メラミンカップを洗浄したら、初めてのフランスでの冒険を思い出した
自宅の食器棚を整理していて、ふと、昔お気に入りだったカップを見つけた。内側に洗っても落ちない茶渋、っていうかコーラの染み?笑 がついていて、見た目的にあんまり綺麗じゃないからなんとなく使わなくなって、ずっと奥のほうにしまってあったのだった。
メラミン製の食器にふつうのハイターは使えないからなんとなくそのままにしてあったけど、ちょうど酸素系の漂白剤が残っていたのでせっかくだからと2時間弱つけ置きしてみたら、思いのほかきれいになって嬉しくなった。
▲左上のカップ。プレートもおそろい。手前のスプーンは関係ない。
半分に切ってトーストしたブルーベリーのベーグルをこのお皿に乗せ、パルプ(果肉)がたくさん入ったオレンジジュースをカップに注いだセットがもうずっと私の朝食の定番だった頃がある。
イラストをよーく見ると中央に描かれているのだけど、実はこのカップとプレートは、留学中に学会出張で初めてフランスに行ったときに凱旋門の中のお土産やさんで買ったものだ。各6ユーロだった。
ただのプラスチックの食器なのに、円安に苦しむ貧乏学生で、毎日の食事さえも栄養より値段で選んでいた私にとってはもうめっちゃくっちゃ高く感じる(しかも、別に必要だったわけではない)買い物だったけど、きっとこの先10年以上、下手すればもう死ぬまでに2度と凱旋門に観光に来ることはないだろうから・・・!と、迷いに迷った挙句に並々ならぬ決意を固めて購入に至った記憶がある。
それだけ気合いを入れて買っただけに、その後のアメリカ生活では毎日のように使っていた。辛いときも苦しいときも、ストレスや不安と孤独に闘っているときも、アメリカ生活では数少ない「自分が本当に好きで選んで買ったもの」であるこのカップとプレートでごはんを食べると、よし、今日も負けないぞ、自分を信じるんだ、といつでも強い気持ちを取り戻すことができた。だからしばらく使わないだろうなとわかっていても、引っ越しのときも捨てることはできなかった。
アメリカ留学中、バイオメカニクス研究との出会い
フランスへの出張は、私が通っていたカリキュラムに在学するみんなが通例経験することというわけではなく、たまたま色々な要因が重なって運良く行く機会が得られたとても貴重な経験だった。
前述の通り、当時の私は円安のせいで持っているお金の価値が勝手にどんどん下がっていくという絶望的な不安と多大なストレスを抱えながら大学院の学費と生活費を自分の貯金から支払っていたので、留学中もどうにかしてなんらかの収入源を作ろうと(まだ勉強もままならないくせに)、とにかく必死だった。経済不安に真剣に悩みすぎて夜も眠れないこともあった。
いや、全くもって笑えない。
プログラムは秋セメスター(9月)開始だったが、修士課程のATプログラムに入学するためにはprerequisiteと呼ばれる必修科目の単位を持っていることが条件だったため、私はその年のプログラムが開講する8ヶ月前の、2014年1月に渡米した。最初はPhysical Education専攻の大学院生としてBSU(ブリッジウォーター州立大学)に入学した。その冬セメスターと夏休みの授業を合わせて、ATプログラムへ移籍の出願に必要となる必修科目の単位をすべて取る計画だった。
2014年の夏休みに受けていた必修科目の一つが、Biomechanics(バイオメカニクス)だった。私は高校時代数学があまり得意ではなかったし、物理も習っていなかったので正直言って当初はこの授業はついていけるかとても不安だった。しかし、一般的なアメリカ人大学生の数学レベルは私の予想のはるか下だった(笑)。
教授は中国人で、簡単なところから段階的にわかりやすく理解させるような教え方がとても上手だった。私は一生懸命勉強して、小テストも含め試験では常にいい成績をキープした。その授業の最後に、教授はこんな話をした。
「今、修士課程の学生の中から私の研究の助手を募集しています。Graduate Research Assistant(GRA)といって学費の一部免除システムがありますので、もし興味がある方は私のオフィスに来てください」
その時の私はアメリカ生活もやっと半年というところで、まだまだ慣れたとは全然言い難く、スポーツ文化も運動生理学も、英語も普段の生活さえも、全部に対してひとつも自信がなかったが、このセメスターのバイメカの成績だけはこの教室にいるアメリカ人の誰にも負けてないから、英語は下手でも「優秀な学生」といえるはずだ!という自負だけを頼りに、勇気を振り絞って教授のオフィスを訪ねたのだった。
結果、私はその教授の研究アシスタントに採用され、学校公認で職を得ることになった。この時の喜びは筆舌に尽くし難いものだった。誰かの手助けなしでは何にもできない最弱の状態でアメリカに行って、初めて自分の力で結果を示して、行動して、勝ち取った居場所であり、権利だった。特に、アメリカでオフィシャルに報酬を得るためのSSN(ソーシャルセキュリティーナンバー)を、渡米半年にして早々とゲットできたことは非常にありがたかった。
▲GRAの特典のひとつ、キャンパスに近い駐車場の駐車ステッカー。
教授の代理で研究発表のため、単身フランスへ
経緯の前置きが長くなってしまったが、私はこうしてバイオメカニクスの教授の研究アシスタントを務めることになった。日頃の業務はパソコンで画像のデータ処理などをもくもくとこなすというような、大変地味でわりと面倒な作業だったが(笑)、教授以外の人と会話をする必要もなく自分のペースで取り組むことができ、ノンストレスだったし意外と楽しかった。
そのとき教授が取り組んでいた研究のテーマが、アイスホッケー選手の前方・後方へのスケーティングのバイオメカニクス的な分析で、それを国際学会で発表する予定にされていた。
しかし、その学会が開催される時期にちょうど奥様の出産が重なるとのことで、「Yuko、代わりに発表しに行かない?学会発表のためだし、Scholarshipも応募できるよ」ということだった。
そんなわけで私は学内の2つのScholarshipに応募し、無事それらに採択されて合計$2000くらい(うろ覚え)の資金をゲットし、2015年6月、単身フランス・ポワティエへ飛んだ。
当初はポスター発表だけのはずだったが、後になって3分(短!)の口頭発表も追加され、パワポをつくって当日の朝まで一生懸命練習したのを覚えている。
▲現地で知り合った日本人の研究者の方が私の発表を見に来てくださり、写真を撮ってくださいました。感謝!
後半の日程をサボり、急遽パリへ
ラッキーなことに、私の発表は日程のかなり前半ですぐに役目は終わった。会場となった大学の寮に宿泊していたこともあり、日本から来られていた研究者の方や、他の国から来られている方々とも仲良くなって食事をしたり、フランス語がわからない外国人同士で一緒に街に繰り出して洗濯をしたり(?)、思いのほかスリリングで楽しい時間を過ごした。
私はまじめなので、他の方の講演やポスター発表もいくつか見に行った。でも、やはり数日ですぐにお腹いっぱいになった笑。なぜなら本来の私の専攻はアスレティックトレーニングであり、バイオメカニクスの研究の手伝いはあくまでも仕事としてやっているわけであって、そこまでこの学問に強い関心や展望を持っているわけではなかったからだ。
そこで、私はわりと思い切った決断をした。
せっかくフランスまで来たのに、興味のないことに時間を費やしている場合ではない。
当時、留学前にTOEFLを勉強していた自主勉強会で仲良くなった大学生の男の子がフランスに留学されていて、彼に「実は今フランスにいるんだけど、ちょっと会える?」と連絡をとったところ、パリで落ち合って数日一緒に周ってくれることになったのだ。
なので、「急に用事ができたから」とかなんとか言って荷物をまとめ、まだ日程は残っていたがさっそうと寮をチェックアウトした。その友人にメッセンジャーで聞きながらこの田舎町からパリまで行くルートを調べ、ネットで高速鉄道のチケットを買って、何の下調べもせず、計画もなしにとりあえずパリへ向かったのだった。
なんとかどうにかして(あまりよく覚えてないw)友人とどこかの駅で落ち合った。久々に会うのが大阪でもアメリカでもなく、パリであることに2人で笑った。
▲この青年が友人。今は金沢在住のはず。元気にしてるかな
オープンテラスで食事をし、英語はもちろんフランス語も多少話せるというスーパー頼れる現地在住・現役大学生の友人の案内で、メトロに乗ってまずは超ド定番のエッフェル塔に連れて行ってもらった。
▲真下から見上げると壮大で、とても美しい建築物だった。
彼曰く、フランスの学生は学生証を見せると多くの美術館などがタダで入れるらしい。「いやほんま最高っすよ。めっちゃ色々行きました」とか言ってて、鬼のように羨ましかった記憶がある笑。
そこら中に世界各国から来ていると思われる観光客の人がたくさんいた。橋の上を歩くだけでも絵になる街だった。
同じ日に凱旋門にも行った。彼は以前も上がったことがあるからといって、凱旋門の上には一人で行った(入場料がかかる)。私が中を見ている間、彼は適当に時間を潰しながら外で待ってくれていた。なんていいヤツ。
▲凱旋門の上から見たシャンゼリゼ通り(な、はず)。
冒頭の食器たちは、この写真を撮って下に降りる前に立ち寄った、凱旋門の中にあるショップで買ったのだ。
お皿に書かれた凱旋門と四方に伸びる通りのイラストを見ていると、このときの気持ちを思い出してちょっとだけ心がぎゅっとなる。今この文章を書いていても、旅のディティールは正直あんまり覚えてないのに笑、この頃の自分が毎日どんな気持ちで生きていたかだけはいつでも鮮明に思い出せる。
若い頃の経験って、何も無理して悩み苦しんだり、ストレスに立ち向かわなければいけないというわけではないとは思う。でも、気心の知れた人たちと遊んだり、娯楽や物欲を満たすだけではないお金と時間の使い方が、自分の人としての器をそれまで以上に大きく成長させてくれたし、その後の人生をより自分らしく生きるための感性を育ててくれたように感じる。
今現在の仕事の話などはなかなかオープンに書けないけど、過去の話を今の自分の頭で思い出しながら文章にしていくのも楽しい。思い出の食器をきれいにしたよっていう記事を書きたかっただけなのに、こんなに長くなったのは予想外だけど笑。
余談だが、パスポートを持っている国(=日本)以外の国から出発して別の国に行くという旅行が初めてだったので、うっかりF1ビザの書類を持たずにフランスに来てしまった。そのため、帰りシャルル・ド・ゴール空港からボストンの空港に戻り、入国審査のときにビザがなくて、空港の警察みたいな人に別室に連れて行かれた。もし強制帰国とか言われたらどうしようとヒヤヒヤしたが、事情を説明してホストファミリーか誰かにその場で電話させられ、なんとかお許しを得て無事にブリッジウォーターの家に帰ってくることができた。というところまでがこの旅の思い出である。
留学時代はほんと色々「あーやべー」ってことがあったので、今の生活で多少のやばいことには大して焦らないし動じないというメンタルも、こうやって育まれたのかもしれない。
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