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エッセイ「拝啓 かがくいひろしさま」に込めた想い

とあるエッセイを描いた。
「だるまさん」を描いたかがくいひろしさんへの想いを綴ったものだ。



長男も次男も、生まれて初めて好きになった絵本が「だるまさん」だった。
他の絵本も読んでいたけれど、初めて絵本で笑って、真似っこをしたのはこの本だった。そして一番初めて好きになったキャラクターもだるまさんだった。「だー」と指を差してニコニコ笑っていたからそれは一目瞭然だった。

赤ちゃんにとって初めての反応は、親の私たちにとっても初めてのこととなる。

今まで受け身だった赤ちゃんが、読み聞かせに合わせて自ら体を揺らせているのを見た時の驚きと喜びは表現することができない。

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「ドテッ」という言葉に合わせて、小さな体をコロンと倒した時の可愛さといったら。急いでスマホで写真や動画を撮った親たちが日本中でどれほどいるだろう。泣きやまない時は、「だ〜る〜ま〜さ〜ん〜が〜」のフレーズを言うだけで、落ち着くことも多い。そしてこの絵本は、子どもだけでなく家族にとって特別な1冊となった。

こんなにも子どもが好きになった絵本はどんな人だろうと思って、長男が生まれてすぐかがくいひろしさんについて調べた。

そして、50歳に遅咲きの絵本作家デビューをして、大ヒットの作品を多数執筆しているなか、わずか4年後にすい臓がんで急逝されたことを知る。

そのことがずっと心の中にあり、いつかかがくいさんについて描きたいと思いながら3年が経ち。そしてまた次男がだるまさんを大好きになった。

 エッセイを描き始めたとき、急逝されたかがくいさんは「もっともっと描きたい絵本があった」と悔しい気持ちだったのではないかと思っていた。
 だけど、何度も本を読み、かがくいさんのお人柄を調べ妻・久美子さんの言葉を読み進めていく中で、もちろん悔しい気持ちもあったかもしれないけれど、自分のこと以上に「子どもたちが笑顔でありますように」と願っていたんだと感じるようになった。

「愉快な人柄を覚えていてほしい」という家族の願いで、祭壇は愛用したパステルのような明るい色の花々でいっぱいになった。ひつぎには、寝る間も惜しんで描き上げた絵本とともに、生徒たちの作った追悼文集が納められた。【木村葉子】毎日新聞 2009年10月28日 東京朝刊

とにかく笑ってもらえたら、それでいいんだよ。そうかがくいさんが言っているような気がした。

きっと、かがくいさんは、まだ喋ったり表現ができない赤ちゃんや子どもたちの、ほんのわずかな目の輝きも見逃さなかったんだろう。優しい眼差しでしっかりと見つめていたんだろう。私たちは絵本を通じて、かがくいさんの優しさや愛情深さを毎日感じている。

2008年に刊行されてから14年経った今も、日本中の赤ちゃんと親たちが毎日笑っている。

日本中の家族の笑顔が、天国のかがくいひろしさんにも届きますように。



エッセイを投稿するにあたりご協力いただきましたブロンズ新社さま、本当にありがとうございました。改めて、素晴らしい作品を世に出していただいたことを心から感謝しています。以下の編集者の沖本さまのインタビューの言葉に、作品の真髄が表れているように感じました。

 「とにかく愛情が深かった。プリミティブに、子どもが喜ぶことを28年間、特別支援学校を通じて研究し続けてこられた。そのエッセンスが作品に凝縮されているんです。稀有な『人となり』を今、伝えていかなければと思ったんです」好書好日 2018年8月7日

そしていつも一緒に作ってくださるままのてさま、編集のSさん、このエッセイ完成に向けてご尽力いただき本当にありがとうございます。温かい声がけと素敵なタイトルとあとがきに助けられています。

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