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サヤの18歳の誕生日

五月が誕生日の私は今日でついに十八歳になった。

ゴールデンウィークのど真ん中が誕生日なので学校はいつも休み。だから誕生日を友だちに祝ってもらったことは一度もない。そして家で誕生日のお祝いをした記憶もない。うちは今、母子家庭で、離婚して離れて暮らす父はギャンブル依存っていうのかな、特にボートレースにはまっていたので、ゴールデンウィークは毎年びわこボートに行っていた。私の誕生日はなぜかいつも大負けして、小学生の誕生日の思い出は不機嫌な父の顔しか思い出せない。中学生になって母は離婚して祖父のもとに身を寄せたけど、ゴールデンウィークは祖父のデイサービスが休みだったので、一日祖父の介護に追われる日々で、やっぱり誕生日を家で祝ったことはない。でも今年の誕生日は違った。

定時制高校に編入してから、学校で毎週開催される高校内居場所カフェで声をかけてもらって、今はこどもソーシャルワークセンターでヤングケアラーのピアスタッフをやっている。ピアスタッフというのはヤングケアラーの高校生や大学生たちのことで、今日はピアスタッフ企画でヤングケアラーの小中学生たちを京都の動物園につれていった。活動の一週間前にセンターのスタッフが行事保険の申し込みをするので生年月日を教えて、っていうので伝えたら、動物園に行く日が誕生日って知られてしまった。すると「その日の夜はセンターで誕生日会やね。調理ボランティアさんにケーキ作ってもらおう」って言ってもらえた。この誕生日で成人になるのに小さな子どものように、今日の誕生日が来るのを楽しみにしていたんだ。

動物園は、四月から夜の居場所トワイライトステイで関わっている小学生になったばかりのカヨちゃんと一緒にまわったんだけど、カヨちゃんがテンションマックスで園内を走り回って大変だった。でも楽しそうにしているカヨちゃんの姿を見ていてこちらもつられてずっと笑っていた気がする。途中ではしゃぎすぎたカヨちゃんが、センターから写真や動画撮影用に借りていたスマホを落として、液晶画面が割れてしまい大泣きするというアクシデントはあったけど、それ以外は楽しい一日になった。子どもたちをびわ湖浜大津駅で見送って、ついにセンターでみんなに誕生日を祝ってもらうことに。ただケーキを食べるだけなのにすごく顔がにやけてしまう。動物園の活動を取材に来ていた京都新聞の記者さんも一緒に来てもいいかなと聞いてきたので、取材用のカメラで誕生日会の写真を撮ってくれることを条件で一緒に来ることになった。まさかこの後にあんなことになるなんてこの時は思ってなかった。

生まれてはじめてのケーキ。生まれてはじめてバースデイソングを歌ってもらい、生まれてはじめてロウソクの火を消した。そして誕生日の驚きはこれでおしまいではなかった。センターの代表の人に呼ばれて二階に行くと、京都新聞の記者さんが待っていた。代表の人から「実は来月から京都新聞でセンターの居場所活動について紹介する連載記事を書いてもらえないかって頼まれたんやけど、サヤちゃんにもこの記事を書くのに協力してもらえないかな。前にSNSに投稿している文章見させてもらった時に、人に伝わる素敵な文章を書く子やなって思ってたんや」って言われた。新聞に私の書いた文章が載るかもしれない。まさかの誕生日プレゼント。「で、さっそくやけど連載のタイトルって何がいいやろう。シンプルで伝わりやすいものがいいんやけどね」

いろんなことを書きたい、伝えたい。ヤングケアラーである自分のこと、今日一緒に動物園をまわったカヨちゃんのこと、今日の活動で新たに仲良くなった中学生のマホちゃんのこと、ついさっき誕生日を祝ってくれた高校生になったばかりの新ピアスタッフのミカやナオのこと、センターの居場所の主ヒデさんのこと、今は言葉がうまくまとまらない。でもこの連載のタイトルはふっと浮かんだ。シンプルだけどわかりやすいタイトル。

「こどもたちの風景 湖国の居場所からってどうかな?」(完)

【解説】

この物語は2022年6月より、京都新聞(滋賀版)にて月一の連載としてはじまった「こどもたちの風景 湖国の居場所から」の前半部分の物語パートです。こどもソーシャルワークセンターを利用する複数のケースを再構築して作っている物語なので、特定の子どもの話ではありません。

一年間の連載が終わりました。全12話のお話に6人の子ども(若者)たちが登場しました。多子世帯で下の子の世話や家事に追われるヤングケアラーで不登校の中学生ミカとマホの姉妹。アルコール依存の母親のことを疎ましく思っているヤングケアラーの中学生ナオ(母親のことがきっかけでいじめに巻き込まれて不登校になってしまう)。母子家庭で介護を必要とする祖父のケアをしているヤングケアラーの定時制高校に通うサヤ。知的障がいを抱える両親に育てられている(新聞では幼児の視点なので触れていませんが、そのような設定でした)ヤングケアラーの保育園児カヨ。中学時代からセンターを利用しているヤングケアラーとして育って現在ひきこもりの若者ヒデ。一人称の物語として描いたこの子ども若者たちは、今まで10年近くこどもソーシャルワークセンターで関わってきた家庭や学校に生きづらさを抱えてきた100人近くの子ども若者たちのエピソードや言葉を綴って、ソーシャルワーカーである自分が実際に目の前で見てきたからこそのリアルが溢れている物語だったと思っています。またこどもソーシャルワークセンターはちょうどこの連載とあわす形で滋賀県と共にヤングケアラー支援をはじめたので、ヤングケアラーの気持ちや求めている「居場所支援」を伝えることにも重きを置きました。

この舞台となった「こどもソーシャルワークセンター」は、ソーシャルワークの専門性と非専門性の地域ボランティアの関わりや地域の社会資源とのつながりを生かして作り上げている地域の子ども若者の居場所。家庭や学校に生きづらさを抱える子ども若者たちは見えないけど社会の中にたくさんいて、その課題を「専門家の支援だけで」「地域住民の支え合いだけで」何とかしていこうとしても、子ども置き去りの議論になりがちだと、今年で50歳になるソーシャルワーカーとして考えています。自分がしていることが完全な正解とは思っていませんが、この「専門性と非専門性をつなぐ」役割とそのための社会資源を「子ども若者たちとつくる」役割にこそ、自分のアイデンティティであるソーシャルワークの醍醐味ではないかと思っています。

ありがたいことにこの一年間の新聞連載で、滋賀県限定でしたが生きづらさを抱える子ども若者たちの現状を多くの人に知ってもらい、居場所の必要性を感じてもらえた手応えはありました。ということでこの連載記事をもとにより多くの人に知ってもらうために、今年の後半は単著の執筆に挑戦したいと思っています。連載記事では紙面の関係で削ったエピソードや子どもたちの気持ちの描写、より詳しい解説を交えてコロナ禍以降のこどもソーシャルワークセンターの挑戦を知ってもらえればと考えています。


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