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東近江市長の子どもの権利無視トンデモ発言から三ヶ月

滋賀県第29回首長会議での東近江市長のトンデモ発言から三ヶ月。昨日行われた第30回首長会議では、前回の会議後に社会を騒がせた滋賀県の不登校対策について新年度を見据えた提案が県から出されました。このnoteで東近江市長のトンデモ発言を扱ったコラムを二回投稿したあとに、あのトンデモ発言で自分が一番言いたかったことを発信していなかったことを思い出して今回の会議資料の解説とともにここに記しておくことにします。

第1回目のコラムでは、東近江市長の発言を起こしたものを紹介しました。実は一番自分がひっかかったのは市長の発言の最後の内容でした。

「これはこれあくまでも個人の意見ですよ。あのいやまず全ての子の学びの機会を確保し、ここまでいいですよ。学びたいと思った時にっていのは思う子はこどもがでしょ、こどもが学びたいと思った時に学べる環境を整えます、と。なんでこどものわがままを認めるような書きぶりをするんですかと。義務教育っていうのは親がね、いやがる子ども押しつけてでもね極端にいうと。大人が判断してこの勉強しなさいという世界なんですよ。それをね、学びたいと思った時に学べる環境整えます。でこんな条文にしていいんだろかなっていう」

「不登校になる大半の責任は親に」「フリースクールは国家の根幹を崩しかねない」という発言が一連の報道では話題になりましたが、結局のところ先ほどの市長発言の引用から見えてくるのは「子どもは権利の主体者」であることをそもそも理解していないことの深刻さです。ソーシャルワーカーである自分は結局のところそこが一番ひっかかっています。

こどもの意見表明権の話をすると必ず出てくる「こどものわがままを認めるのか」という発言。また「親がいやがる子どもを押しつけてでも」発言から見えてくる「子どもは親(国)の所有物という前時代の価値観」です。あまり「不登校になる大半の責任は親に」「フリースクールは国家の根幹を崩しかねない」という「不登校・フリースクール」という氷山の見えている部分でばかり議論するのではなく、見えていない「子どもの権利」でこの課題は考えていくべきではないでしょうか。

と、考えた時に第30回首長会議で出された資料を見て改めて不登校から見える大きな課題に気づかされました。それがこちらの資料です。

しがの学びと居場所の保障プラン(案)より

滋賀県で年間30日以上欠席している小中学生の実に約1100人が公的な支援にも民間のフリースクールにもつながっていないという数字です。奇しくも東近江市長発言の中に東近江市内にフリースクールを必要としているこどもは17人というトンデモ発言(結局、この数字の根拠は示されずうやむやになっているのは気持ち悪い)が、どれだけ今の不登校の実態から外れた発言だったか示す数字だと思います。同時にフリースクールなどの民間支援を国や自治体が支援すれば何とかなるというレベルでもないようにも思えます(とはいえ今のまま不登校の支援にかかる費用を家庭まかせ民間まかせはおかしい)。

学校や先生が悪いとか家庭が悪いとかフリースクールがあると甘える子が増えるとかそんなこと大人が言っている場合ではなく、何の支援にもつながっていない約1100人の子どもたちが「こども時代に学ぶ機会」をつくることこそこどもの権利を守る上で優先すべきことです。スクールソーシャルワーカーやこどもソーシャルワークセンターの活動の中で多くのこどもたちに関わりながらいつも感じるのは「こどもの成長は早く、こどもの時間の流れは大人の時間の流れとは違う」「学びを奪われたこども時代を取り返すのはとても難しい」という現実です。何の支援にもつながってい1100人という数字を減らすことを今回の滋賀県の不登校施策の中心に据えて欲しいと切に願っています。

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