にしがきゆうこができるまで vol.14
遠距離恋愛が理由で、関東へ行った私。
そこでも別れと出会いがありました。
初めての正社員
英会話スクールのマネージャの仕事は、
一見、教師・生徒管理がメインの仕事のようですが、
実は営業職に近いところがありました。
新規入会を増やすために無料体験に来てもらい、
クロージングが重要な仕事だったのです。
そのため、最初に泊まり込みの研修がありました。
そこでのロールプレイが上手くできたので、
なぜかとても期待されてしまった私は、
サブマネージャーからではなく、
いきなりマネージャーとして一校任されました。
ほぼ接客のアルバイトしかしたことなくて、
仕事の優先順位もわかっていないような私。
当然、結果を出せる訳もなく、
2ヶ月ほどで別の勤務地へ飛ばされました。
神奈川県から千葉県へと、
県を跨ぐ移動で引っ越しも伴いましたが、
その勤務地には先輩マネージャーがいて、
外国人教師とのコミュニケーションも上手く、
千葉エリアの先生と仲良くなることができました。
その勤務地で2ヶ月ほど勤務すると、
また今度は県内の別の勤務地へ。
とにかく求められる数字がキツくて、
結局は1年経たずに辞めてしまいました。
これも、後になってみれば、
もっとやり方工夫したり出来たはず、
もっと頑張れたはず、と思うところはありますが、
当時の私は未熟そのものでした。
別れと出会い
結局、遠距離恋愛だった年下の彼とは別れました。
せっかく、彼のいる千葉に来たのに。
別れた理由は思い出せませんが、
私が本命の彼女だったのかも怪しいな、
と、今となっては思ったり…笑
で、別れてすぐくらいにちょうど、
3校ある千葉エリアの先生たちと
みんなで遊ぶような機会があり、
そこで、新たな出会いがありました。
アジア系オーストラリア人の先生。
偶然にも、私がホームステイした都市、
アデレードの出身でした。
彼もまた、日本人の彼女を追いかけて
日本に来たのに、別れてしまったとかで。
最初は職場恋愛、その後私は退職し、
借り上げの社宅に住んでいたので
退去を余儀なくされ、
彼のアパートに転がり込む形で同棲、
そして少し広めの部屋に引っ越して
約2年間、一緒に暮らしました。
子どもが大好きで優しくてユーモアもあり、
生徒たちにも人気のある先生。
よくベトナム料理を作ってくれました。
(彼の両親はベトナム出身でした)
彼のお父さんが日本に来た時には、
うちの母親も一緒に食事をしたり、
本気で結婚の話もしていました。
学校の先生になりたいから
オーストラリアへ戻って大学へ行きたい、
ということで帰国することにした彼。
ところが帰国まであと2〜3ヶ月という時、
彼の浮気が発覚。
そして「別れてほしい」と言われました。
相手は私も面識のある人でしたが、
数ヶ月後にはカナダへ留学する予定。
もしかしたら戻れるかも?という期待もあり、
あと数ヶ月で帰国予定、ということもあり、
しばらくは一緒に暮らし続けましたが、
結局、彼は日本での最後の数週間を
マンスリーマンションに引っ越して帰国しました。
お別れした後は本当に悲しくて、
毎日泣いて暮らしていましたが、
失恋の悲しみは時間が癒してくれる、
ということを知ったのもこの時でした。
やってみたら楽しかった仕事
時間は少しさかのぼりますが、
英会話スクールを退職した後、
派遣に登録して仕事を探しました。
そこで紹介されたのが、国際航空貨物の
コールセンターでの業務。
それまで電話対応は苦手意識があり、
この時も断ろうかと思っていたのですが、
母の「やってみたら」という助言で
チャレンジしてみることにしました。
世界中にネットワークがあるような
国際航空貨物ナンバーワンの企業だったので
社内のシステムは当然英語オンリー。
外国人客からの入電は、
基本的には英語がめちゃくちゃ堪能な
「英語チーム」が対応していましたが、
オーバーフローした分については
私たち一般のラインに入ってくることも。
あと、やはりクレームもあったりして
それなりに緊張する受電もありましたが、
全体的にそれほど難しい仕事でもなく、
さすがに世界的大企業だけあって
社内環境はとても充実していたし、
先輩や上司もお手本にしたいような人ばかりで、
働くのがすごく楽しい職場でした。
社員さんは有給が年間20日ほど、
しかもコールセンターはシフト制なので
休む時は一気にまとめて休む人も多く、
休憩スペースにはいつも誰かの
海外旅行土産のお菓子が置いてあったり。
人事異動も希望制なので、
ずっとコールセンターにいたい人はそのまま、
別のポジションにチャレンジしたい人は
募集があったらチャレンジできる、という
「半沢直樹」ではありえないような世界でした。笑
この職場で初めて「働くのって楽しい」と感じ、
ずっと働いて社員になるのもいいなぁ、と
なんとなく思ったりしていましたが、
前述の通り彼が帰国することにしたので、
私は一旦京都へ戻ります、と契約終了を依願。
その後、諸々破談になってしまったので
やっぱり残りたい、と伝えてもよかったのですが、
「別れたので…」とも言い難く、
結局は契約終了という形で退職。
今考えても本当にいい職場だったし、
何事も食わず嫌いはいけない、
ということを母から教わった経験でもありました。
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