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自分の機嫌を自分でとる社会は本当に幸せか?

ニュースやTwitterを見ていて、「自分の機嫌は自分で取る」と言う言葉が広がっているなぁという印象を持っています。

自分の機嫌を人に何とかしてもらおうとしないという観点からすると私はこの意見に大賛成。 「私、あなたのせいでムスッとしてるんですけど!あなたが何とかしなさいよ!」って態度の人は扱いに困りますし、不機嫌なことが多い人よりも機嫌が良いことが多い人の傍にいたいというのは、人として自然な気持ちだと思います。


この先は、上記の前提を持った上で読み進めて欲しいのですが、私はTwitterで「自分の機嫌は自分で取りましょう!」Tweetを眺めるたびに、「でも、本当は安心して不機嫌になれる社会の方が安心して生きられるけどな」とちらっと思います。



そもそも、不機嫌になられたら嫌な人と一緒に生きているってことが問題じゃないかなと思ってます。 だって別に、好きな人がたまたまちょっと嫌なことがあって不機嫌って何にも気にならないでしょ。


むしろそんな時に「自分の機嫌は自分でとるもの」「あなたに迷惑かけちゃいけないから」と笑顔でいられたら、逆に私はその人に信頼されていないんだと少し傷つきます。自然に不機嫌でいて貰えた方が信頼されている安心感が得られるとすら思いますね。


上司が不機嫌だと嫌って、それ、そもそも嫌いな人と働いている (=生きている) んですよ。 不機嫌な状態を受け入れられない人と一緒にいるってこと。「自分の機嫌を自分で〜」と自覚することも大切ですが、それ以上に不機嫌な状態も安心して受け入れ合える関係性の中で生きていく方がずっと幸せじゃないかな。


私は、自分の機嫌は自分でとりつつも、時に不機嫌な気持ちになったらそのままで居させてくれる優しい社会を生きたいですね。



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対話支援ファシリテーター  げんどう ゆうこ
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