【仏教心理学】「自己実現」って何だそもそも…?
マズローの図を引用している人は高確率でマズロー本などまったく読んでない
みこちゃんの仏教心理学の、お釈迦様&マズローコラボシリーズは、おかげさまで好評みたいなので、不定期連載にします(^~^)。
さて、マズローのあの図、段々とそのまま「あ、っそう」でスルーしてしまうにはもったいないと思ってきたと思います。
あのトンガリ屋根の一番上のことばも、知ってはいたけど「いったい本当はどんな事を言っているのだろう」と気になってきた頃ですね。
そこで今日はズバリ!マズロー自身は「自己実現」をどう定義して、どう実際に著作の中で文章にしているのか見てみましょう。
考えてみれば、そういう話がまっさきに出てきて良いはずなのですが、なぜか、あの図で全部終わっている。これは、実はあの図を引用している人が、だれもマズローの本を読んでいない(爆)、というのが多分笑えない真相だと思うよ。
わはははは(^▽^)。
マズローは「あこがれの人になること」を否定している
まず最初に、穏健な、よく知られていそうな定義から引用します。
自己啓発では、定番の、そして最重要なことば「潜在的」ということばが出てきましたね。
この文章はしばしば、図しか知らない人(著作を読んでいない人)によって、「自分がそう成りたい自分になること」と説明されます。しかし、それは正確ではありません。
重要なのは、こっちですね「よりいっそう自分自身であろうとし」。
つまり、野球少年が大谷翔平、少し前ならイチローになりたい!と考えてはいけないのです。
いや、いいですけど、少なくともマズローはそれを勧めていません。
ありのままの自分を最大限肯定的に認めて掘り下げ、薔薇は薔薇のままで咲け、ただし、今よりもっと来年は素晴らしい薔薇として咲きなさい。
これが、マズローの「自己実現」だったのです!誰も知らなかった(爆)。もちろん、みこちゃん含めて(笑)。
マズローの「自己実現」とは憧れの他人になることではなく、本当の自分を手に入れることだった
きっかけとしては、大谷翔平を目指すこと、それはすばらしいことですよ。将来大谷翔平みたいにみたいになりたい!めちゃくちゃすばらしい。否定なんかしたら親失格です。
でも、親は、やがて子供が、自分は大谷翔平ではなく、愛する子供が自分らしい野球をする人間に成りたい、と考えるまでそっと、愛情をもってそれを見守ること、期待すること、子供が大谷翔平というアイドルを最大限肯定的に卒業する日が来ることを忘れてはいけないわけです。
幼い頃の夢を卒業するというのは、大谷翔平みたいなすごい人間になることを諦めることではありません。大リーグで、自分らしく活躍すること、これがもっとも成功した形の最初の夢を諦めるのではなく「卒業する」ということです。
だから、ここが大事なんですが、もし大リーグに行けなくても大谷翔平を卒業して、野球をやってきたことによって培った根性や人脈、体力、気力などを武器に、大学まで野球で頑張ったけど、それを卒業して世界最強のサラリーマンになる(大学まで野球やっていたのなら一流企業入りやすいでしょう)こともりっぱな卒業だし、これぞ「自己実現」なのです。
サラリーマン金太郎は暴走族のヘッドやめたから人生終わりではないですよね。そのまま日本最大の暴力団に就職したら成功物語なんでしょうか。あのマンガはサラリーマンになった金太郎、つまり、本当に成り語っか自分は暴力団の親分じゃない。あの形で「自己実現」を果たした金太郎から物語が始まるのです。
これは、立派な「自己実現」。自分になることです。マズローの自己実現はこれなんです。
図だけしか知らない人の説明「成りたい自分になる」だと、この区別がつかない。そうではなくて、マズローが言いたいのは、サラリーマン金太郎になれ!こういうことなんです(あれ?ちょっと違うかな(笑))。
仏教もそう言ってるだよ(^~^)
そして、またもや、この薔薇は薔薇として咲け、というのは、仏教の根幹の教えのひとつなのでした。
非常に難しい概念なのですが「円成実性」(えんじょうじっしょう)というのが、マズローの自己実現(もしくは晩年の「自己超越」これについてはまた記事にします)だと言っていいと思います。
日本にも実は間違った仏教もあります(ありました)。それは、尊師と呼ばれる人を絶対視して、その人の命令なら何でも聞くことが悟りを開くことになる、その人が究極の目標であり、アイドルであり、自分の良心や人間的な倫理性などはすべてまやかし、という教えで地下鉄で大惨事が起きたことがありました。
そうです。
お釈迦様を目指してお釈迦様になりたい!と思うのは仏教じゃないのです。究極に正反対ですね。
大谷翔平に成りたい、きっかけとしてはいいでしょう。
そして、お釈迦様のような立派な人間に成りたい、これもきっかけとしてはいいでしょう。
しかし、お釈迦様はにっこり微笑んで、ある程度修行が進んだ弟子にはこういうでしょう。
「薔薇は薔薇として立派に咲きなさい。それが悟りというものです。私に同一化すること、誰か他者、それが私であったとしても、誰か他のものになることは悟りではありません。自分自身を完全に成就させなさい」(みこちゃん創作)
西洋哲学的に言えば、あこがれの人と、本来の自分が主客合一するといっていいでしょう。図で言えばこんな感じ。
というわけで、マズローの自己実現。これは、落とし穴として、あこがれの人になりたい!という間違いを犯す可能性があり、本来は、本物の自分に気が付き、それを毎年もっと素晴らしく咲かせることだ、ということでした。
ますます、マズロー面白くなってきましたね!
(^▽^)
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