気持ちが強ければ強いほど、仕事に直結する何かの行動に時間を費やさなきゃって思ってしまうけれど。

〜しなきゃではなくて、〜したいの時間を多く持てることが良いのかな。寂しさを味わいたいから味わう。何が無駄とか、よくわかんなくなってきた。すこし話が脱線しちゃった。脱線しても良いんだろうな。自分の気持ちを確かめるために、言葉にしている時間が好きなのだから

ふとこの間、ひらやまさんがオススメしていたnoteで出逢った平野さんの言葉を思い出した。

・意味があるかどうかで選ぶとつまらなくなる
・「意味があるかどうか」考えること自体意味がなかった

気を抜くとすぐに好奇心はなくなってしまうから、自分の感情にできるだけ素直に。生きる楽しさまで効率化してはいけない。

演劇の話に戻るけれど、「別れ」を決断するまでのシーンを見て、改めて当事者じゃない自分は、何かの「別れ」を聞いた時、決断を尊重するしかないよなって気づかされた。

誰かが何かを決断する時、何かの行動を選択する時、私たちはその「事実」しか受け取れないことも多い。ただ、その当事者は、自分が想像する以上の何十倍もの時間をかけて悩んだり、想像できない感情が芽生える中で、行動をしているんだと思う

一緒に取り組み始める時や、付き合い始めた時には、別れや終わりがくることなんて想像していないことの方が多いのだと思う。けれども、いろんな感情の変化や、心境の変化、環境の変化、優先順位の変化、いろんな変化を受け止め生きていく中で、「別れ」を選択する時がくる。

周りはその「別れ」の「変化」をただただ受けとめるしかない。事実を受け入れる。変わりゆく時代に身を任せながら、委ねながら、自分の意思で変えられることに舵を切る

そして、誰も正解なんてわからない。この道が良かったなんて、年末の1年の振り返りをするこのタイミングでわかるものばかりではない。5年後、10年後にわかることもあるかもしれない。だから、その「決断」を応援するしかないんだろうな。GOの三浦さんがよくおっしゃっている「答え合わせはまだ先」なのだろう。



演劇を見終わった後に、つらつらと感想を連ねてみた。昨日の夜中に書いたまま、改めて朝に読み返し、追記してみたらいろんな感情が湧き出てくる。

久しぶりの演劇。色々と考えさせられて、たのしかったなぁ。

こんなようなセリフも言っていて印象的だった。(曖昧な記憶...)

決めなあかんことが早まっただけ。

うまくいったとは言えないけど、去年いろいろもがいたから、今のわたしがある。だから、前に進めてないとは思ってないよ。明日がもっと良い日になるように精一杯生きること。

1年を振り返る年末に、今年あったできごとのシーンとともに、色々な感情を味わえる演劇って、やっぱり尊く、必要なものだと気づかされた。

不要不急の外出を控えなければいけない今、わたしの大好きな音楽や演劇を、オフラインで観に行く機会は激減したけれど、エンターテイメント、そして芸術はやっぱり必要なんだ。

こんなツイートをしていた。

翌朝、くるりの岸田さんのツイートに、この抱いた感情を言葉にしていたら、たまたま引用リツイートしていただいて、うれしかった出来事を思い出した。

このnoteを書いてから、9ヶ月。日常は戻らない。変わる中で、「オンライン演劇」の可能性、そしてオンラインだからこその新しい芸術の形に挑戦している人の姿はうつくしく、こころを揺さぶられる。

この時代だからこその作品を、見れて幸せだなぁ。

今回、主催の劇団ノーミーツさんがオンライン劇場「ZA」という舞台を作っていて、本当にすごいなぁ〜と思って、ツイート連ねてた。

個人的には、めっちゃマニアックな気がするけれど「公演ロビー」というページが好きでした。

チケットを購入後、配信URLがメールに記載されているのではなく

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そのURLをクリックする先に出逢うのは「公演ロビー」

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こんな感じの画面になる。

コロナ前には、劇場に足を運んで演劇を見にいくこともあった。なので、チケットをもぎった後に、お客さんがわちゃわちゃいるロビーを通り、扉を開けて、舞台の空気に触れ、舞台装置を見て、開演まで待ち遠しくなる...そんな体感をオフラインでは味わってきた。

とっても小さな仕掛けかもしれないけれど、「公演ロビー」があることで、「公演を観る」のボタンを押すと、ロビーから劇場の扉を開けるような感覚を味わえた。扉の先に待っている、新しい空気と視界。始まる前のドキドキ。

チケット購入後のURL直リンクが、配信画面だったら味わうことはできなかった感覚。そんな工夫にうっとりした。

大学時代にすこしだけ学んでいたインプロの師匠が、以前こんなツイートをしていたことを思い出した。

オフラインで観劇の機会が減ってしまった中、オンラインで安心して観劇できる機会、そして新しい芸術作品を生み出してくださった劇団ノーミーツのみなさんに感謝をしながら...また来年の作品も、楽しみにしています。本当に、ありがとうございました。

そして、人の気持ちに寄り添いながら、どんな決断でも尊重できる人間でありたいな。

誰のためでもなく、自分の感情を残しておきたいから、言葉にする。自分のためのnoteを、やっぱりこれからも書き続けたいなと思ったし、言葉にするのが好きなんだって気づかされた大晦日。




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