小説『衝撃の片想い』シンプル版【第四話】⑥
【北の海原】
◆
午後六時。利恵が深い眠りに就いたのを確認し、ゆう子に通信してみる。リングを見ながら、話しかければいいのだった。通信を受けたゆう子は、
「今はだめです。もうすぐ帰るから、あとで部屋にきて。副作用なんですか? なんでもするから」
と言っただけで、通信を切った。
――なんでもするとかじゃなくてさ…。
嫉妬して怒っているなら、謝ろうと思っていた。
付き合っているわけじゃないから浮気とは思わないが、昨日まで一緒にいたゆう子が嫌がっているなら謝るべきだと…。公私混同は激しいが、秘書の仕事も頑張ってくれている。
――宮脇利恵を抱いたのも無断じゃなかった。ゆう子に相談した。それでも罪悪感があるんだな。
友哉は自分の小説に、『謝罪の習慣』というテーマをよく挿入していた。人間が殺しあいをやめないのも、恋人同士や夫婦がすぐに別れるのも、その後、仲直りできないのも謝ることがないからだと考え、他の確立されている生活習慣と同じく、『謝罪の習慣』が世の中に蔓延すれば最高の平和を築ける、という話だった。
男女が毎日のように媚びた生活をしているのとは違う本当の謝罪だ。
誠意とも言えた。
例えば律子の暴言「天罰」。それの謝罪がないうちは、やはり復縁は無理だろう、と友哉は考えていた。
――ゆう子に断って宮脇利恵と寝たとはいえ、トキに俺の世話を頼まれているゆう子は、止められない立場かもしれない。
友哉はベッドから出ると、テーブルの上にあるコーヒーカップを持ち、中が空なのを見て、そのカップを投げようとした。
苛立っていた。自分が何が目的で動いているのかが分からない。
――俺はいったい何をしたいのか。何を目的に生きているのか。夢はただ、のんびりと休みたいだけか。この子と?
幸せそうに眠っている利恵を見る。
ゆう子と?
まだ見ぬ恋人と?
一人で?
――やめよう。彼女がびっくりして起きてしまう。
気持ちよさそうに、この世の楽園を手に入れたかのような顔で眠っている利恵を見て、友哉はカップをテーブルの上に戻した。
◆
――三年後にどんな恐ろしい事件がこの国で起こるのかそれは知らない。
ゆう子はAZの画面を見ながら考えていた。
わたしが映画の完成披露パーティーの席で男たちに襲われる。きっと死ぬのだろう。
その時に、自分の近くにいた男の人が一緒に倒れる。それが佐々木友哉だとトキから教えられ、その悲惨な光景の記憶を一部、見せてもらっている。
昭和初期の傷ついたフィルムのように見にくいが、佐々木友哉が自分を守るために誰かと戦っているのはわかった。
足が悪いのか杖で敵を殴っていた。
AZ上には、佐々木友哉が死んだとは表示されず、それは周囲にいる人たちもすべて同じで、ワルシャワでは『多くの人間が死んだ。日本人は約十人』と表示されたのに、パーティーの事件では、『死んだかも知れない。または倒れた』と、緑に光るテキストが画面に浮かび上がる。そう、『死んだかも知れない』とテキストで教えているのが、実はゆう子本人だ。
三年後のゆう子なのだ――。
AZ上ではもっと不鮮明な映像だが、活発な暴君たちが、友哉に何度も襲い掛かり、近くにいたわたしの盾になってくれている。
ワルシャワの事件でも、テロリストに殺される人たちの悲劇的な映像は出ていた。
だが、それは記憶が曖昧なせいか、まるで役にたたなかった。たぶん、テレビニュースで見たのだ。
だから、全体にモザイクがかかっているみたいに不鮮明で、友哉には指示もできなかった。
――本当にわたしの記憶なんだ。マンションで自分がケガをしたことなら鮮明に映像が浮かび上がる。
毎日、住んでいる部屋だからだ。
だけど、ニュースで見たことや知らない場所での経験は、脳から、その光景を鮮明に取り出すことがトキさんの時代でもできかったのか。
本当にあの人は未来からやってきた?
ヒトの脳は見たものはずっと蓄積させるように残しておき、それが眠ってる時の夢になって現れると思っていたのに、違うのか。忘れてしまうと消えるのか。それとも…
「わざと見せてくれないのか」
ゆう子はそう呟くと、AZを警戒しながら、頭の中で『見せていいものと見せたくないものを区別しすぎるとばれる事があるから、わざと不鮮明にした。もっとも見せたくないわたしの記憶は、三年後のその事件。次に、わたしの記憶じゃないけど、あの北の温泉旅館の女か』
――北の温泉旅館。
トキが見せてくれた友哉の過去の映像。
AZでもう一度、確認が出来る。
その映像の中に、唯一出てくる友哉の恋人らしき女。
部屋に露天風呂がある高級旅館。
夜、友哉と一緒にその風呂に入る華奢な女。
冬なのか寒がる二人。
裸の友哉が露天風呂があるバルコニーから下にある海を見る。
「真っ暗だ。灰色の海原があの世に向かうブラックホールみたいで吸い込まれそうだ」
友哉の言葉を聞いた女は静かに近寄り、友哉の背中を押そうとするが、それを止め、
「一緒に死んでもいいよ」
と言った。
――娘は言わない言葉。あれは恋人。
場所が北海道なら、そこまで一緒に行けるほどの仲。
一緒に死にたい、と言える仲。
死にたくなるほど、辛い恋愛?
映像を見た限り、友哉さんに死ぬ気はない。女の方に死にたくなるほどの苦痛がある。
――あの女が水着写真の?死んだのか、あの後。
だから見せてくれたのか。
それとも、友哉さんの記憶に鮮明に残っていたから見せただけか。
妻と不仲だった友哉様には恋人がいましたよ。それだけのことです、と。
事件が起こる三年後のパーティー会場では、やがて、友哉は動かなくなり、自分もその傍に倒れている。二人ともずっと動かない。
その後の時間は表示されなくて、続きの映像もテキストも出てこない。
――続きが出てこないのは、わたしが死んだということ。
ゆう子はそう考えていた。意図的に、ここまでの記憶映像にしてあるのかもしれないが、その内容からも自分が死んだと考えるのが妥当だった。
ゆう子は、
「お父さんがいる介護施設に行く」
と友哉に嘘を言い、東京の郊外にある町にいた。新宿のマンションとは別に持っている郊外のアパート。
ゆう子はその部屋で、悪い酒でも飲んだような顔つきで、座布団に正座をして座っていた。
正面に仏壇がある。
――佐々木友哉が死ぬことを回避するために、トキは友哉の肉体を治し、その薬の副作用が辛い友哉に大金と特別な仕事を与えることで彼を納得させ、その仕事の最中にも死なないように、わたしを秘書にした。
トキがそう明言したのではないが、そんなニュアンスだった。
テロリストを殺すことなどたいした目的ではなく、ただ、三年後の友哉自身を守るための訓練だと、ゆう子は思っていた。
『彼は私たちの希望だ』
トキは言った。
ではパーティーまでじっとしていればいいのに、なぜテロリストや凶悪犯と戦わせるのか。逆に友哉が途中で殺されたら困るではないか。やはり訓練が必要なのか。
友哉が死んだら困るとしたら、自分の存在が無くなるからか。しかし、今、トキが生きているなら話の辻褄が合わない。
やはり、未来人は嘘。
ゆう子はずっと考えていたが、いかんせん情報が少なく、答えは出ないままだった。
――佐々木友哉の女は自分じゃなくても良かったのではないか。
むしろ、ゆう子が気にしているのはそこだった。
ゆう子は、古色蒼然としたアパートの一室で、友哉の位置をAZで確認した。
高級ホテルの一室。
「さっきの女とセックスの最中か。宮脇なんとか」
嫉妬に狂っている自分が手に取るように分かった。
――やれと言ったのに、抱いてると思うと気が変になる。
彼が好きで好きでたまらない。体が疼くし、彼が半日もいないと、「早く会いたい」と焦燥する。かつて経験したことがない激しい恋だった。
202○年5月2日。午後六時。都内ホテルの会場。
ゆう子はその日時データを再びAZの画面に出した。
友哉の傍から離れない女が二人いた。
画像の女は、きっとこいつなんだ、と、ゆう子は画面を見て考えていた。友哉から送られてきた宮脇利恵の画像をAZに自動的に取り込んでいた。
『女性、身長160㎝、やせ形、顔の輪郭、肩幅。ダークレベル2。提出されたほとんどのデータと一致。やや髪の毛の量と筋肉量、脂肪量に変化があるが画像の本人に間違いはない』
AZが答えた。
――この答え方はやはりAiのような機能も備わっているんだろうな。
友哉が席を立つとその女ではなく、もう一人の女が一緒に歩いた。きっと歩行の補助をしているのだろう。宮脇利恵よりも背の低い女だ。
友哉とその女が一緒に歩いているのが分かる。ワルシャワのテロリストたちの動きは、ほとんど見えなかったが自分が体験した事件の記憶はそれなりに鮮明だから、データが豊富だった。
「車椅子はなくなっているとはいえ、足が悪いのにハーレムだ。わたしはこっちにいるのに」
来賓席に座る友哉のテーブル席には、空席もあったが、友哉の両隣に女が二人。そのうちの一人が宮脇という銀行員。
あとの一人は娘さんだったら慰みになるんだけど…。
「ん?歌って踊らないアイドルの子?」
画面の右隅に、そう表示された。ゆう子の記憶だ。
――ああ、バラードだけで勝負してるアイドルグループがいたな。なんだ、共演者の一人か。脇役だから一緒のシーンがなくてよく知らないんだ。良かった、共演者の女の子で。たまたま席が同じで友哉さんを手助けしてるんだ。
ゆう子は、ほんの刹那、毒気を抜かれたが、しかし、またトキのことを思い出すと、顔に険が出てきていた。
三年間、友哉と一緒にいる女は違う女でもよかったのだ。ゆう子は唇を噛んだ。そして、古い形のキッチンに行き、水道水を一気に飲んだ。
「不味い。…あの宮脇って女が恋人になる彼女だったのか」
そう吐き捨てるように言う。
トキが言っていた。「三年間の間に彼が会う、次の女にケアを頼むこともできる」と。
何かそれが悔しかった。
誰でもいいような言われ方が。
きっとこれから三年間に現れる女なら誰でもいいんだ。
そもそも自分は、男性に愛される資格なんかない女だ。
だから愛されなくても、そう、セックスだけでいいんだ。
だけど、せめて…
素敵な男性に恋をするくらいの資格はあってもいいじゃないか――
ゆう子は、畳の部屋の一角にある仏壇に目を向けた。
「お父さん、天国でお母さんと仲良くしてるの?そんなにあの女が好きだったの?」
古い時代を懐かしむように言うが、目は笑っていない。
――なんで、お父さんを助けなかったんだろうか。未来から来たなら、わたしの家族も助けろよ。
またトキを思い出す。
お父さんが死んでからノコノコ現れて、友哉さんが大事なら、その恋人に指名したわたしのお父さんも救えよ。
AZの『原因』を触ってみる。
なんでも答えが出てくるようだが、特にプライバシーの事は表示されない。
トキとリアルタイムに通信している装置だったら、今の感情もばれていて嫌だと思ったが、膨大なテキストのデータが入っているだけだ。それと、シンゲンという名のAiか。
「あ、出た」
『君の父親が亡くなった時、我々は君の時代と友哉様の身辺調査をしていた』
「胡散臭い。未来からやってきたのに、ミスも多い」
『ミス?』
「あなたたちの思惑通りにはなってない。わたしは嫌になってきたよ」
『我々は緻密な計算、そして綿密な計画をたてて、あなたと一緒に行動していない。なぜなら、友哉様が勝手にパーフェクトに正してくれるので』
え?
『あなたの怒りはすぐに収まる。友哉様が謝りにくるはず』
「なにを?」
『あなたの嫉妬を重要視して』
………。
「友哉さんがわたしに頭を下げたら、調子狂うな。優しい彼も好きだけどさ。傍若無人でいて頭が良い彼がかっこいい。話は、わたしのお父さんを軽視した件よ」
『君の父親をもし救ったら、君は友哉様に恋ができたか』
――なに?
「今、なんて言った?」
ゆう子が、AZを睨みつけた。
『訊かれたから答えた』
「そんなことは訊いてない」
『君の父親を救ったら、君は女優を続けていたか』
「え?」
『奥原ゆう子はパニック。恐らく、友哉様の本当の恋人が現れたから。いったん、会話を止めるために私を圧縮しなさい』
本当の恋人?
じゃあ、わたしはなに?
「知ってるんだな、わたしの過去も。恋愛をする資格がないって」
『圧縮しなさい』
「わかった。怖いね。わたしを殺すこともできるんでしょ」
『野蛮なことを言った。我々は違う時代の人間は殺さない。自分たちの時代の人間すら、滅多に殺めない。謝罪を求める』
「……」
『謝罪を』
「ごめんなさい」
ぶっきらぼうに言うと、
『誠意がない。やはり女神とは違う』
と文字が浮かんだ。
「女神……。なんかそっちも失礼じゃん」
『友哉様に八つ当たりをしてその混乱を治してもらいなさい』
「は?」
『私の手に負えない。自分から消える』
AZはそうテキストを浮かばせると、どこかに消えた。
「ちくしょう。味方か敵か分からなくなってきた。だけど…」
――やっぱり友哉さんを頼りにしてるんだな、トキさんもこのAZの開発者も。
ゆう子はそう思い、だったら言うとおりにしようと思った。
浴びるほど酒を飲みたいくらいのストレスを受けた。
――いっぱいワガママしてやる。
悪人を倒す仕事を友哉にもっとしてもらいたい。そのためには女が自分一人では心もとない。だから、宮脇を口説くように言った。だが、友哉が他の女とセックスをしていると分かったら気分は最悪だった上に、AZはやはり自分の過去もすべて知っていた。
――宮脇という女の匂いを消したい。自分のセックスで。だから、どんどん他の女と寝ればいいんだ。友哉さんを刺し殺すようなセックスができて楽しいじゃないか。
まるで迷走する竜巻のように矛盾したゆう子の恋愛観。
無性に友哉と寝たくなったゆう子は、慌ただしく郊外にあるアパートから出た。
第四話 了
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