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選んではいないのにゲームはもう始まっている

社会のことがなんとなくわかり始めたのは大学に入ってからです。私が生きてきたこの社会って資本主義っていうものだったんだ。だから現状維持じゃだめで、椅子取りゲームを続けないといけないんだ。自分の経済レベルを相対的に意識したのもこの頃。私が1週間の食費1000円チャレンジをしている一方でブランドバッグを持ったり海外に毎年行く人がいたり、お金があると選択肢ってたくさんあるんだな、ということがわかりました。その後、大阪に暮らした時は日本社会vs自分みたいに思い込みがちだったけっこう大変な時期で、「選んではいないのにゲームはもう始まっている」このフレーズを聞いて思い出すのはその頃の帰り道です。

誰かが勝手に決めたルールのゲーム上に放り出されて、何がなんだかわからないけど生き延びるためにプレイをしないといけない。若かりし私が憤っていたこと。そのやり場のない気持ちって今でもわかるけど、それだけじゃない気持ちがいつからか私の中に生まれています。このゲームをしばらく続けるしかないのなら、少しでもフェアなルールでプレイできるように、私も一人のプレイヤーとして巻き込まれていこう、という。

大学の授業で闇の子と光の子の話を聞いたことを思い出します。闇の子は賢く、光の子は愚か。世の中を変えたいなら賢い光の子にならないといけない。巻き込まれて一部になりながら光を消さないでいるしたたかさや、時を待って闇を内側から照らして変えていくたくましさを持つ、という話だったと記憶しています。私は今も昔もどっちかというと愚かな光の子タイプだけど、最近はタフな愚かな光の子、くらいになれたかな、ならないとな、って思っています。

こぼれ球が当たったり、ましては標的にされないように外野で恐る恐るプレイしてきたな。でもそのフェーズはもう過ぎたなって思う。「選んではいないのにゲームはもう始まっている」うん、そうだね。でも椅子を取り合う以外にも、できることがきっとあるはず。

(アンビバレント企画でブログ3本書きます。その3)


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