始まりのはじまり

この物語の始まり。

西野亮廣エンタメ研究所(9月2日)記事の「僕個人として、◯◯のギフト先(※孤児院など)が決まっていれば、迷わず◯◯を買って◯◯になります。」というキンコン西野さんの一文からこの物語は始まります(※サロン記事の内容は外禁なので、◯が多くなりスミマセン)。

つまり、この方法なら孤児院等の金銭的なサポートをしても良いよ、という事です。

一人でも資金面を支援してくれる方がいるのなら、実現出来るかもしれない。特に、西野さんのような影響力のある方なら尚更。

孤児院に対しては少し前から考えていた事なので、背中を押してもらったような気がしています。

もともと「ミャンマーと関わる」というのは決めていたんですね。でも、まさか自分が孤児院を作るとは、夢にも思いませんでした。

いや、まだ夢の途中だった(笑)

本当に実現出来るのか? その道筋を読者の皆さまと共有できたら、と思ってnoteを始めてみました。自分なりの実験であり、挑戦です。

無いナイ尽くし。

経験ナシ。孤児院で働いたことなんて、無いんです。あるのは、自分の娘を育てた経験だけ。しかも、ただの5年ほど。

資金もない。仲間もいない。ミャンマー語も喋れない。

コロナの影響でまだ国境も封鎖されていて、渡航も出来ない(泣)

無いナイ尽くしで、出来ない理由を挙げ始めたらキリがないです。

でも、実現のイメージをすればするほど、胸が熱くなって泣けてくるんです。これは、思考派・論理派の私にとってはとても珍しいもので、取り扱い方が良く分からない。

でも、なんとなく、「やってみたら」と言われているような気がしてなりません。

ミャンマー。

私は日本国籍でニュージーランド永住者ですが、修士論文の調査でミャンマーに出会いました。

ミャンマーには、様々な理由で孤児を生んでしまう状況があります。

特に、先住民族が多く住むチン州、カチン州、カレン州、ラカイン州では、今も国軍と少数民族武装勢力との間で紛争が勃発しています。

そういった紛争で親を亡くした子もいれば、親はいるけど経済的に苦しくて育てられない、という場合もあります。

貧困と紛争が重層的に絡み合い、一番の社会的弱者である子どもに皺寄せがくるのですね。

戦後の沖縄で生まれ育った経験、つまり、第二次世界大戦・地上戦の被害者である私の親の実体験、それに伴う私たち子どもへの暴力が、今のミャンマーの状況と重なり合います。

だから尚更、人ごとではないのです。

応援よろしくです!

この現状で、これからどうやって孤児院を作っていくのか、まだまだ先が見えないですが、一つ一つ積み上げていきたいな、と思います。

応援、よろしくお願いします!(^^)

https://salon.jp/salons/view/1hc1srjr-johu-o7eg-33xn-r8u88p2slizf




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