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佐藤愛子著 『血脈』の【感想】 圧倒的な筆力は「荒ぶる血」の発現?!

1・前置き – この感想はネタバレします!

『血脈』足立区立舎人図書館で行った読書イベント「本と、おしゃべりと、(2020年10月18日開催)で紹介されたことで手にしました。

上中下巻、合計約2千ページを10日ほどで読み終えた直後は、「とんでもなく強大な筆力の小説に触れた」と感じました。

自ら破滅に向かう佐藤家の人々が織りなす愛や憎しみ、恨みや妬みが渦巻く85年間の物語、胃もたれするような展開も随所にあります。

人間の醜さや矮小さ、哀れさなどを容赦なく描いた本作を、私はしっかり味わい、打ちのめされながら読みました

本作は私にとって間違いなく、長く記憶に残る作品だと思います。

情愛や時代の嵐に飲み込まれる人たちの行方が気になるとともに、複数の人物の一人称で構成される描き方にも興味を憶えました。

下書きしたらあまりにも長くなったので、「感想」「考察」の二編で本作を語ることにします。

ちなみに私は本作に登場する紅緑、愛子の作品を一切知りません。また、サトウハチローの名や作品は知ってはいますが、彼の詩や彼自身に好悪の感情を持ちません。
そのため史実との整合性や一般的印象との相違は気にせず、『血脈』という小説作品だけに言及します。

ただし、作中に登場する「愛子」が著者であることはわかっており、著者が作中に演者の一人として登場する形態には少し言いたいことがあります。その点は後日アップする「考察」で書きますので読んでいただけると嬉しいです

2・『血脈』ってどんな作品?

『血脈』は、著者佐藤愛子の父であり作家である佐藤紅緑(本名洽六)、詩人であり童謡作詞家である兄サトウハチローを軸にして、佐藤家の人々の栄枯盛衰を描いています。
有名作品が生まれた背景や、各作家の成長も描いていますが、サクセスストーリーの要素はありません

むしろ多くの読者に「金があるとしてもこんな生活はしたくない」と思わせる内容ばかりです。
避けることはできたのに、自らの選択で家族や自分自身を地獄に突き落とす性(さが)、一族に流れる「荒ぶる血」が本作のテーマです。

タイトル:『血脈』は、有名作家を多数輩出した『血統書』を示すものではありません。むしろ佐藤家の人々を年代記で見ることで、「彼らはなぜ破滅に向かったのか?」、「持って生まれた血には抗えなかったのか?」を問い続けています。 

重くて辛い小説ですが、読む価値がある作品であることを断言します。

夜2

3・眼をそむけたくなる内容満載! 読む覚悟を必要とする作品!

『血脈』は上、中、下巻で完結する約2千ページの大作です。見てわかる分厚さがあるので、手に取るには勇気がいるでしょう。しかし、読者を捉えて離さない圧倒的な力があります。
 
本作で苦しみが無いシーンはほとんどありません。情愛、孤独、嫉妬、人間不信などの内面的苦しみや、借金、戦災、依存症など、苦しみを百貨店のように扱うのが『血脈』のひとつの見どころです。

「父の浮気によって崩壊する家族」という物語は珍しいものではありません。しかし、その後の崩壊が85年にも渡って続く展開は本作でしか味わえないものでしょう。
また本作は安易なカタルシスで読者を泣かせたりしません。家族を扱う作品でしばしば見られる「家族愛の美しさ」を本作に期待してはいけません。本作の登場人物の多くは愛に飢えていますが、ほとんどその望みは叶えられませんし、描かれる愛情の多くは相手のことを考えない歪んだ妄執ばかりです。

しかし、本作は悪人を断罪したり、教訓を語る作品ではありません。情愛におぼれる人や詐欺を働く人を、複数目線で客観視する作風は、むしろ「珍しい生き物の観察記録」を思わせます。さらに読み進んでいくと、読者の目に「珍しい生き物」と映っていた登場人物にも、実は自分と似た心情や傾向があることに気づくでしょう。奇怪な珍しい生き物に見える彼らは、読者の誰もが持っている性質を、少し多く持っているだけなのだと私は思います。

主要な登場人物は必ず劣った面を持っていますが、本作は良い面を並列に描いて、「どの人にも良い面と悪い面がある」とマイルドに語るようなことはしません。
むしろ欠点を複合的に、長い尺を使って淡々と書き続けることで、人生の出口の無さを突き付け、読者に手に負えない困った家族が自分にもいるような錯覚を起こさせます。
そしてついには、「あの人が死んでほっとした」という感想を読者にも持たせて共犯化するのです。
人は普通の状況にあれば「建前」を尊重するので、他者に「死んでほしい」と口にしません。しかし、本作を読めば、「困った家族」に長年苦しめられる感覚を疑似体験でき、建前は早々に崩壊します。

作家として成功する父親や兄は妻以外の女性に執着し、とりえのない弟や息子たちは劣等感に膿んで酒や薬に走って堕落を極め、自殺や野垂れ死にしていきます。
社会への適応性を持てず、人をだますことだけに知恵を絞る人物も複数登場します。
男性の多くは女性関係がだらしなく、収入が無いのに複数の女性に子供を産ませて苦しみの連鎖を生むという地獄絵図も、本作では日常的な風景に溶け込んでいます

このように紹介すると、読みたくないと思う人も多いでしょう。しかし、繰り返して言いますが、本作には悲惨な物語をぐいぐい読ませる圧倒的筆力があります。
人間の醜さ、いびつさを描ききり、単なる悪人として処理しない点こそが本作の大きな魅力です。また、隆盛を誇った人の衰退や枯渇、老いによって人が誇りを失うさまを容赦なく書く見どころもあります。

ここまで徹底して脅してきたので、ひるんだ人も多いと思います。読む人はぜひ覚悟をして読んでください。また、読む覚悟はできても買う覚悟はできない… そんな人はぜひ図書館を利用してください。

夜3

4・『血脈』の名場面を私なりにランキングしてみた!

『血脈』は衝撃的な場面が多く、心に残ったシーンは無数にあります。ここでは私にとって忘れがたい場面をランキング形式で紹介します。

第5位・下巻第四章、真田与四男の晩年がやたらと美しい!
作家の狂気や人間の無様さを克明に描く本作で、真田与四男は唯一と言っていいほど「綺麗」に作品に執着して、妻との信頼関係を持ったまま死にます。

佐藤の血を持つ中で彼だけは破滅しないのですが、他の佐藤家の人物との違いに言及されない点には若干の違和感を覚えます。
与四男が一旦病を克服して「続・親鸞」に取り組むシーンは、ここだけ別の物語か、と思わせるほどに清涼感すらあります。
与四男だけがかくも美しく描かれたのは、12年も続いた連載の終盤に書いたからなのか、佐藤の血を受け継ぎながらも共に暮らしたことがない与四男に著者が遠慮したのかはわかりません。
この点は思うところがあるので「考察」で触れますが、陰惨な展開が多い本作の中で、傑出した美しさがあったのでこの場面を選びました。

第4位・上巻第二章、「崩壊の始まり」という章題
上巻第二章が始まった時点で佐藤家は十分「崩壊」しているように見えますが、これが「始まり」なのか?! と章題で思わせる点が圧巻です。実際に一家の主が妻以外の女と暮らし始めたこと自体は、この作品が描く地獄の発端でしかなく、これから延々と崩壊の連鎖が続いていきます。

第3位・下巻第三章、五郎と忠の死の描き方
アルコール依存症と胃癌で哀れに苦しんで死ぬ五郎と忠を、死ぬ間際まで人間のクズとして描く場面は嫌でも記憶に残ります。陰惨なシーンが多い本作中でも特に哀れで醜い部分ではありますが、文章としては実に見事です。
また、事実に基づく内容を扱う本作で、親類の死をここまで醜く書けるのも佐藤愛子に流れる「荒ぶる血」の発現かと思わせます。著者がこの場面をこのように書いたこと自体が、『血脈』とはある種の呪いなのだと実感させてくれる場面でもあります。

第2位・上巻第一章、ハチローと横田シナの遭遇
冒頭でハチローとシナが遭遇する場面では、不穏な物語の幕開けを予感させる「風」の表現が印象的です。
長期連載作品では冒頭の「振り」と後半の展開が噛み合わないこともあるでしょうが、本作の冒頭は嵐の幕開けを見事に描いています。
対照的な性格のハチローとシナが、洪六を間に置きながら長く対峙し続ける緊張感がこの時点からみなぎっており、全体を読んだ後に冒頭を見返すと、佐藤愛子恐るべし、と思わせます。

第1位・中巻第二章、戦災と老い、あらがえない事柄を克明に描く凄み
家族関係の苦悩が多い作品ですが、中巻では戦争と老いが濃厚に描かれています。
国全体が無意味な戦争に突き進む中で、シナは早い段階で敗戦を予測します。しかし、分かっていてもどうにもできず、むしろ分かっているだけに強い無力感に打ちのめされる展開には共感を覚えます。

私自身は難民や入管の問題に関わっていて、日本の人権意識の低さ、場当たり的な政策を続ける政府を嘆いています。とは言え、知るだけではどうにもならない、それは時代によらず多くの人に課せられた問題なのだ、と強く感じました。

物語は、戦争の中で食と住の確保に明け暮れる日々や、老いて誇りを失う洪六、それでも金をむしり取ろうとする息子たちを残酷なまでにていねいに書きます。
「衰退」という章題が見事にマッチしており、「うまいなあ、読ませるなあ」と感じました。

『血脈』は強烈な展開が多く、記憶に残った場面は数えきれないほどありますが、無限に続きそうなのでこのくらいにしておきましょう。

夜4

5・物書きに「ここまで書けるか?」と強く問いかける作品

『血脈』は物書きに対して、お前は「ここまで書けるか?」と問いかける力を持つ作品です。
本作は佐藤家の人々の顛末をていねいに描くことがテーマのようですが、実は彼らは観察対象であり、彼らに流れる「荒ぶる血」がどのように影響したのか、という点こそがテーマなのだと思います。
執筆時には「小説というより暴露本」という否定的な意見もあったようですが、私は一族の奇行、醜行をここまで書ききった点を、シンプルに凄い小説だと称えます。

その一方で、物書きとしてツッコミたい部分もあるので、その点は「考察」で書きます。

何にしても、本作は私の記憶に長く残る作品であることは間違いありませんし、今後の自分の文章に影響を与える可能性も感じています。


このような強烈な力を持つ本作を紹介してくださった方に、心からお礼を申し上げます。
素敵な作品の情報を紹介していただいて、本当にありがとうございます。

夜明け


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