ちょびの性格

家の猫、ちょびが生後半年になったのでいよいよ去勢手術。野良猫だったので拾われた家で1回、家に来てから検診・ワクチン、採血・ワクチン、蚤取り薬と3回、近所の獣医さんの世話になっている。今回の去勢手術で4回目の訪院。

簡単な触診をしたあとで「あとは採血、レントゲンを撮って何にもなければそのまま手術に入りますから夕方ごろお迎えに来てください」と言われる。「ちょびくんは性格がいいから、まあ、大丈夫ですよ」とも言われる。

たとえ飼い猫でも「性格がいい」と言われるのは嬉しい。でもしかし「猫の性格がいい」というのはどういうことなのだ。人間ならば「親切だ」「優しい」「ほがらかだ」「おおらかだ」「悪口を言わない」「分け隔てをしない」「穏やかだ」「裏表がない」などなどなどなど、「性格がいい」のはこんな人かなという想像ができる。

猫はなんだ、私が転んでもじっと見ているし、盗み食いはするし、気に入らなければ猫パンチするし、朝寝坊すれば顔の上に座るし、親切に手を引いてくれることもないし、食べている餌を少し分けてくれることもない。悪口は言いたいが言葉がしゃべれないだけかもしれない。

私が人間的尺度で考えている性格の良さに該当するところはひとつもない。なのに獣医は「性格がいい子」という。

ちょびは無防備だ。これからちょん切られる性器も丸出しで、お尻の穴も丸出しで、なにしろ服すら着ていない。服を着ていなくても恥じらうそぶりもない。与えられた餌をうまそうに自分の分だけ食っている。なのに性格がいいらしい。

ちょびはめったなことでは怒らない。採血のときに抑えつけらて注射が痛かったときに一度だけ「フーッ」と唸った。
獣医師に触られても、看護師に首を持たれても動じずにいつもの表情で受け入れている。
動物病院はわけもわからない怖いところだと思っていない。新しく知る場所だからもっと見回りをしたいらしい。待合室で一緒になったほかの犬猫には淡々としている。そこにいないかのように自分のペースを保っている。
診療中私が離れても「にゃ」とも言わない。でも抱っこされると嬉しい。

つまり、少しのことでは動じず、自分の置かれている場を淡々と受け入れ、できることなら怒ったり悲しんだりするよりも楽しい気分のほうを取りたい。動物病院で見せているちょびの表情はそんな感じだ。獣医師はそんなちょびを「性格がいい子」と言った。もっと言えばちょびはちょびとしてそこにいるだけで獣医師から「性格がいい子」と言われたのだ。

服を着てなくても恥ずかしくないちょびは、アダムとイブが善悪を知る前の、不足を知る前の、人が本来は持っていたはずの「性格の良さ」を持っているのかもしれない。

そのままで、穏やかに、受け入れて、事足りて、まっすぐに立っていれば、ただただそれでよし。
去勢手術は無事に終わり、エリザベスカラーすらまっすぐに受け入れているちょびがいる。


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