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小説『衝撃の片想い』第二部【再会】最終章~友哉の母親

【登場人物】
佐々木友哉 奥原ゆう子

浦川夕子

佐々木絵美子

シンゲン(声) 喜多川晴香(声)

松本涼子

ゆう子のAZが赤く光った。ロンズデーライトが施された薄い赤茶色のAZが真っ赤だ。
ゆう子はまさに飛び起きた。
夜の九時だったが、少しうたた寝をしていたのだ。
――エントランスに重要人物。なにそれ? 誰?
すると、AZに文字が浮かんだ。
『友哉様のお母様です』
「ええ!?」
AZからエントランスの様子が見えた。七十歳くらいの女が立っている。傍にもう一人、五十歳くらいに見える女性も立っていた。
「涼子ちゃんが自殺したのかと思ったよ」
『涼子さんは我々が監視しています』

AZからの指示で、ゆう子が慌てて部屋から出て降りていくと、
「あ…」
と絵美子が声を上げて、
「はじめまして。友哉の母です。ずっとここで待っていようと思ったのに」
と言った。ゆう子はやや緊張しながら、
「友哉さんはいません。新宿のホテルです。お隣の方は?」
と訊くと、彼女は頭を下げてから、
「突然、すみません。わたしは佐々木さんの昔のお友達で、浦川と言います。浦川夕子です」
と告げた。
――誰? トキさんからもらった夢の映像にはいないな。名前は聞いたことがある。裏カジノの時に友哉さんが言っていた人か…
「そうですか。あの子は会ってくれますか」
と言う。ゆう子は客用の応接ロビーに友哉の母と浦川を連れて行った。
「用件次第だと思います。よくわたしのマンションを調べましたね」
淡々と言う。ゆう子の心臓は破裂しそうに鼓動していた。
――友哉さんはお母さんを憎んでいる。暴力は振るわないけど、母親を冷たく突き放すかも知れない。それにわたしと同じ名前のこの女、何者よ。なんで友哉さんのお母さんと一緒なんだ
「週刊誌に新宿の高級マンションにあなたといると書いてあって、そう、あの子の朱色の車。今は違うみたいですが…。彼女は地元の知り合いで付き添いです。…わたしも長旅が辛いので」
「そうですか。用件を友哉さんに伝えます」
田舎のお嬢様が、老いたような女だった。薄いブラウンのワンピースを着ていて若々しい。彼女が二十歳の時の子が友哉だ。三十歳くらいで男と蒸発している。
――ちょうど、セックスが楽しい時期か。
友哉の母、絵美子は改めてゆう子に頭を下げ、
「女優の奥原ゆう子さん。まさか、あなたが友哉の彼女だなんて」
と小さな声で言った。力強さはなく、見た目は美しい老婆だがか細く、今にも倒れそうだった。
「彼女ではありません。本当の彼女を呼びましょうか」
利恵か涼子に連絡するかためらう。涼子はきっと仕事が終わったくらいだろうか。利恵はマリーを飲んでいるから、まともに話せないかもしれない。
「本当の彼女? 松本さんですか」
浦川がそう訊くと、
「すみません。あなたが誰なのか分からないと、ちょっと友哉さんは呼びにくいです」
と正直に言った。女に神経質になっているのはゆう子の方だった。
――歳はだいぶいってるけど、なんか馴れ馴れしいな。昔は可愛かったんだろうな。けっこうな美人。くそ、さらっと涼子ちゃんのことも口にするし、元カノ?
「わたし、もしかすると佐々木くんの元カノです。自惚れるところがあるから違うかもしれません。中学生の時に、いつも一緒にいました。デートしていたんです」
「しばし、お待ちを」
ゆう子が後ろを向いて、AZを取り出した。
『誰だよ、この女。データ、あんだろ』
『なんですか。その訊き方は』
『うるさいよ。データ出せ』
『友哉様の少年時代のガールフレンドにやきもちですか』
『うるさいよ。今、馴れ馴れしいなら少年時代から、ぴょんぴょん跳ねてきた元カノってことよ』
『付いていけません。そうです。元カノです。自惚れている? そんなことはないですよ。友哉様は少年時代、彼女と一番、仲良くしていました』
『あっそう。なんでこの女はソドたちが狙わないのさ』
『浦川夕子、友哉様の記憶から所在不明です。ソドたちには彼女がどこにいるのか分かりません』
『これが本当の歴史なら、ここにソドの仲間が現れる可能性はあるよね』
『残された時間と優先順位を考慮すると、あまりありませんね。確率の計算します。…出ました。2%です。涼子さんがやってきても、7%。恐らく、目の前に友哉様がいたら歯が立たないということです。満足しましたか』
AZはゆう子の返事を待たずに消えた。
ゆう子は改めて、二人に振り返ると、
「お騒がせしました」
と言い、二人をきょとんとさせた。AZと頭の中で話しただけで騒いでないのである。
「面白い方ですね。テレビでも明るくて」
「あなたに言われたくないです。元カノの夕子さん」
――つまりあれか。友哉さんの初めての女だから、わたしに見せなかったのか。プライバシーの保護ね。くー、この様子だとこの女の初体験が友哉さん。しかも友哉さんの母親と一緒に来るとは、人生最大の敵が人生が終わるまじかに現れたと言っても過言ではない。まさに悲劇のヒロインのわたし…
「お母さま、どうします? 奥原さんは本当に片想いのようです」
「そうなんですか。だったら、その松本さんに相談した方がいいのかしら」
「片想いだけど、わりと仲はいいよ。で、相談は何を?」
「お金が必要なんです。あの子が独り身なら、あの子に頼めばいいんですが、恋人が奥原さんだと思って、居場所も分からないし、奥原さんの許可を得ないといけないと…」
絵美子が言った。
「許可なんかいりませんよ。本人に貸してって言えばどうですか。涼子ちゃんもきっとそう言います」
「松本涼子さんですか、やっぱり…」
浦川夕子が神妙に言う。
「あなた、都市伝説に過ぎない涼子ちゃんを知ってますね?」
「函館の旅館に佐々木くんと居ました。わたしとは会ってません」
ゆう子は目を剥いた。
――わたしが知らなかった事を知ってる。友哉さんと涼子ちゃんの仲…
「新宿のどこのホテルですか」
「呼びますよ。すぐに来ます」
ゆう子がリングを見て、
――友哉さん、今、元気? なんとお母さんがわたしのマンションにきたよ
と教えた。
すると、
「だから?」
と返答がきた。
――はあ…思った通りの反応だ。
ため息を吐いてしまう。こんな有事を想定して生活してる男のひとだもんな。それこそ、わたしと利恵と涼子ちゃんが一緒に心中するとかトキさんが何度も現われるとか、それくらいの出来事じゃないと驚かないか。ま、逆にガムを踏んだら、びっくりするひとだからかわいいんだけど。…じゃあ、これならどうだ!
――浦川夕子って女も一緒よ
「浦川? まさか。そんな組み合わせはありえないよ」
――目の前に威張った態度でいる。少年時代の元カノだって
「外国にいるはずだし、俺の母親と一緒に来る理由がない。画像を送れ」
――おやおや、想定外の出来事にうろたえてるね。やだ。自分で見にきて
「これだけ有名になればいろんな女や昔の友人がやってくる想定はしている。だが、浦川と母親が一緒に来ることはない。おまえが何を怒ってるのか知らないが、迷惑をかけたね。帰るように言ってくれないか」
――お金が欲しいそうよ。富豪の友哉さん、百万円くらい渡したら、二度と来なくなるんじゃないかなあ
煽ってみると、十数分ほどで友哉がやってきた。タクシーできたようだ。
「親父の墓は府中だ。おっと、間違えた。秩父の霊園に移したんだ」
と言いながら、挨拶もなしに歩いてくる。ジーンズではなく、紺色のスーツに白いシャツ。大河内に会った時に着ていた服だ。
――うわ、怒らせてしまった。怖いよう。個性派俳優になれるよ、このひと。
ゆう子は泣きそうになった。思わず目を背けてしまう。
「何十年ぶりかしら」
母親もそれほど感極まった様子を見せない。
――似たもの親子?
ゆう子は目を丸めた。
「本当に浦川か」
友哉が、母の隣に座っている女に目を向けた。彼女は涙を浮かべていた。
「佐々木くん…久しぶり…」
立ち上がった彼女は、友哉に抱きつくような素振りさえ見せた。ゆう子がいるから我慢しているようだ。友哉の方が肩に手を置き、
「捜してたぞ、みんなが…」
と言った。
「え…いつの話?」
「だいぶ昔に恭子さんの彼氏がやってきた。あの時の大野っておじさんだ。十年以上前だ」
「そうなんだ。ごめんなさい。わたし、日本に戻ってたの。恭子さんから頼まれたんだ。佐々木くんとお母様を会わせてあげてって。今は函館市に住んでるの。十年くらい前から」
「函館市? ニアミスだよ」
「うん。あの旅館に行って、支配人の人に聞いてきた」
「ちょっとそこの二人!」
ゆう子が声を上げたのを見た友哉がため息を吐いた。
「なんなのそのため息は? 思い出話なら、百年後にして。今はそれどころじゃないの」
「そうね。浦川さん、百年後はともかく、今日は帰りましょう」
「浦川に免じて話を聞く」
「ほら」
浦川夕子が笑った。
「友哉があなたのために電車を止めたって本当なのね。良かった。その前に旦那と別れてて」
数十年ぶりの母親を見ても、初恋のような女を見ても、感情をあまり出さない息子を見た絵美子が言う。
「お、お母様、その言い方はちょっと…。わたし、助けてもらった立場やし」
「だって、学校とか警察とか大騒ぎだったんでしょ」
「そうやったけど…」
「神話とか好きな子供だったから、自分を神格化したかったのよ。気持ち悪いでしょ」
「ですから、そんな言い方は佐々木くんが傷つくかもしれへんから…」
「傷つかない。子供の悪口を言う親はごまんといる」
友哉が語気を強めて言う。そして実の母親を睨んだ。
「そやけど…」
――大阪弁?電車を止めた? あの事件の時の少女か
ゆう子が二人の会話にそば耳をたてている。二人は寄り添うようにして立ち話をしていた。
「あ、奥原さん、気にしないでください。わたしが中学生の時に自殺しようとしてホームから線路に飛び込んだのを佐々木くんが助けてくれたんです。命の恩人です。その時にお友達になったゲームセンターの大人の人から、お母様のことを頼まれたんです」
「ふーん…」
「ゆう子、涼子が少し知ってる。イライラするな」
「なにー?涼子ちゃんも知ってるのか。で、わたしは知らないのか。ああ、そうかい…」
「ゆう子、カジノの話だ。だから涼子が知ってるんだ」
「あらま。あの話と繋がるのか。分かった。ちょっと亀になるよ」
「貝だ。…こっちの夕子。あっちのゆう子は亀みたいに長生きするのが夢で今から貝になるそうだから、用件はゆっくり話しても問題ないみたいだ」
「おかしい。佐々木くん、そんなジョークが言えるようになったんや」
浦川夕子が、本当におかしそうに笑った。まるであの頃の、夕陽の中の少女のように…。
淀川の河川敷の芝の上に寝転び、ずっと夕陽と川を見ていた友哉と夕子。孤独だった二人のひと時の安らぎだった。そんな寂しそうな二人を、大人が子供の恋を茶化すようにして、笑わせてくれていたのが、大野という三十歳くらいの男とその恋人の恭子だった。
「だから、昔の友哉さんを知ってます態度、やめてくれない? それね。涼子ちゃんでトラウマなの」
「ゆう子、貝になってない」
「……」
ゆう子が黙ったところで、浦川夕子が口を開いた。
「率直に言うと、お金が欲しいそうです。お姉さんの雪絵さんが、佐々木くんを心配して損した慰謝料も含めて」
「そうよ。心配してもこの子はこれだから。大人の男よりも疲れる子供だったのよ。浦川さんも、こんなバカ、早く忘れなさい」
「18世紀のフランスに、あんたに似た王妃がいた」
ずっと浦川夕子の横にいた友哉はそう言うと、ゆう子の隣に座った。母の絵美子は友哉の正面に改めて座り直した。その横に浦川が座る。
「マリーアントワネット?」
「だったら、ギロチンで首を切られるわけだ」
「友哉さん、ぶつよ」
ゆう子がそう言うと、友哉は少し子供のような表情を作った。口を尖らせたのだ。
「あら、奥原さんが恋人みたいね。涼子さんって誰なの?」
「あんたには関係ない。で、いくらだ」
「ロスのこと、都市伝説。いろいろ調べたら、お金持ちって噂もあったの。ずっと高級ホテル住まいとか。三百万円ほど貸してくれない?」
「ちょうど欲しい車があって、それが一千万円。それを明日買いに行く。だから当座の金はない」
「友哉さん、本当にぶつよ」
ゆう子がまた言うと、友哉は今度は、
「ぶつならこいつをぶて」
と言い返した。
「函館にわたしを探しにきたのに?」
唐突に言う絵美子。
ゆう子が、「え?」と言った。
「あなた、作家としても有名だったのよ。かわいらしい子を連れて田舎を歩き回ったら、耳に入るわ。雪絵が旅館の人にも聞いたし」
「その時にいたのが涼子。あいつが、あんたと会いたいと言った。俺が捜したんじゃない。あんたが買い物に行く市場に行ったけど、見つからなかった」
「まあ、そんな昔からの彼女? じゃあ、もう若くないのね。早く結婚してあげなさい。それとも、奥原さんと迷ってるの?」
「あんたに恋愛の説教は受けない」
「どんな女性?」

――傷かつないなら、お母さんのことも許せるよね

涼子は雪が舞う函館市内を歩き回りながら、友哉に力強い口調で説いた。
「わたしのお母さんがあなたとの結婚を許してくれないなら、あなたのお母さんに許してもらう。それに、あなたのお母さんに会いたい。お父さんもいないならせめてお母さんに会いたい。わたしが命を棄てなかったのは、あなたと家族がいたから。家族は大切なの」
「松本、三李、真理子さん…。三李と一緒に寝てる三毛猫。家族はいいな」
友哉がそう言うと、涼子は頷いて、函館市内にある市場に駆け込んでいった。
「ここで働いているって…」
そう口にしながら、一軒、一軒、お店を見て回った。涼子が吐く白い息が函館の空に消えていき、
「おまえは白い印象ばかりだ。帰るぞ」
友哉の母は見つからず、涼子は肩を落とし、二人は駅に向かった。

「そういう女だ」
「傷つかないのね。だったら、お金の無心にも動じない子よ」
「金はなんのために使うんだ」
「会いたい。その涼子さんって人にも」
「金は何に使うんだ」
「貸してくれる気持ちがあるのね」
「ない。聞いておいて車を買う」
ゆう子が大きなため息を吐いた。頭を抱えてしまう。
「変わってないわね。友哉」
「え? 子供の頃からこんな大根役者でしたか? 絶対にお金、渡しますよ。ご安心ください」
ゆう子がそう言うと、友哉がまた子供みたいな表情を作った。浦川夕子がその顔を見て、安心した表情を見せる。
「まあ、そうなの? 良かった。そうよ。天才。わりと長持ちする天才なのね。今、五十歳?」
「早熟じゃなくて悪かったな。皆から嫌われてる人生だ」
「それはあなたが悪いの。天才なら天才が似合う職業に就けばいいのに、小説を書いているからでしょ。昭和だったら、日本史に残ったかもしれないけれど」
「三百万円は家を出て行った時の男が不能になったか、その後の男が不能になったから、その治療費に使いたい。それなら貸してやる。セックスは無理だが、元気な男のあれは見たいだろう」
「はあ? 母親になに言っちゃってんだ、あんた」
ゆう子が声を上げた。浦川夕子もびっくりしている。また、
「佐々木くん、饒舌になったなあ」
と感心していた。
「楽しい子。こんなに楽しい子を捨てたのね。わたし」
「自惚れないで欲しい。捨てられたと思ったことはない。こっちから、願い下げだ。ゆう子、近場のATMから出してきてくれ。百万円でいいよ。百万円で我慢してほしい。トキの金だ。タイムパラドックスが怖い」
と言って、キャッシュカードを渡した。
「タイムパラドックス?」
「こっちの話は聞くな」
「はいはい。前の奥さんとの孫の顔を少し見たいんだけど」
「アメリカにいる」
ゆう子がマンションから出て行った。ゆう子が席を外したのを見て、
「奥原さんは、あなたを叩くことができるのね。素敵な女性じゃないの。わたしが、悪いことをしたあなたを叩こうとしたのを避けたでしょ。さって。叩いてくれる女性と結婚しなさいね」
と絵美子が母親らしい言葉を作った。
「死期が近づいたから丸くなったのか」
友哉がそう言うと、絵美子は真顔になった。浦川夕子が、
「佐々木くん、お母様、そんなに長くないの。あんまり怒らないで」
と言った。
「怒ってない。これが俺たち親子だ。おまえとも会えたし、あっちのゆう子は久しぶりに面白かった」
「そ、そうなんや」
「俺も一回、事故で死にかけて丸くなった。ところが、さっきの奥原ゆう子や涼子たちが、俺をやんちゃに戻したんだ。おかげで、疲れが溜まって仕方ない」
「そしたら、女を抱きたくなるでしょ。戦ってるから」
「……」
「わたしの彼もそうだった。実は友哉、あなたのような男よ。天才的な人だった。皆から嫌われていた。画家よ」
「俺をバカ、バカと罵っていた母親に天才って言われて気分が良くなった。ちょっと聞いてやる」
「頭のいい子にバカって、美人に、君は怒ったらブスだぞって言うのと同じなのよ。それには気づかなかったのね。じゃあ、天才じゃないのか」
「なるほど…」
頷いたのは浦川夕子で、
「浦川、なに感心してるんだ。子供にはそんなことは分からないよ」
と友哉がため息をついた。
「そう。普通の子供だったって言いたいわけ? まあいいわ。彼は急に絵が売れたの。そうしたら、攻撃されるようになった。同じ画家や絵のマニアたちから。その度にわたしの…気持ち悪いか。母親のセックスの話は」
「気持ち悪いね。聞かなくてももう分かった」
「今の日本に、そんな男女の関係はなくなったから、あなたは孤独に泣いているかと思ったら、なんと女優さんを愛人にしていたのね。さすが、わたしの息子よ」
「余命は?」
「一年くらい」
「楽しい人生だったか」
「そう言ったら?」
「殺すかも知れない。あんたは親父を惨めにした女だ」
「楽しい人生だった」
浦川夕子が思わず立ち上がると、そこにゆう子が駆け込んできた。友哉の背中に抱きつくようにして、そして彼の右手を押さえた。
「やめてよ。お願い。お母様も彼を怒らせないでください。CIAに友達がいるような息子さんですよ」
「盗聴は良くないぞ、ゆう子」
「さすがの友哉さんも、お母さんに緊張してるのね。筒抜け」
「何度も同じことを言わせるな。この組み合わせにどう会話を持っていけばいいのか、苦労してるだけだ。分かるか。仮に浦川を初恋の女だとする。なぜ仮なのか、それは俺は美しい女は好きになるから、どのクラスのかわいい子が初恋なのか覚えてないということだ。浦川、今の聞いたか」
「うん。美しい浦川夕子です」
彼女は俯いて、頬を朱色に染めた。
「よし。初恋の女の子と自分を棄てた母親が同時に現れたら、どう話すか。初恋の女の子に笑顔を送ると、母親に勘違いされる。母親を睨むと初恋の子が、わたしは邪魔なんだと思う。どちらも俺は困る。会話も同様。二人の目的がなぜか同じだから、どちらに話を向けていいか分からない。そして主役は母親なのに、拒絶する言葉も批判的な言葉も、母親を連れてきた初恋の子にしている錯覚にこちらは陥る。片方は初恋の懐かしい女。片方は子供を棄てたムカつく母親。さあ、どうする。ユングに訊くか」
「ほんと、おかしいわ。こんなに喋る佐々木くん」
「天才に知識がついたらこうなるのよ。うるさいね」
「お姉さんの予想通りやわ。特別に心配する必要はなかった」
「ほら、ゆう子。この二人、俺との関係はまったく違っても目的が一緒だから、だんだん、母親と初恋の女の子が同化してきた」
「ほんとだ。これは難儀だね」
ゆう子が苦笑いをした。
「じゃあ、ちょっと奥原さんと話すわ。わたしと彼が一緒に癌。二人を一緒に治療するお金がないだけよ。彼はもう病院から動けないの」
「お子さんはいらっしゃらないんですか」
ゆう子がそう訊くと、絵美子は頷いた。すぐにゆう子がAZの中にある晴香の写真を見せた。
「これがお孫さんですよ」
絵美子は目を輝かせて、晴香の写真を見つめていた。しばらくすると、
「かわいい。友哉に似ている」
と笑った。
「膵臓癌。腰が痛いか」
友哉がそう言うと、絵美子はきょとんとした顔を見せた。二人の『ゆうこ』が目を丸める。友哉のリングが緑色に光っていた。
「なんで知ってるのかしら。今はどこも痛くないわ。久しぶりに気分がいい感覚」
――なんてひと。光で脳を刺激して痛みを緩和させたんだ。
女に、気づかれないように優しさを与えるこの癖はなんなのだろう。それで利恵も失ったのに。
涼子ちゃんの心と体を大切にしていたら、俳優に奪われ、律子さんのセックスレスを尊重したのに離婚され、愛人たちの健康をこっそりと診ていたら、朝になったら彼女たちはいなくなる。
利恵の過去の乱交を気にせずに、愛してたのに、それに彼女は気づかなかった。
なのに…。
今、子供の頃に消えた母親を憎んでいるような言葉を作りながら、体を労わっている。
――偽善が大嫌いな彼は、女に偽悪な男なんだ。その偽悪が女たちには本当の悪に見える。偽悪を見せてしまうのはこの母親のせい
ゆう子は無性に腹がたってきた。
「お母様。友哉さんはきっと生まれた時から人に優しくて、天才だとしたらその天才です。だけど、お母様の一件から、女が嫌いになりました」
「変なこと言うなよ」
友哉が、ゆう子の膝をそっと叩いた。浦川夕子は何も言わない。友哉が目の前にいる女性には優しくすることを知っている。女の直感で、友哉が、母親に何か優しいことをしたのだと分かったようだった。それが超能力なのか、催眠術のようなものか、それは浦川夕子には分からない。だか、急に痛みが取れてとても嬉しそうな顔をしている絵美子を見て、『これが世界中の人が驚愕している英雄、佐々木友哉の力なんだ。わたしもそう。彼にすべてを捧げた』と実感していた。
「だけど、女に優しくする癖が治らなくて、それを女たちが知らないところでしている。女たちは友哉さんに命を守ってもらっていたのに、皆、いなくなります。彼の優しさは世界一。だけど、見えにくくて深すぎて…。そう深すぎて見えないんです。わたしたちは友哉さんをとても傷つけてきた。わたしは何事も人のせいにしたくない。だけど半分はお母様のせいです」
語尾がきつくなった。
ゆう子に説教をされた絵美子は、辛そうな面持ちになった。
「ゆう子、もういいよ。ゆう子は帰ってきたし、涼子もまともになってきたよ。あんた、本当に人生は楽しかったか。俺は余命が判明した友人にそう訊くようにしているだけで、深い意味はない」
「あなたに、お母さんって言ってもらったら楽しかったかも」
「お母さん」
友哉は、さらっと口にした。ゆう子が、「え?」と声を上げる。浦川夕子は、思わず微笑んだ。
「男と酒でよく長生きしたもんだ。運がいいな、俺のお母さんは。褒めていないぞ。悪い奴ほど長生きする。ホテルに泊まる金はあるようだが、突然死されたら困る。俺のホテルに部屋を用意するからそこに浦川と一緒に来い。婚約者の涼子も呼んでやる。晴香にも電話させよう」
そう言いながら、立ち上がり、足早に去っていった。
絵美子が泣いている。そしてゆう子も。
「お母様、友哉さんのいるホテルは、タクシーでワンメーターですよ」
ゆう子が声を上擦らせながら教えると、絵美子は大きく頷いた。
「すみません。なんかあの子、二股かけてるみたいですね。わたしに似たんですね」
「二股じゃありませんよ。わたし、涼子ちゃんと友達なんです」
ゆう子はそう言って、絵美子の背中を擦った。
「奥原さん」
浦川がゆう子に声をかけた。
「はい」
「わたし、あわよくば、いい歳して、また佐々木くんに抱いてもらえないかなあって思ってきたけど、母親が大事すぎて一緒の部屋みたいです」
そう笑い、友哉が消えた扉を見た。
「また?」
「また」
「ふーん…」
「また出直してきますね」
「そうしてください」
二人の「ゆうこ」はぎこちない笑顔を交わしあい、友哉の母、絵美子の看護をしていた。

「お婆ちゃん? え? 本当に」
ロサンゼルスから国際電話をかけてきた晴香が息を飲んだ。
「佐々木絵美子と言います。あなたのお父さん、友哉の母です。晴香ちゃんね」
「はい…。良かった。お父さんと今、一緒にいるんですね」
「隣にいるわ。新宿のホテルなの。留学してるのね。偉いわ」
「わたし…。あの…お父さんもお母さんも、お婆さんも、きっと亡くなったお父さんのお父さんも、皆、頭がいいから、それだけで学校で成績が良かっただけなんです。ありがとうございます」
「まあ、なんて謙虚な子なの」
絵美子が嬉しそうに笑ったら、友哉が、
「晴香、熱があるようだ」
と浦川夕子に言った。「へえ、そうなんや。普段は佐々木くんと同じで口が悪い子なのね」と笑う。
「お婆ちゃん、ちょっとお父さんに替わってもらえますか」
そう言われた絵美子は、友哉に受話器を渡した。
「五月二日までお婆ちゃんは東京にいるの?」
「いない。函館に帰ってもらう」
「わたしは行ってもいいの?」
「五月二日か? ダメだ」
「分かった」
友哉が、母、恵美子に受話器を返すと、部屋のドアが開き、涼子とゆう子が入ってきた。
涼子は、友哉の母、恵美子を見ると、涙を零し、
「捜しました。函館で、お母様を捜していた時に、このひと…友哉さんと婚約していた松本涼子と言います」
と頭を深く下げた。
「婚約は破棄? でもなさそうね。これからも友哉をよろしくお願いします」
絵美子はそう言うと、涼子の頬にそっと手を添えた。

友哉の母親 了


普段は自己啓発をやっていますが、小説、写真が死ぬほど好きです。サポートしていただいたら、どんどん撮影でき、書けます。また、イラストなどの絵も好きなので、表紙に使うクリエイターの方も積極的にサポートしていきます。よろしくお願いします。