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「維新のおかげで大阪は成長した」は本当か?

大阪って成長してたのか?

世界の都市総合力ランキングというものがある。これは森ビル系のシンクタンクである森記念財団都市戦略研究所が毎年発表しているランキングである。ちなみに、このランキングを決める委員会では竹中平蔵が委員長を務めている。

これについて、以下のようなニュースが報道された。
「世界の都市力」東京は7年連続3位 大阪は37位に下落(日本経済新聞)
なんと大阪は「転落」しているということだ。東京が世界第3位というのは納得するところである。しかし、日本第2位の都市大阪が、トップ10に入れないどころか37位で、しかも「転落」ということである。これはおかしい。大阪維新の会は「維新によるバーチャル都構想、二重行政の解消によって大阪を成長させてきた」と言い切ってきたではないか。それなのに、竹中平蔵が委員長になっている「都市」ランキングで、竹中平蔵のアドバイスを受けている維新政治の下、大阪が「転落」など何かの間違いである!

そこで、このランキングをの大阪の推移を丹念に見ていくことにした。日本からは、東京・大阪・福岡がランキングの対象となっている。これをまとめてみた。

なお、アメリカ第2位のLAを比較対象として抽出してみたが特に参考にはならなかった

最初は35都市でのランキングだったのだが、次第に対象となる都市が増えて48にまで母数が増えた。もちろん、母数が増えれば順位がそれに応じて下がるのはやむを得ないだろう。しかし興味深いのは、追加があった年に大阪はそれほど順位を落としていない。追加される都市よりも大阪の方がだいたい順位が上である。そして、大阪はその翌年に順位を落とす傾向が高い。したがって、母数の追加自体は大阪の順位にそれほど影響を及ぼしていないものと考える。これをグラフ化したのが下の画像である。

このランキングは概ね11月に発表されるので、2011年は維新W首長の影響を受けていない。彼らが「府市合わせ(不幸せ)」と連呼していた、橋下徹府知事・平松邦夫市長(維新ではない市長)の2011年を頂点として、大阪は基本的に順位を落としているのが分かる。一応、追加都市を除いた35都市のみの順位も出してみた。

先程も「母数の増加と大阪の順位下落は関係がない」と結論付けたが、追加都市を除いた順位でも大阪は2011年を頂点として(2012年も同じ順位ではあるが)その後、落ちている。それどころか、一時は広がった福岡との差が縮まるばかりである。これの資料だけを見れば、維新W首長体制によって、大阪は世界から取り残されて順位を落としていったと言うこともできそうである。
では、他の数値ではどうか。今度は都道府県別GDPの推移を見てみよう。経済規模がどれだけ大きくなっていったかの推移を比較してみるわけである。なお、日本国内の比較なので名目GDPをそのまま使用することとする。
まず、維新政治が始まる前から。とはいえ、地域的に大きく隔たったり条件が明らかに異なる都道府県を並べても見づらくなるだけである。そこで大阪府と隣接しており、同じく政令指定都市を抱える京都府、兵庫県と比較対象とし、さらに上の都市ランキングでも出ていた福岡県を加えた。また、その後に各県庁所在地(大阪市、京都市、神戸市、福岡市)のGDP推移も載せておく。いずれもデータ元は内閣府の県民経済計算である。

これはひどい!大阪が最下位であるどころか、大阪だけはマイナス成長が当たり前であった(ただし開始地点を1995年以降、2000年以前にすると阪神淡路大震災の影響もあってか兵庫県が最低である)。たしかにこれでは改革が望まれるのも納得ではある。では、維新W首長による政治でどうなったか。2001年から2011年まで付いた差をリセットして見てみよう。

2019年までのデータしかありませんでした。他意はありません。
2018年までのデータしかありませんでした。他意はありません。

維新W首長制直前の2011年から維新政治下を追いかけてもやっぱり最下位であった。とはいえ、確かに他の都市との差が、2001~2011と比べて和らいでいるのは事実である。だが、これはGDP推移の度合いを比較しているに過ぎない。このグラフで最低であるということは、維新以前と変わらず、「巨大だったはずの大阪府のGDPが徐々に他県に追いつかれようとしている」ということである。
「大阪の成長を止めるな!」がキャッチフレーズだったようだけど、他の都市よりも成長は相変わらず鈍い……。大して成長していないというのが結論になる。

大阪はなぜ成長しないのか?

この疑問を解決するのは容易ではないが、少なくとも維新は「大阪を成長させるためにすべき根本的な解決」を行わなかったように思う。以下は、都構想の際に大阪維新の会が作ったチラシである。

都構想まるごとスッキリBOOK 12ページより

ここには「企業がどんどん逃げていく、残念な大阪でし」と過去のことにように書かれている。ちなみにこの12ページのタイトルは「すこし前までは、府と市がバラバラ。ムダの多い大阪でし。」となっており、次の13ページには「人間関係が良好になった(引用者注:府知事と市長が同じ維新の人間になることを指す)だけで、実績がこんなに!」などと書かれている。
これを手に取った市民は、さも維新の手柄で「企業が逃げていくことはなくなった」かのように錯覚してしまうが、実はこのチラシにそんなことは書いていない。この企業転出は平成23年(2011年)までのことしか載っておらず、維新手柄で企業転出がどう落ち着いたのかについては一切の説明がないのである。平成24年以降の企業転出については13ページ以降には載っていない。いや、載せられないのだ。
それは何故か。話は簡単である。帝国データバンクの調査では、その後も企業転出が続いているからである。

帝国データバンク大阪支社は19日、2019年に大阪府内から府外に本社機能を移した企業が237社になったと発表した。大阪府内に移転した企業は160社で38年連続の「転出超過」になった。首都圏への移転が続いた。

「大阪府内企業、「転出超過」続く 38年連続」 日本経済新聞2020年6月19日

この時の2019年の転出超過は77件で、全国トップであった(東京都が2位で49件)。この後、コロナ禍によるリモートワーク普及、地方移転推進のおかげで転出超過1位の汚名は東京都がかぶってくれることになったが、2020年も2021年も全国2位の転出超過が続いていたのである(2022年は未発表)。ところが、維新政治は企業誘致策を打たなかったか、打っても効果が無いものばかりであった。だから成長しなかったのだ。
それだけならまだ良い。しかし都構想の際、「平成23年まで企業転出が続いていまし」とだけ書き、平成24年以降もずっと企業転出超過の状態であったことを隠しているのは、卑怯以外の何物でもないだろう。
大阪が成長していない原因の一つに企業転出があるのに、それに手を打たず「解決したかのようにミスリードする」広告だけを打つ。これが政治の姿で良いのか。

なぜ「維新のおかげで大阪は成長した」と思われているのか?

最後の疑問である。大阪は維新以前でも、維新政治においても最下位レベルの成長しかない。それなのに、なぜ「維新のおかげで大阪は成長した」と思われているのか。それを考えるために、先程のGDPグラフを、今度は維新前後で切り取らずに出してみよう。

そう、偶然にも維新W首長体制開始の2012年頃からGDPは上がって経済成長はしているのである。これが維新の手柄ではないことは、程度の差や上昇開始時期の若干の差はあれど、他の都市・他の府県も同じような上がり方をしていることから明らかである。仮に維新の手柄であれば、他の都市・府県に先んじて、あるいは他の都市よりも大きく成長をしておかなければならない。
さて、人の体は一つしかない。各日で交互に泊まるなど、よっぽど特殊な生活をしない限り、「二つの都市に住んでそれぞれの経済成長を同時に体験し、成長の度合いを比べる」などといったことは不可能である。だから大阪府民・大阪市民は、大阪府・大阪市の経済成長しか実感できない。だから維新のおかげで大阪が(他の都市と違って)成長したと思いこんでしまったのである。
では、なぜ2012年前後から各都市は成長に転じたのか。震災復興とアベノミクスの開始と言えば分かるだろう(アベノミクスを本当の意味で経済成長と言えるかについて筆者は大いに疑問があるが、それは割愛する)。
大阪維新の会は、2011年12月という時期にW首長の座を獲得した。偶然にも2012年の震災復興・2013年に始まるアベノミクスという日本全国規模の経済成長が起きた。それを「大阪維新の会の手柄で大阪府民・市民のあなたがたの生活が良くなった」と横取りしただけなのである。大阪府民・市民にしてみても、W維新首長を選んだ2012年以降、急速に経済成長が起きたのだから自分たちが選んだ首長のおかげであると錯覚するのも無理はない。これは心理学的な「帰属の誤謬」に似ている。厳密には異なるが、日本全体の経済成長という外的状況ではなく、自分たちが選んだ首長という主体的行為・判断に大阪の経済成長の原因があると錯覚してしまった点でこの認知状態に共通するものがあると言える。

いや、しかしまだ大阪維新の会の実績はある。それが「大阪市の借金を返済し、将来世代に負担を先送りしないようにした」実績だ。

吉村洋文 平成30年度予算について ~豊かな大阪の実現に向けて~ スライド8

公債が将来世代への負担の先送りかは置いておいて、これも実は維新の実績ではない。

大阪市 市債残高の推移

そもそも下がり始めは橋下徹府政の開始(2008年/平成20年)前である。そしてこの傾向は減少開始時期に若干のズレはあるものの大阪に限らない。神戸市は以下の通り平成14年から減り始めている。

神戸市債のご案内 スライド26

福岡市も大阪市と同じ平成16年がピークである。

福岡市の財政状況はどうなの?

全国的に市債の残高は平成14年~16年をピークに下がり続けているだけであった。あの財政破綻間近と言われる京都市でさえ、臨時債を除けば平成14年から下がり続けていることが分かる。

京都市 本市の予算・決算等の推移 18ページ

この原因は現在調査中であるが、市債残高の減少は維新の手柄ではない。政令指定都市の地方自治体であれば、多くがそうなっているのであろう。試みに名古屋市を見てみたが、やはり平成16年がピークで、下がり続けている。他、札幌市も同じ傾向で、「平成14~16年のいずれかがピークでない政令指定都市」を探すほうが困難であった。

名古屋市の財政 42ページ ついでに調べたらやっぱり平成16年がピークで減少の一途

要は、大阪維新の会が上手いのは政治ではなく交渉と宣伝である。今回は比較対象として、神戸・京都・福岡を選んだが、決して「条件に合う都市」を選びだしたのではない。先述の理由で抜き出した都市全てで、維新政治下の大阪と同じ経済成長、市債残高の減少が見られたのである。
したがって、維新のおかげで大阪は成長したわけではありません!!皆さん、そろそろ目を覚ましましょう!!


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