小説『衝撃の片想い』シンプル版【第五話】①
【帰ってきた夢、涼子】
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友哉は、セックスの余韻で深く眠ってしまって起きない利恵を見て、スパの時間にアラームをセットして部屋から出た。
『先に帰る。イベントは間に合わないと思うけど、会場の方の六本木に行く。もし起きたらここに電話をして。スパの時間にアラームをセットしてある。それから部屋は二泊にしておいた。好きな時間に帰りなさい』
電話番号のメモを残し、五万円を置いていった。
【利恵がホテルから出た後のシーンがあるスピンオフ。五万円は淳子に渡す】
◆
一億円も持っていて、五万円しか渡さなかったことを少しばかり気に病むが、出会ったその日にお金を使いすぎるのも、まさに、金の切れ目が縁の切れ目になりそうで怖かった。
それにあのお金はトキから受け取ったビジネスのお金。
三百億円は、巨悪組織の口封じなどに使えば、あっという間になくなる小銭でもある。
――まあ、そんな面倒な事件までやりたくないが、警視庁が動いてるんじゃ、無駄遣いできないか。大丈夫かなあ、俺。佐々木時でいるうちは、晴香にも迷惑にならないだろうが……。
娘を気遣ないながら、ゆう子のマンションに行く途中、利恵が行く予定だった六本木の方面に向かい、クレナイタウンのテラス席がある二階のカジュアルレストランで休むことにした。
利恵も寝てしまったし、夕食の予定もない。
――ゆう子と夕食をするのも気が引けるし、ここで食べておくか。
友哉はテラス席のあるレストランでカラスミのペペロンチーノを食べた。
もう辺りは暗くなっているが、クレナイタウンには活気と華やかさがあった。
利恵のセックスでは心身ともに回復したが、都内を車で走ってきて、ストレスの疲れが出た。トキから与えられた力は友哉のメンタルの強さ、弱さになんの変化も与えていない。
リングの光で、そのストレスを拭うことはできるが、少し渋滞に疲れただけでイチイチ、魔法のような力を使うのも躊躇する。テーブルの上にあるコーヒーで十分だと思った。友哉はなんとなく、
「空が見たい」
と呟いていた。
青い空と真っ白な雲。そして透き通ったエメラルドグリーンの遠浅の海。
――他に何もいらない。
もう疲れてしまった。生きているだけでいいんだ、と。
利恵にメダカの話をしたこともそれに通ずる気持ちだった。孤独な入院生活は、生命力の強く見える南の海や動植物に関心を持たせるようになった。
――本当に、警察絡みのトラブルは嫌だな。横浜に帰るか、モンドクラッセに戻るか。うーん、だけど、ゆう子のことは心配だし…。
どこか考える気力を無くしてしまい、時間を潰していると、真正面にかわいらしいデニムのミニを穿いた女の子が座っているのが見えた。少しパンチラになっていて、太ももの奥の白い影が見えた。写真に撮れば画像を拡大しないと見えるか見えないか、それくらいなのに、友哉は、意識的に理性を取り払い、なみなみな表情を作った。
――エロスはいいもんだ。綺麗な脚……ん?どこかで見た事がある脚の形……
視線を感じて顔を上げると、一瞬、その美少女と目があった。
――え?
松本涼子だった。ゆう子が成田空港で口にしたアイドル歌手だ。
友哉は驚いて体を硬直させてしまったが、気を取り直して、彼女の顔を見直した。
――涼子…。
友哉は彼女に気づかれないよう、小さく深呼吸をした。
松本涼子も友哉の顔を見ていたが、同じように目を丸めて言葉を失っている。
ーー名前を思い出すのも嫌なのに、実際に会うとそれほど辛くないな。
友哉は店内の客たちを見た。
ーー妙な人間もいないか。彼氏と待ち合わせだったら、さすがに気分が悪い。帰ろう。
友哉は彼女から目を逸らし、慌てて帰る支度を始めたが、その時に突然、友哉のリングが赤く光り始めた。
「うわ。次から次へとなんなんだ」
テーブル会計にやってきた店員に、「すまない。やっぱり追加でコーヒーを」と言って、気を落ち着かせてゆう子に通信を試みた。
「今、タクシーです」
『帰ってきてるのか。良かった。応答してくれて』
「なんですか。愛の告白ですか」
機嫌が悪そうだ。友哉は肩を落としたが、気を取り直し、
『緊急事態だ。今、クレナイタウンにいるが見てるか』
と訊いた。
「見てなかった。浮気ばかりしているから」
『……』
「いま見ました。なんですか。緊急事態? なんにもないですよ」
『怖すぎるよ、ゆう子ちゃん。実は俺のリングが赤く点滅している。君の怨念じゃないのか』
「本当だ。たいした事件も何もない日ですよ。昔の女に刺されるんじゃないの? ブサ」
『おまえ、口から生まれてきただろ』
友哉は、松本涼子の画像をゆう子に送った。
『芸能界の知り合いだ』
「え? 誰ですか」
『松本涼子だよ』
「あ、写真集の? 友哉さんに会う前に写真集は見たけどよく知らないよ。無個性な美少女でよくある顔。そんなアイドル、いっぱいいる。でもなんで一緒にいるの?」
ふざけてばかりのゆう子も仰天している。
『一緒にはいない。目の前の席にいたんだ。東京のお洒落スポットはすごいな。それよりも俺のリングの点滅が止まらない。点滅を始めてから五分経過している。眩しくて困る』
「松本涼子ちゃん、レベル2です」
『アイドルなのに? まあいいや。近くのどこかに凶悪犯がいるんじゃないか』
「レベル2までの人間はいっぱいいるけど、3以上の人間なんかいない。それより、AZに何も出てこない。わたしたちがパニックってるからかな」
『パニックになっているのは、ずっと君だ』
「AZにも言われたばっかだよ!」
『じゃあ、正しい見解だ。深呼吸してくれ』
ゆう子に落ち着くように言ってから、松本涼子を見る。彼女は呆然としたまま立ち上がろうとしていた。友哉が声を出さずに、右手の動きで座るように指示すると、彼女は一瞬、きょとんとした表情になって、無言で座り直した。
――涼子、久しぶりだな。心臓が止まるかと思ったぞ。利恵さんの事がなければ話したいけどな。
そんなことを考えながら彼女を見ると、涼子も手のひらの汗をハンカチで拭いていた。
「あれ? その店にレベルが分からない人がいるけど…」
『レベルが分からない? ゼロか』
「だとしたら初ね。ん? 性別も分からない。お店の端。テラス席の近くです」
友哉がその方を見るが、ロシア人の顔立ちをした中年の男が一人座っていて、特に怪しい気配もなかった。ただ、暑い季節なのに黒色のジャンパーを着ている。何か隠しているのだろうかと思い、睨んでみるが、男は友哉に睨まれて、まさに首を傾げていただけだった。
『怪しい男じゃないよ。日本に来た外国人観光客みたいだ。…いや…』
「どうかした?」
『なんでもない』
――俺の手を見た。リングの点滅が分かったのか。そんなバカな。だったら涼子が、その眩しい指輪はなに?とか叫んでいるはずだ。
すぐ叫ぶからな、あいつは。
「事件がない時は、近くの人間の脳が異常になっているので注意して。タクシーがマンションに着いた。わたしの部屋に友哉さんを転送させます。車は置いておいて、いったん退避しましょう」
『待て。松本涼子はどうするんだ』
「彼女は関係ないよ。友哉さんがピンチなんだよ」
『ワルシャワで、俺の近くにいる人の命の危険かもしれないって君が言っていたぞ。大事な人を守るために光るとか…』
「大事なひと? 松本涼子ちゃんが?」
『写真集を持っていたのはファンだったんだ。わりとアイドルが好きで。それで十分大事な人じゃないか』
「もう、どうでもいいよ。好きなアイドルがピンチだったら光るかもしれないけど、悪い奴は周りにいないの。どうすればいいのよ」
『ビルごと吹き飛ぶとか』
「そういう大事件はわたしの記憶にあるから、AZに出てくる。殺人犯やテロリストや時限爆弾はないのに、友哉さんか、その松本涼子か店の中にいる人がピンチなんだよ。あれれ? 急にお店の防犯カメラに入れなくなった。AZが故障?」
『なんだと』
――何か怪しい。油断していた。涼子がいるんだ。もっと警戒しないと。
『ゆう子、リングが赤く光って、店の防犯カメラに入れない? おかしくないか。落ち着いて違う何かで見ろ。レベルが分からない男の画像を送るから、それをAZで分析するんだ』
「友哉さんのリングかスマホから見るから…。あ、ちょっと待って」
『どうした?』
「AZに答えが出てきた。わたしの記憶にない自然災害、または急病の人がいる可能性だって」
『なんで自然災害まで検知するんだ』
「検知してない。AZの中に三年間の自然災害のデータがあって、友哉さんのリングに転送してるの。今、AZがそのデータを転送してる様子がない。だったらタクシーの中でわたしが気づいてる。つまり今回の場合は、自然災害じゃなくて急病の人がいて、その人の脳の異常を検知してるんだと思う」
『答えじゃなくてな。AZは俺たちの会話に割り込むだろ。緑の文字で喋らないのか。友哉が写真集を持ってるアイドルがいる店が異常になってるって、伝えるんだ』
「は、はあ……」
『早く』
「わかりました。……あ、光った」
『なんだって?』
「白い服の男がいる、だって。なにそれ?」
――なに?!
友哉が席から離れて間もなく、松本涼子も立ち上がる。友哉のテーブルに置かれたままの請求書をちらりと見て、
「会計はまだしないの?」
そう言って、うっすらと笑みを零した。
すれ違う二人。
「涼子、逃げろ。例のあれだ」
ゆう子に聞かれないように教えた。
「え?」
「店内にはいない。外を見てくる」
涼子は頷くと、
「まあ、頑張ってね」
と、ツンとした顔で言って庭が見えるテラス席の手すりに寄りかかった。
ストレートの長い髪の毛が風で揺れている。
――なんであんな所に行くんだ、バカ。それにしても、変わらないな。ため息が出るほどにかわいらしい。
友哉は松本涼子から目を逸らし、店の外にいる人たちの様子を見に行こうとした。その時、
「女の子が飛び降りた!」
と、大きな声がした。
テラス席は二階にあったが、下は堅いコンクリートだ。
友哉は仰天して振り返った。
「飛び降りた? あんなに手すりが高いのにどうやって飛び降りるんだ!」
思わず店員に怒鳴った。店員はさかんに首を左右に振った。
「まさか松本涼子ちゃん?」
ゆう子が叫んだ。
「彼女がいない。助けに行く!」
友哉が同じ場所から飛び降りたのを見て、また誰かが叫んだ。
「男も飛び降りた」
と。
……続く。
◆クレナイタウン→取材ミッドタウン◆
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