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大人になってから米大学院に進学してよかったこと①

私は大学を卒業して社会人になって3年目のときに、一度仕事を辞めてアメリカの大学院に行くことを決めた。理由はいくつかある。

・当時の職場で何年働いても、理想の未来は手に入らないと気づいた。
・異動を希望したり違う病院へ転職したとしても、キャリアにたいして大きな変化は起こせないと感じた。
・どうせ仕事を辞めて、時間とお金を投資するなら「資格・英語・修士号」の一石三鳥くらいを効率よく得たほうがいいと考えた。

認定看護師を取るとか、専門学校でスポーツに関わるキャリアにつながりそうな医療従事者の資格を取るとか、そういうのももちろんひと通りは検討した。でも、わざわざ別に嫌いじゃないし普通にうまくいってる仕事を辞めて、貯金を崩して20代の貴重な数年を勉強に費やしてまで、「ちょっと興味あるかも」程度の領域に参入する意義はどうしても見出せなかった。

もともと海外志向だったわけではない。英語は受験勉強以外で触れたことがなかったし、英語の読み書きや英会話ができなくて困ったり悔しい思いをした経験も特になかった。なんなら一生大阪に住んでいたいと思ってた。

でも、自分の仕事に関わることが英語で処理できたらキャリアの幅は広がるだろうということ、短期の語学留学とかじゃなくて現地の人たちと肩を並べて学位を取る経験は、当時の仕事をあと3年続けるより、何倍も人間としての底力をきっと成長させてくれるだろうと予測できた。

「看護師」という職種にまた就くかどうかはもうわからなかったが、代わりにそれ以前には絶対に持ち得なかった選択肢を手にすることができるはずだ。そういう"勝算"が見えたから、わざわざ激務だった病棟勤務と並行して遊びも飲みも全部断って本気でTOEFLの勉強をして7回も試験を受けて、全く知らん土地の大学の何回読んでもよくわからん情報を泣きながら調べて、親に猛反対されても無視して、アメリカの大学院でスポーツ医学を学ぶことに決めた。

「これは確実に私の人生を変えるchallengeだ。貯金がゼロになっても、この学びがその後の仕事に直接的に生かせなかったとしても、絶対にやったほうがいい」と心から思えた。今から思うと、自分のことながらすごい情熱だ。若かった。しかしそれほどAthletic TrainingというProfessionはあまりに魅力的で、私はすっかり心を掴まれてしまったのだ。

なお看護師という仕事にももともと特別な憧れがあったわけでもなんでもなく、Healthcare Providerとしてのキャリアを始めるにあたってちょうどよい土台になるだろう、くらいの気持ちで打算的に選んだ最初の職業だったので、その後もし二度と白衣を着ることがなくなってもまあいっか、くらいにはこだわりがなかった。むしろ今もまだ白衣着て仕事してることに驚く。

そんなわけで、かなり珍しいパターンで(自分以外にこんなモチベーションで渡米した日本人ATCにはまだ会ったことがない)、メジャーリーグやNFLやNBAへの憧れどころか、そういうのには大した興味やアメリカで叶えたい夢も特にない普通の内科の看護師が、「このまま何の得意分野もないままパッとしない看護師人生を、酒飲んで愚痴って文句言って定年まで続けていくのなんか絶対嫌や!!自分で運命を切り開いてやる!!!!」というわりとネガティブスタートな理由でアメリカでアスレティックトレーニングを勉強することにし、それで結果的にもう全然人生変わった。という話をしようと思ったけど、久々にこういう話を書き始めたらちょっと長くなってしまったので、次の記事に続きます。

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