涙は次なるステージへのステップ
先日、アルバムを見ていた時のこと。
25年前の新聞記事の切り抜きが、写真と同じページにスクラップされているのを偶然見つけた。
それは、私が地元新聞紙に投稿した「断乳」というタイトルの記事だった。その内容は、生後11ヶ月の娘が一晩大泣きしたあと、ケロッとおっぱいをやめられたという話。記事によると、大泣きをしたのは、たった1時間半だったとのこと。
そうか。
たった1時間半のことだったのか。
私は、そのたった1時間半のことを、今でも鮮明に覚えている。
***
私は、強い決心でその夜を迎えた。
いつものように、おっぱいをくわえて眠りにつこうとする娘。私の服をめくり上げようとするが、その夜はなんだか様子が違う。お母さんがおっぱいをくれないのだ。それを察知した娘は、火がついたように泣き出す。真っ暗な部屋の中を、抱っこしながらなだめる母。身体をのけぞらせて泣き叫ぶ娘。声が枯れてしまうのではないかと思うくらい泣き続ける。
「こんなに泣かせてまで止めさせる必要があるのだろうか」
「いや、しかし、いつかは通らなければならない道」
服をめくり上げようとする娘。
"おっぱいバイバイね"と、必死に諭す母。
「可哀想だから、おっぱいあげてしまおう」
「でも、それじゃ何のためにこんなに泣かせたの?」
2人の私が交互に現れ言い争う。
「ごめん、ほんとごめんね。こんなに泣かせて」
泣かせている自分も泣きたくなった。
"心を鬼にする"という言葉の意味を生まれて初めて思い知った。
そして1時間半が過ぎ、娘はおっぱいから卒業した。
***
人は、生まれ落ちる時に、泣く。
私は思う。
「泣く」という行為は、次のステージへ進むための儀式なのではないかと。
卒業式や結婚式などの人生の節目。
失恋や、仕事や受験の失敗。
悲しい時、嬉しい時、悔しい時、寂しい時、
人は涙を伴にする。
次なるステージへ進むために。
断乳で大泣きした娘は、この涙をステップに大きく成長した。彼女は、この涙なしでは次のステージに進むことはできなかったのだ。
赤ん坊が、よく泣くということ。
それはつまり、目覚ましい成長を遂げているということを意味する・・・そう考えると合点がいく。
涙は次なるステージへのステップ。
涙を流したあとには、きっと成長した自分と出会える。泣きたい時には、思いっきり泣くがいい。そこから、次なる一歩を踏み出せばいいのだ。
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