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怖がりな私が個展を開いて

人生で2回目の個展「ふれる」が、6月26日をもって終了しました。

今回も私にとってかけがえのない時間となりました。

なんとSNSを見て名古屋からはるばる新幹線に乗って来てくださった方もいました!震えるほど嬉しくて、私の家族みんなに報告してしまいました。

去年に続き来てくれた方。絵を描かせてもらった方。SNSで見てくださった方々。ご家族と来てくれた方。中学ぶりに来てくれた友人。高校ぶりに来てくれた友人。ゼミの仲間。大学から友人。大好きな同期。親友。夫の友人。ママ友。忙しいなか来てくれた先生。家族のみんな。

私はただただ大切にしたいと思った気持ちを絵に込めて飾っているだけです。それをこんなにも大好きな方々に祝ってもらえて、温かい言葉をもらえるなんて、本当に奇跡みたいなことだと思いました。

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けれど、個展開催まで紆余曲折ばかりでした。
恥ずかしいですが、せっかく個展に興味を持ってくださった方々にも、ちっぽけな自分も含めてお見せできたらと思います。
どなたかの小さな勇気につながりますように。

やると決めることに躊躇していた
去年に個展を開いた時から年に一回個展を開催したいと思っていました。
けれど毎日落書きを描くことも難しいほど忙しい。ただでさえ周りから驚かれるほど不器用で空回りばかりする自分は、毎日生活するだけで精一杯でした。

冬になり「春に個展をやりたいけど難しそう。飾れる作品も1枚もない。間に合わない。難しそう。」とずっと1-2ヶ月グルグルと個展開催を決めかねていました。「2-3年に一度、納得できる作品を発表できたら十分ではないか」と自分で納得しかけていました。

だけど最後自分がエイヤと決めることができたのは、「今の気持ちは今しか残せない」と思ったからです。

こども達との日々の中で、感動や驚きは本当に日々上書きされていきます。
大切にしたいと思った気持ちも、些細過ぎて手から砂粒がスルスルとこぼれ落ちていくように気づいたら見失ってしまうことも。

キラっと光る小さな小さな宝の粒を、いま大切にするために、2022年の6月に個展を開催することに決めました。
決めた後はこれまでの迷いが嘘のようにがむしゃらに準備を進めることができました。
とにもかくも日付決めて実行することが大切だと改めて実感しました。

コンセプト「ふれる」の暴力性
コンセプト「ふれる」自体は1年前から決めていました。

とてもとても大切にしたい想いを込めたコンセプト。ふれるという行為は世界を知り、他者との初めての美しい交流だと思っています。

一方で、その「ふれる」というコンセプトの暴力性にも気付きました。

コロナで何年も国を隔てた両親に会うことができていない友人もいます。
さまざまな理由により自由な交流ができていない人たちもいます。

いま会いたい人に会うことが出来ない人の目にこの個展はどう映るのだろうか。

ふれながら安堵するこの表現が、無自覚に傷つけることになっていないか。

そんな考えが頭によぎり、告知することを躊躇うことも何度もありました。


ふれることは決して当たり前のことではない。
私自身がそのことを強く意識しながら、一方で私は当事者の気持ちを何も理解できていないことに自覚的でいたいと思いました。

表現の持つ優しさと暴力性の二面と向き合った期間でもありました。

ふれることの大切さに向き合いつつ、ふれること以上に大切な「想い」がある。
その気持ちを根底に創作を続けました。

来たことを後悔させないか

開催日当日まで不安でいっぱいでした。

私自身は大切な想いを絵に込めたつもりです。「これはぜひ見てもらいたい」と自信を持てる日もあれば、元々不安症な私は「これは見に来てくれた人にとって価値のあるものなのだろうか」「わざわざ見に来たことを後悔させるんじゃないか」と不安な気持ちに陥りました。

前回の個展では作品を40作品飾りましたが、今回は厳選しようと思い半分の20点。
会場も前回と比べて小さめなスペースとなりました(その分カフェギャラリーなのでリラックスして落ち着ける場所を選びました。)
自分で納得して作品数や展示内容を決めたつもりですしやり切ったつもりでしたが、「これで終わり?」と物足りなさを感じさせてしまうのではないかと不安になりました。

いつも叱咤激励してくれる夫に打ち明けると「始まる前の時点で後悔してるの?志が低いんじゃない?」と一撃(笑)

夫は個展開催に向けて1番応援してくれて最大限サポートしてくれました。私が自らの希望で挑戦したことだからこそ、半端な取り組み方ではいけないと思ったようです。
試合やライブ前に「後悔や不安は一切ない」と言うアスリートやアーティストの方々の凄さを改めて実感しました。

その不安な気持ちを拭いとってくれたのは、来てくれた方々の温かい言葉と眼差しでした。

創作のお守りとなった言葉

個展会場では、心から嬉しい言葉ばかりいただきました。中には涙しながら思い出をお話してくれる方もいて、勇気をいっぱいいただきました。

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個展は、別々毎日を送る方と人生が交差する特別な空間。
この空間こそが私の新たな「ふれる」体験となりました。まずは、怖くても自分の裸の感情と拙い作品をさらけ出すこと。そこから初めて相手の感情に触れさせてもらうことができたように思います。

あなたの中に眠る、柔らかな美しい光景を教えてくれて有難うございます。

お守りのような言葉を、本当に有難うございます。

■一年後にはきっと忘れてしまう気持ちを作品に

ものすごく些細な、でも大切な感情を描きました。

「ここが好き」
重なる寝息から伝わる安堵感。

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大切な作品「かくれんぼ」
レースのカーテンの裏で隠れたつもりでクスクス笑う君と、自分から出てきちゃう君。

1年後にも会えるかな、きっと会えないだろうな。美しくて儚い光景。

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「3月31日」
春は嬉しくて、ちょっと切ない。

卒園・進級式後に無邪気に遊ぶ子ども達を描きました。

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「母」
今日も前屈みになり足を踏ん張り。

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「僕は怒った」
とってもプンプンしています。

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「はつゆき」
空から落ちてくるものは何だろう。

全身で不思議を見つめる君と
この瞬間に出会えた奇跡。

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「Jump!」

雨上がり
必ず寄る場所。

今日はどれくらい大きくなってるかな。

恐れず飛び越える君は勇者。

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「ふれる」
親指が縦になるほど背伸びして子はテーブルの上を見ており (俵万智)

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「つつまれる」

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他にも作品があるため、SNSで発表していきたいと思います。

おまけ
なかなか次男に会うことができなかった祖母。そのことを描いた絵を見ながら、当時のことを思い出してホロリとする祖母です。

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またこんな空間を作れたらと思います。

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