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自己紹介(2)..私って汚い..編

前回の記事はこちらから

ネグレクトの親からホステスを経てフリーアナウンサーになった軌跡
西川友紀子です

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ここでは自分のこれまでの棚卸し、、
自分史を綴っています.
今回は私が誕生してから小学校低学年のお話.....

私って汚い..編です

生まれた姿は..女大関??


私の両親はお見合い結婚で
父は証券会社勤務.母は専業主婦、、3つ上に兄がいる
なんの変哲もない典型的なサラリーマン家庭に生まれました


私は1969年9月5日生まれ.

1969年といえばアポロ月面着陸
日本では東名高速道路開通、、サザエさんが放送開始された
年でもあるらしく、
高度成長期の華やかな時代になんと4000グラムという
驚くべき体重で誕生

母いわく
『病院の先生から、女大関が生まれたね〜』と
何度も言われたらしく、赤ちゃんの中で飛び抜けて大きかった
私は、幼い頃から『生まれた時から恥ずかしかったわ・・』と
言われてました.


日本万国博覧会にて(11ヶ月)

幼い頃の記憶...父と母


証券会社勤務の父はとにかく転勤族で
転校を繰り返していました.

生まれて幼稚園までは横浜、

頭がよく活発でなんでもできる兄

次に転校したのは大阪..
大阪では3回転校しましたけど
中学2年の1学期までは住んでいました

最初の大阪は豊中市

同級生に
『横浜から来たんや!港のヨーコ、横浜、ヨコスカやねんな!』と
同級生から言われて、『いえ、私はゆきこです』と

真顔で答えて
『お前、おもんないな〜』って

大阪の学校のクラスに
1人は居る
サンマさんみたいな陽気な同級生の洗礼を受けつつも、
私にとって、大阪は結構性に合っていたのではないかと
今となっては思います.

せっかちなのと、オチのない話が嫌いなのは
この頃の経験からかも.

この当時、両親は
転勤族なのになぜかマイホームを購入するんですね

大阪の繁華街から電車で40分、さらにバスで30分という
マジで何にもない山を切り崩して作ったようなニュータウンに、、
移り住みました


父は会社から帰ってくるだけで
そりゃもう大変ですから、ほぼほぼ帰ってこないんですよね
当時は高度成長期で、父も接待続き
帰ってきたとしても酔っ払って夜中で、
お父さんって名前の人...って印象でした

このニュータウンには親が離婚して私が小学校卒業するまで
住むことになるんですけど

写真もほとんど残ってなくて左が私この洋服ばっかり着てましたね


今考えたら、今でいう母はワンオペ育児状態..
兄を21歳で私を24歳で出産..遊んでないもんねえ・・

それはそれは大変だったと思います.

私も結婚して子供を産んで母の立場になって考えると
思うこともありますけど〜
ここは自分史なので客観的事実を
綴っていきますね

母はとにかく家事が得意ではなかったし、
子育ても好きではなかったと思います

今でいう、ちょっとしたネグレクト状態でした
一軒家でしたので自分の部屋を与えられていましたけど

こんな感じ、

1、朝ごはんは作ってもらった事がないです
※もちろん朝は起きません

2、体の洗い方を教えてもらった事がありません
3、洗濯をしてくれませんでした
※部屋の片付けも..

1に関しては
当時、私以外にも同じような子供もいたな〜って思います
給食ラブですね...

2と3に関してはちょっとしたエピソードがあるんですよね
とにかく体の洗い方を教えてもらってないんですから
私、臭かったんじゃないかなって..
でも子供って自分の家が当たり前って思ってますから
私、、もしかしてヤバいのかもって知ったのは
ある日の、学校での風紀検査でした

風紀検査で同級生との違いを知る


小学校低学年の時の忘れられないエピソード、
それは、今でいう風紀検査です

私の学校のチェック項目は
爪とハンカチ検査と
なぜか耳の垢検査っていうのがあったんですよ
(笑)皆さんはありました?

検査の手順はこう...
先生の座る教壇の前に1列に並んで1人1人見せに行く
シンプルな検査です

自分の番が来たら、まずは、爪とハンカチを見せて、
最後に耳の穴を見せる..という..ヘンテコな検査

先生に『はい!よし、綺麗やな』
って言ってもらえたら、手帳に合格!印鑑を押してくれるんですよね..

私の番がもうすぐって時に
もうその時から私はきっとヤバいんじゃないか?
って思ってるの

だって、耳とかこれまで、見てもらった事ないんだもん、、、
ってドキドキしながら
並んでるんですよ


でもね、
『いや、これまで
みんな合格って言われてるやんか、誰1人として不合格って言われてないやん!私だけ不合格とかないやろ』

ってどこかで大丈夫じゃね〜と思う自分もいるんですよ..

で、来ました、、私の番!

まず爪...

汚い、、ブッブー
ハンカチ持ってない、、ブッブー

で、きました

耳の垢検査...

先生は1言・・こう言いました

『うえっ..汚ったね〜』


今の私なら、
『ですよね〜』って言いますよ、、(笑)

でもね、その時はもう、死んでしまいたいって
思いました

何より初恋の男の子にも聞かれちゃったんですよ
私がばっちい子だって...恥ずかしいマックス

先生はもちろん、、
印鑑は押してくれませんでした

そして
『西川、お母さんに洗ってもらうようにな、、女の子なんだから』
ってみんなの前で大きな声で指導してくださいました.

『女の子なんだから..』

これ今でも私が
大嫌いな言葉です......

あの時の夕方の教室に漂う
どよ〜んとした空気、今でもはっきり覚えています
頭の悪い男子は『お前、耳汚いんや』って笑ってました

でも、私が1番惨めだったのは
その辺りのスーパーでは決して買えない
見たこともないヒラヒラのレースをあしらったワンピースを着ていた
クラスメイトの一言.
『大丈夫よ、先生目、悪いんとちゃう?気にせんとき』って
それこそ耳元で囁いたんですよ

汚い私の耳元で...
気遣ってくれたのに、私には
そんな風に解釈することができなかったんですよね...

自己評価が低い..
臭いに敏感なのはこのあたりの経験が大きく作用してるんでしょうね

大人になっても
頭の臭い、口臭、体臭、耳の後ろ、お臍の中、
いつも私臭くないかな?呪縛はあるかもしれません

皆さんも過去の経験からの考えすぎ呪縛ありませんか?
きっとあるはずです
それ、あなたが勝手に思ってるだけですから(笑)

ちなみに、私がファッションが大好きで洋服が大好きなのも
この頃、洗濯をしてもらえない、いつもよれよれの同じ服を着ていた
幼い頃の反動なんだと思います
※今は純粋にファッションが大好きですけど、、、


次回は頭の編み込みは何の為..編です


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