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無力であるということ

みなさん、おはようございます。
ゆっかです。
連続投稿15日目です。

今日は無力であるということについて。

我が子を見ていて思うのですが、赤ちゃんって何もできない存在として生まれてきます。

不快だったら泣いて、寝てその繰り返し。

泣くと誰かが不快を取り除いてくれて、安心する。


でも何も出来なくても存在そのものが価値。


愛そのものの存在。


何もできなくても、不快だって泣くだけでも、周りは愛おしさを感じるわけです。
そして、その愛おしい存在のために役に立つことを喜びと思うわけです。


そうして、少しずつ筋力をつけて、首が据わり、寝返りをし、座り、歩き・・・と成長していく。

常に現状の外側への挑戦をしているように見えます。

自分の次のステップが分かっていて、それに向けて何度も何度も同じことを繰り返し、ある日突然できるようになる。
そしたらまた次なるステップに進む。

人間って生まれたときからそういう風にプログラムされているんだなと興味深いです。



翻って今の自分。


少し前までは無力であることを恐れていました。

何もできない自分は価値がないというビリーフを握りしめていました。

だから頑張らなければならない。

そんなhave toでがんじがらめになっていました。


でも、無力であっても価値がある。

存在そのものが価値。

愛そのものの存在。

誰だって。



そう自分を受け入れることができるようになりました。


自分が無力であるからこそ、他の誰かが輝くのかも知れない。

無力な自分がチャレンジをするからこそ、誰かに勇気を与えるのかも知れない。


いつだってそんな自分を良い、悪いとジャッジしているのは自分。


赤ちゃんはそんなジャッジをしないからどんどん現状の外側へ、本能のままに進めるんだろうなと。


そう考えると、人はいつだって、自分の本能に従って、本当に心の喜ぶことをしていくことが自然なのかも知れないなと思います。



それをいつだって我が子が教えてくれます。


毎日、そんな素敵な気持ちにしてくれてありがとう。


今日も最幸の一日にしましょう!


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