なぜ自分は人に誘われないのか?

この世には誘う側の人間しかいない

世の中には誘う人と誘われる人がいると思う。
自分も誘う側の人間であり、あまり人から誘われることがない。

ネットでも「誘う人」で調べると、誘う人と誘われる人の違いについて悩んでいる方が多くいることがわかる。
それではこの違いは一体何なのだろうか?

結論から言うと「誘われる側」という人間はいないのではないだろうか?
逆説的に言うと「誘う側」という人間しかいないのではないだろうか?

私はよく「なんで自分は誘っているのに、相手は誘ってくれないんだ…」と落ち込むことが良くある。
誘う側はエネルギーを使うし、何より誘われたい。
自分を必要としてほしい。

しかし、誘われた時の場面がぱっと思い出せない。
4回に1回ぐらいは誘われたことがあるが、大して覚えていない。
そういえば誘ってくれたなーぐらいの感じである。
誘った回数や場面はこんなに覚えているのに。

つまり、自分の中では「誘った!」という意識は強く残るが、「誘われた!」という意識は大して残っていないのではないか。
これは相手側にも言えることで、「今回誘ってくれたから、今度は自分から誘おうかな」とはならないのではないだろうか?

このように考えれば、「自分は毎回誘っているのに、なんで相手は誘ってくれないの?」と思うのは間違いだということがわかる。
なぜなら相手は誘ってくれたことを大して覚えていないから

どのような人を誘えばいいのか?

会いたい人や遊びたい人がいたらガンガン誘えばいいのである。
相手が忙しいとか気にしなくていい、断られればそれまでである。

しかしここで気を付けることが、誘う人を取捨選択することが大事である。
結論から言うと誘うべき人は、誘ったときのエネルギーを補えるほど、会ったときに「楽しかった!」と思える人物であることが必要である。
「楽しかった!」と思える人物は人によってそれぞれだろう。

・外見が好みである
・趣味が合う
・新しい価値観を自分に気づかせてくれる 等々…

これらの条件を満たさないのであれば、次誘う必要はない。新しい知り合いを探しに行った方がより有意義な時間を過ごせるだろう。

誘われる側の人間になるためには

誘われる側の人間になるためには、相手にとって誘ったときのエネルギーを補えるほど、会ったときに「楽しかった!」と思える人物になる必要があるだろう。
この条件をクリアしなければ、次回もまた自分から誘うことになる。

結論

なんだかドライな感じになってしまったが、多くの人は無意識にこれをやっているのではないか。

無理して外見や性格を変える必要はない。誘われないのはただ単にあなたとその人の相性が悪かっただけだ。
しかしその相性を変えたいという強い思いがあるのであれば、自分を変えていく必要があるだろう。

まずは誘うという行為をもっと軽く捉えてみてはどうだろうか?
相手に対価を求めず、思いのまま誘ってみる。
つまらなかったり、次回以降も相手から誘ってくれなかった場合は縁を切ればいい。

誘うことができる人間は自らと自らの環境を変えることができる強い人間であると私は思う。

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