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柴田正徳 陣場のアトリエでのお話 2019.6.4.


とにかく桜井さんは、みんなのお手本だったんです。きちんと仕事をされて、マラソン走者のように同じペースで寡黙に仕事をこなしていくんですよ。気がつくと作品が仕上がっているんです。それがものすごい早いんです。桜井さんは、石彫作家として鉄ノミだけを使った最後の世代で(鍛冶仕事、鉄を焼いて使っていた)、80年代前半までは、巨大な重い機械を使っていた。重たくて担げなくて、上から紐を下げて使っていたんだよね。今でも彫刻の機械は日進月歩。

桜井さんの年代の少し前の人たちが始めた石彫の技術を桜井さんは受け継いだ走りで、弟分みたいで始まった。(桜井、大成、高根、渡辺)桜井さんはその中で、御影石で具象やりたいもんだから、外人の石の文化の人なんかは、「クレイジー」というぐらい特殊だった。手で持つダイヤモンドカッターも当時なかったんだから。

初期の作品は、単純シンプル、細かい仕事はしていない。きっと出来なかった。それから、桜井さんそのものの作家的な変わり様、変容とが相まって、道具の発展とあくまでも御影でやっていたので、道具の発達と桜井さんのそのものの作家的な変容とがプラスだか、掛け算とで変わっていったんだよね。初期の作品と違うでしょ。中盤、後半はいろんなことが機械でできる。桜井さん、白い柔らかい石をつかったことあるでしょう?ライムストーン、女の子首があったと思う。御影で出来ないことが、その作品では出来ていて、桜井さんだったら出来るんだなーと思ったんだよね。機械と共に、桜井さんが作家として作品が変容して行ったんだよね。僕とは15違う。(鈴木さん須藤さんとかその下、次が僕たち)

「桜井さんは塑像作家だね。」って僕が言うのは、佐藤忠良をしっかり受け継いでいるんだよね。岩野勇三が後継者だねって言われているけど、僕は違って桜井さんが一番受け継いでいると思う、精神的なそういうものを。桜井さんも佐藤忠良に何か似ているところを感じていたんだと思う。首を見ていてもね。首っていうのはそう思わないと出来ないことで、とういうのは年代的なもの、というのは、あのような誠実さみたいなものは、あれはやっぱり時代だと思う。戦争行って帰って来て、いろんなものを見た人がでもやっぱり日本人は、誠実だし、そういう人たちだよっていうこと、言葉ではなくて、作るもので、顔の中に込めて、誠実さをギュッと捉えて、パッと出して、っていう。そっくりであるとかそっくりではないとか、そういう世界を超えた、そういうことを一番理解できたのが、ちょっと息子的な年代の桜井さんたちかなって思うんだよね。僕らは、いいなーとは思うけど、それを表現しようと思う年代では、もはやない。佐藤忠良に憧れて作っても、それは嘘だと思う。良く出来たとしても、それは嘘。僕らがやったら嘘。それを一番そうだった!ってそういう戦争の時代を感じながら育った、桜井さんの年代は、すごくそれをそうだったと思ったんでしょうね。一番佐藤忠良そのものがわかる年代だったなって思う。それを最近になって思う。学生の頃、佐藤先生うまいよねって言って、ああなりたいなって色々真似してやったけど、じゃあ写真のように真似してもああなるかというと、ならないんだよね。忠良さんぽくつくる人は、沢山いるんだけど、やっぱり違うんだよね。今の時代の誠実さっていうものは違う、彫刻として表現するには。やっぱりあの時代、カチッと完成させるんだよね。桜井さんの年代はそれをピタッと自分の心情とつくるものとがちゃんと理解できた年代だったんだよね。自分でやってもそれが出て、岩野勇三よりもある意味桜井さんの方が、佐藤忠良のそれを引き継いでいるような気はしていますね。

Y「塑像がいいっておっしゃることが、父のセメントの作品や、石膏の作品が良いということに繋がりますか?」

S「そうだと思います。だからブロンズでなくても言い訳でね。原型の粘土がしっかりしている訳で、それを型取って流し込むのがブロンズだろうが、セメントだろうが、石膏だろうが、意味は変わらない。半身ぐらいの人体もあるでしょう?コンクリートだったり。あれもきちんとたったポーズのやつ。桜井さんは、ほんと塑像作家ですねって。僕いうんだよ。石もいいけどね。

ここで外で、立ちポーズを立たせたまんまで彫っていて「下げ振り」と言う重りをつけて垂直を見るんだけど、、、ここで。ここって、斜面でしょ。周りが建物が無いわけで、都会的景観が一切ないわけで、ぐしゃぐしゃの木が生えて、ガードレールが斜めに置かれて、あるとすると道具小屋の柱があるだけで、その中で人体をやるっていうのが大変だったっていうことを最近わかったんだよ。ここは、全く基準がないんだから。都会であったらどこか水平を見れるところがある。目のどっかに垂直がある。桜井さんは有機的な環境しかなかった中でやっていたんだからね。今考えると、桜井さんはしょっちゅう下げ振り下げていたんだけど、外でやるのは大変だったね。

どんな立ちポーズも、原石からやっていたんだからね。ハンマードリルで穴開けて、カッターで切ってやってたね。倒してやると、何自分がやっているかわかんなくなるからね。立ちポーズとは、立ってバランスを取るっていうのがあるんで、立てないとね。桜井さんは、ハンマードリルの糸彫りをしてるね!って。とにかく早いんだよ。こんなところに穴が開こうが、気にしないんだよね。ポリで埋めて、、、。でも形がちゃんとしているから、違和感がまったくないんですよ。僕らが削れちゃって、うじうじ直していると、直した感じがすぐ出ちゃうわけ。そういうのって、本人が気にすればするほど、気になってはっきり出てきちゃうんだけど。桜井さんは気にしていないんだよね。形がしっかりしているから、不思議と気にならないんだね。

今年出展する作品は、去年終える。バタバタすることは一切なく、ひたひたと仕事する人でしたね。

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