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水槽の中のイルカと社会の中の人間

水族館はおもろしい

水族館や動物園が楽しい場所だってことを教えてくれる人がいなかったら、楽しみ方が今もわからないままだったと思う。
ただ、気になったものに目を向けて、思ったことを口にする。
かつての私にとってそれは少し新しい世界だった。

とは言え、
生き物とこの世界で共存していることをいつも忘れてしまう私を、生き物たちの元へいざなってくれる人達の存在はありがたい。

水族館にはかつて、深海の生物を知るために冒険した人達のことが書かれてあって、面白かった。
私は水族館を楽しめているんだろうか。

水槽の中のイルカ

イルカショーのおねえさんが話している。
司会が喋っているのを聞くと、自然と言葉と全体の雰囲気を追っている。

「イルカは野生で生きるために弱っていることを隠すんです」
それはとても上手だそうで、だから、体調管理が大変だそうだ。

人間と一緒じゃん。

「自分が思ってたより大丈夫じゃなかったと思う」
イルカショーを観たのはそんな言葉を聞いた後だった。

なるほど。人間は自分でさえ騙せるんだ。
きっとイルカも一緒だな、と思った。

私は大丈夫だと思っていたけれど、社会の中にいる私は大丈夫じゃなかったんだろうか。

水槽の中にいるイルカは大丈夫そうに見えた。

「大丈夫」じゃなくてもいい

なぜだか、いつも、私達は大丈夫を前提として進んでないだろうか。

大丈夫?と問いかける。
大丈夫。にしようとする。

イルカの飼育は、大丈夫じゃない?から始まるのかもしれない。

自分に大丈夫じゃない?と問いかけるところから始めると、あー、大丈夫じゃないのか、と思ったりした。

何が何だかわかるだろうか。

大丈夫じゃない?と聞くところから始めるのは、大丈夫じゃなくてもいいからだ。

イルカの体調管理は大変だろうか。
人間もきっと同じ。

大丈夫。じゃなくても、いい。

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