地図を描く

駅前ビルで食事をしていたら窓の外にある塾の看板が目に入った。かつてこの塾のチラシ制作の仕事をしていたので、看板を見るだけでも懐かしい気持ちがこみあげてくる。通信簿が2の子を3に、3の子を4にというような教育方針の塾で、つまり、うんと勉強のできる子の受験を手伝うわけでもなく、とんでもなく勉強ができない子をなんとかするわけでもない、いわば教室内のマジョリティ、お母さんが「うちの子、もうちょっと何とかならないかしら」というどこにでもいる子を相手にすることで急成長した塾だった。

当時は家賃の高い都心部ではなく、東京近県や郊外の駅近くに次々に新教室を開いていた。駅の近くというのは明るく人通りも多く塾に通う子にとっては安全ということで駅前で開くことを重視していたと思う。運営会社は勢いづいており、毎月のように新教室が開かれ、チラシの裏面にはその案内を簡単な地図とともに掲載することになる。
今のようにグーグルマップなどない時代だったので、頼りになるのは地図会社が出している白地図と現地でオープン準備をしている教室長の案内図。それで何とか間に合わせようとすると、チラシ担当の役員からお叱りの電話がきて「これでわかると思う?」ということになる。
基本的に駅前に出すことになっていたから、「駅前だから誰でもわかるでしょ」というのが当時の私の言い分だった。
しかし相手から「交通費と日当を出すから現地を見に行って」と言われる。

現地を見に行くと、確かに白地図や手がきのポンチ絵では伝わらない景色が目の前に広がる。地図で太く描かれている道路はメインストリートと決めてかかっていたら、実際はポツンポツンとビルが点在する程度で、細い道の方が人通りの多い商店街で地元の人はそちらをよく利用するようだったり。
銀行が2つも3つもあるからそれがランドマークかと思えば、一番のランドマークは駅前の銭湯だったり。
「1Fがマクドナルド」と書けばあとは何も書かずとも地元の人は誰でもわかったり。
道路の幅も、地図上の数値的な幅と、人が行き交い車が走る幅では印象が全く違う。地図上では狭い道路が生活道路として重要な役割を果たしていることもある。

そんなこんなで、確か「現地に行かなければ1万円」「現地に行ったら2万円」というような地図描き起こし代だったと思うが、そんな金額をけちるような得意先でもなかったので、時間があれば必ず現地に行って地図を描くようにしていた。
忙しいんだからあいつバカなんじゃね?というような空気も社内にあったけれど、これはこれで面白かった。
ひたすら納期が厳しくクオリティも厳しく苦手な得意先でもあったのだけれど、教わったことも多い。今、あのメンバーで仕事をしたら面白いだろうになとも思う。

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