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「お茶」のなにが好きで、どんな「お茶」をしていきたいのか

最近、コミュニティでお茶に関することをいろいろやってます。

そもそも自分は、どうしてこんなにお茶が好きで、なんで今コミュニティでお茶に関することをやり始めたんだっけ?

ということを、この先ぶれないように書いておくことにしました。今回は自分のための備忘録ブログです。


お茶に興味をもったきっかけ

さて、なぜお茶にはまることになったのか。それはあるお店との出会いです。

もともと日本文化や仏教が好きで、学生のころから美術展や能楽堂によく通っていました。しかし、社会人となり、結婚・出産すると、そんな時間もなくなります。忙しさに紛れて日本文化とはちょっと離れた生活に…。

そんなとき、たまたま通りがかった「うおがし銘茶」。500円でお菓子と日本茶が飲めるという案内に惹かれて、引き寄せられるようにするすると入店してしまいました。

入ってみると、なんともおしゃれでモダンな空間が広がっているではないですか。大きな一枚板のテーブル、壁には和田誠さんのイラスト、しずかに音を立てる釜の音。そこで飲んだお茶は、これまで飲んだことがないほどにおいしく、優しい味でした。育児の疲れもすっかり癒やされて、毎週3日以上は通うファンとなりました。

このお店が素晴らしかったのは、その空間だけではありません。なによりも、スタッフさんたちのお茶に対する愛情が深く、そこからくる企画力が素晴らしかったのです。

特に、定期的に開催される「茶遊会」というイベントでは、5階建ての建物まるごと使って、お茶をいろんな角度から楽しめるよう工夫されていました。

▼ むかし、ほぼ日でも記事になってました。

あるフロアでは新茶の飲み比べができたり、別のフロアではシェーカーで抹茶アルコールを作ってもらったり。茶碗にフォーカスした個展が開催されていることもありました。

定期的なイベントなのに、毎回かならず新しい発見と楽しさがあり、「お茶」という共通項から、スタッフさんがエッセンスを上手に引き出し、おしゃれでオリジナリティあふれるイベントを提供していました。このお店がきっかけで、日常にあるお茶が持つ懐の深さを感じることができました。

(数年間通っていましたが、経営方針が変わって、当時のスタッフはいなくなり、茶遊会という企画もなくなってしまいました。残念…)

お茶って、新しくてかっこいい

お茶をもっと知りたいという思いから、その後、銀座のお茶のお店に勤めるようになると、今度は「日常のお茶」とは180度異なる「現代のお茶」の側面を知ることとなります。

このお店は、代表の緒方さんの「伝統的な日本の菓子を現代に進化させ、私たちの日常の中に再び息づかせたい」というコンセプトがお店の隅々まで行き届いているお店。

写真:公式HPより

とにかく、このお店、かっこいい。すべてが研ぎ澄まされ、削ぎ落とされ、美しいかたちを保った現代のお茶がそこにあります。前述の「うおがし銘茶」とはまた違う趣だけど、働きながらも毎回うっとりするぐらい大好きな空間でした。

それにしても、お茶の世界は、どうしてすべてに渡ってひとつ筋が通った美意識を形成できるのでしょう。

お茶の美しさ

お茶の統一的な美しさ、美意識。

茶道のお稽古に通うようになると、あらゆることに型(フォーマット)が決まっていることに驚きます。お茶のいただきた方も、どのタイミングで誰が何を話すかも、足の踏み出し方も。だから、茶道を始めた当初は、立ち上がって一歩目を出すのさえ躊躇しちゃいました。(右足、左足、どっち?)

しかも、この「あらゆる」は所作だけではないのです。茶道は、お茶を点てる・飲む以外に、宗教・工芸・建築・花・菓子・暦・お香など、ほんとに、ありとあらゆるさまざまな要素が組み合わさった総合芸術なのです。

たいていの日本人が考える能やお茶や生け花といった日本の代表的な伝統文化は、ほとんどが室町時代に生まれているんですね。

室町時代になると、「座」の文化というものが出てきます。人々が寄り集まって、情報を交換し、そこから共同で文化を生み出していく。これを「一座建立」といいます。

そうした「座」から生まれた文化で、その後の日本文化に大きな影響を与えたのが「連歌」です。

連歌師がしつらえた「座の文化」は、日本人の花鳥風月をめぐる「好み」を育み、それが能や茶や花の「好み」にも転じて、とりわけ「茶の湯」という様式を生んでいったのです。

ともかくたくさんの歌が連鎖していったことによって、日本人の美意識のようなものがどんどん洗練されていったということです。

「世界と日本の見方」 松岡正剛

ここで言われている日本人の美意識とは、茶道でもよく出てくる「わび・さび」のこと。洗練されていったと書かれていますが、貴族だけでなく民衆さえも熱狂した連歌という遊びは、冷たく凍てついた冬ざれの風物こそ美しいと感じる美意識を作り出すんですね。

キラキラしてるより、荒れ果ててるものを美しいと感じるようになるなんて、日本人の感性って、ほんと面白いですね。そして、この冷えさびの感覚は、幽玄の美意識も生み出し、能ともつながっていきます。

しかも、興味深いのは日本文化だけでなく、茶道を勉強すると、実はキリスト教、儒教、道教、易学、陰陽五行といった他国の哲学や宗教が影響していることがわかります。(陰陽五行と茶室の関わりはほんと面白いので、いつか勉強会をしたい。)

日本は外国から「コード」、いわゆる文化や技術の基本要素を取り入れて、それを日本なりの「モード」にしていく、様式にしていくということが、古代からたいへん得意な国だったんですね。

外来コードを内生モードにする日本」というふうに説明しています。外から文様や技術や仏教のコードを入れて、それを組み合わせ、新たなものを加え、モードに編集していくんですね。

「世界と日本の見方」 松岡正剛

正直がんじがらめにしか感じられないような「型」。それなのに、なぜか自由で、しかも新しく感じるのは、千利休を始め阿弥衆という編集者たちが、内生モードに美しく編集したからなのかもしれません。

なんという、美しさの妙でしょうか!

お茶の懐の深さに入り込もう

といいつつ、茶道を始めてから数年後、独自の制度に疑問を感じたりしたことがあり、しばらく茶道から離れていた時期がありました。

でもよくよく考えてみると、何も茶道家になりたいわけでもないだから、自分なりに楽しんでみてもいいんじゃないのかなぁと思っています。なにより、お茶は懐が深いんだから。

能とお茶の関わりをもっと勉強して、そういう会を設けてもいいし、あるいは、音楽とお茶をかけあわせてみても面白いかも。茶道の多面的な要素を活用し、それぞれを深掘りして、もっと自分なりに楽しんでみたい。

自分が育児中にふらりと入って、お茶屋さんでお茶に感動した、「茶遊会」のように、敷居を高くせず、だからといって、本質も見失わず。そんなお茶ができるようになればいいなぁと思ってます。

ということで、これからも茶道を学びつつ、お茶や日本文化が好きな方々と、いろんなかたちでお茶を楽しむイベントをしていきます。

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