見出し画像

岡本太郎展 意外な一面に目を向ける。

先日、愛知県美術館に行ってきました。
岡本太郎展がやっていることは知っていましたが、行こう。とまでは思っていませんでした。 
ところが、このnote記事を見てやっぱり行っておきたいと思ったのです。

平日の午前中でも、当日券を買う為に常に40~50人は並んでいるくらいの人の多さでした。
阿部サダヲさんの音声ガイドを聞きながら見て回りました。
そんな中、他とは雰囲気の異なる意外な一枚の絵に目が止まりました。

所狭しと作品の数々が並ぶ。全て撮影可能。


太平洋戦争下、陸軍兵として中国へ出征中、 描いた一枚の絵 『眠る兵士』

四つ折りの跡から、
手元にあった紙にペンを走らせた様子が伺える。
束の間の休息を取る兵士の寝息が聞こえてきそう。

この絵は意外でした。
私が描いていた岡本太郎のイメージになかったからです。
奇抜でエネルギッシュな抽象画や造形物が並ぶ中、色のないこの絵は生々しさを映し出す反面、温もりを感じるような不思議な感覚になります。
この時岡本太郎は30代ですから、弟のような若い兵士に向ける眼差しは温かかったのかな。と想像されます。
上官の命令で師団長の肖像画を描いたり、終戦後もすぐには帰還できず俘虜になったりと、多くは語らずともかなり苦しい経験をしてきたのだと思います。

帰国後、戦火でそれまでの作品は自宅と共に焼失してしまったことを知った時は、どれほどの喪失感と絶望を感じたのだろう。想像もつきません。

その後は、その反動とも思える程に意欲的に創作活動を行いました。

大阪万博のシンボル『太陽の塔』を手掛け、全国各地からの壁画やシンボルモニュメントの依頼に応え、テレビやCM出演で人気者になりました。

阿部サダヲさんの音声ガイドでは確か、「その頃、本人は空虚のボクシングミットにパンチを打っているような感覚と漏らしていた」というようなことを言っていて、時代に持て囃され、打っても手応えを感じなくなっていたのだと、それを自覚しながら、晩年まで内なるパワーを絵にぶつけていた。ということを知りました。

最後に

可愛い、面白いと思って写真に納めた作品です。
ど素人で、絵のことは詳しく分からないですが、想像するのは自由ですから、そういう楽しみ方で美術に触れるのもありですよね!

1940 『傷ましき腕』
出征前に二科展に出展
1950『森の掟』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?