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【仏教心理学】お釈迦様は論理療法家だった?
現代人は「仏教+心理学」で考えられるのですんごい贅沢だ!
ここのところ、仏教方面の話が多かったですが、もともとはこのnoteは「習慣化」のnoteです。
なので、武器となるツールは心理学も使います。使えるものは何でも使うの精神です(^~^)。
お釈迦様の時代には当然心理学というものは、ありませんでした。今は心理学の時代と言っていいほど、いろんな心のへのアプローチ方法が心理学として確立されています。
私たちは贅沢な時代に生きているわけですね。
今日は、そんないろんな心理学の中でも仏教をうまく補完してくれる「論理療法」について書いてみたいと思います。
論理療法ってなんだろう
論理療法は、現代心理学の雄である認知行動療法(ほとんど平家にあらずんば人にあらず状態で、ほとんどのカウンセラーが認知行動療法家)とは、対立はしないけど、でも微細に見えるけど重大な違いがあるカウンセリング技法です。
例えば、認知行動療法(CBT)だと、既読スルーはこうやってカウンセリングします。
1既読スルーされちゃった
2嫌われた
3人生もうおしまいだ
![](https://assets.st-note.com/img/1663720269615-w3Z1GFGTlX.png?width=800)
よくいますね、こういう人(noteに(笑))。
CBTは、2を認知の歪みとして考えます。
なので、「嫌われたって誤解じゃないの?既読スルー以外に嫌われたと思うようなことある?えっと、それは嫌っていないかもよ……ん」ということをセラピストは言うわけですね。
論理療法、REBT(Rational emotive behavior therapy)は認知の歪みじゃなく、信念の錯誤を疑うのね。
2なんだけど、これ認めちゃう。
「あーあ、既読スルーね。ゼッタイ嫌われたよお前。つーか、そんなこと今どうでもいいよ。お前の言うようにもうおしまいじゃね。ただし、そいつとの関係がおしまいかもしれないけど、人生おしまいって、論理的にそうはならないんじゃね?」
つまり、認知の歪みはなかったので、嫌われたってことは正しいとします。
その上で、「あの人に嫌われた(例えば上司、例えば恋人)からと言って、人生終わりってことはないだろ」とセラピーしてあげるのです。凄くクールですね。
ところで、仏教ってなんか、クールなところありませんか。この本も、帯にブッダは「超クール」だって書いてありましたね。
![](https://assets.st-note.com/img/1663720459009-zbxenF1e90.png)
論理療法ちっくだからかも……。
論理療法もブッダも「超クール」でとっても似ている
実はさっきの例……。
「あーあ、既読スルーね。ゼッタイ嫌われたよお前。つーか、そんなことどうでもいいよ。お前の言うようにもうおしまいじゃね。ただし、そいつとの関係がおしまいかもしれないけど、人生おしまいって、論理的にそうはならないんじゃね?」
これ、みこちゃんの仏教の先生に「これってお釈迦様っぽくないですか」と聞いたところ、「お釈迦様っぽいね」というお返事でした。
日本の仏教のお釈迦様のイメージだと、こうじゃないんですけどね。もっと道徳的(笑)。でも、スッタニパータとか、ダンマパダとかのお釈迦様って、むしろ、こういう感じなんですよ。草薙龍瞬さんも原始仏教の研究がメインなんで、多分そういうところから、「ブッダは超クール」って言ってると思います。
そして、論理療法ですが、これすんごいいい記事で、サイト全体もすごいいい!さっきの既読スルーの話もこのサイトの別記事を参考にさせていただきました。
![](https://assets.st-note.com/img/1663721062130-un07lbv42X.png?width=800)
できごとの真偽を調べるのではなく、根本原因であるビリーフを一直線に特定する! これがREBTの「エレガントな解決」です。
これは言い換えると、うことです。
世界中の誰であれ、Kさんの幸せを決めることはできません。
人は誰であれ自分の感情に責任をもち、自分の幸せを決めることができる。これがREBTの基本的なスタンスです。
論理療法はエレガント、つまり超クールなのです。
相手の気持がどうだったか、ということはとりあえず置いておいて、そうだったとしても、世界の終わりだ、とか考えるのは(論理療法ではこれを、オーバーゼネラリゼーションと言います)論理的でない、と、気持ちの部分ではなく、嫌われる=世界の終わりだ、というビリーフ、信念がおかしい、と指摘するのが、論理療法です。
嫌われたかどうか、相手の気持ちは置いておく、事実だけを直視せよ。これは草薙龍瞬さんが何度も強調した、「反応しない練習」で絶対に必要な態度でした。さっきの記事の言葉で言えば「根本原因であるビリーフを一直線に特定する! 」ですね。
つまりほんとうの意味でのクールとは、反応しない、感情で揺さぶられないことではなくて、ビリーフにちゃんと正しく一直線に反応して、相手の気持には惑わされるな(反応するな)ってことなのです。
その意味でも、無反応になることではない、無反応になってスルー、シカトするのは決してクールな態度ではなく、問題の本質から目を背けるただの負け犬だということです。
論理療法を学べば、さらに確実に正しい「反応しない練習」が可能
ということで、仏教は現代の心理学と重なる部分が非常に多いということがわかりました。
そこで、この何やら面白そうな「論理療法」について、もう少し詳しく見ていきたいと思います。論理療法は、「すぐやる」とか、「習慣化」(に失敗する原因)についても扱っていますので、このnoteにぴったりですね。
(^~^)
そこで、しばらく、今度はこの本を読解していきたいと思います。
ずばり、仏教の二大流派である唯識と、論理療法についての本です。
仏教の教えがさらに具体的に分かるし、論理療法を、人間とか、精神とか、宇宙とかにも結びつけることができるので、すんごく面白そうですね。
では、しばらくこの本でお付き合いください。
(^-^)
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