見出し画像

文章を書くこと

「文章を書く」のきっかけは、夏休みの宿題から始まった気がする。
覚えているのは、中学2年生の夏休みの宿題のこと。エッセイまたは小説を書いて提出しなくてはならず、自分の家族のクセ強すぎる夏の過ごし方を紹介し、学校代表まで選ばれ、なんだかよく覚えていないけれど、ちょっとだけ小さな賞みたいなものをもらったことがある。

内容はくだらないもので、かき氷が大好きで自宅のかき氷機で騒がしくかき氷を作る夏の夜の父の姿や、夏に断水の通知が来たときの母の災害レベルの備え方(結局断水は10分ほどだった)や、虫が嫌いすぎて神経質な姉が雨戸を閉めるときに蛾が飛び込んできたエピソードなど日記のように書いた物だった。それらに振り回されていたり、指示をされたことに渋々答えながら冷静に突っ込んでいるエッセイだったと思う。

職員室で私のエッセイがまわし読まれて人気になり、先生たちに「かき氷好きのお父さんかわいい。元気?」と謎に父が人気になってしまったのをふと思い出した。その時、文章を書くことは何か特別な技術がなくても、身近な物を洞察したり、愛着のある生活をシンプルに書くことで意外と人から共感してもらったり、支持されることもあるんだな、と思った。

その時から文章を書くことが少し好きになった気がする。

前職でジュエリーコラムの連載を持っていたのだが、顧客様や会社の人たち、そしてなぜか私の母の大学時代の友人まで私のコラムを読んでくれ、私の母の友人は長野在住にもかかわらず、東京に来た際に丸ビルのショップに遊びに来てくれたこともあった。突然お店に立っていたら「祐子ちゃん、コラム読んでるのよ。」と知らせに来てくれた。
ちなみに私はいつもお店に立っていたわけではないので、その日たまたまそこにいた偶然の喜びを伝えると「あら、そうなんだ」とマイペースに答えながら「祐子ちゃんのコラムが面白いから、好きそうな子に教えてあげたの。」と満面の笑みを浮かべながら帰っていかれた。そんな彼女の姿を手を振って見送ったが、後々誰に紹介したのかを母経由で聞いたところ、蜷川実花さんのアシスタントからデビューされ大活躍の写真家のMARCOさんだった。

私のコラムといえば、ジュエリーの作家の作品に込めたメッセージやその世界観などを書きつつ、必ず私のプライベートの酒のオチが着くようなゆるいコラムで、それを急に紹介されて、MARCOさん、一体誰の何を読まされているんだろう。と思ったのでは…と。

ただ、私はその時からMARCOさんを応援しており、素敵な世界観にいつも共感している。
文章を書くことで、コミュニティーが少し広がる。もしくは、もともとあったクラゲの足の透明な糸みたいなもので繋がっていたものが、ふとした時に目視できる、体感できるようなリアルな繋がりとして認識できるのかもしれない。

だから、ゆっくりでも自分のペースで等身大の文章を書いて行きたいと思う。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?