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人生がそもそもゲリラ豪雨なのでは

先に呟いてしまったけど。

そもそも、人生そのものの概念がゲリラ豪雨みたいなものかもしれない。

そんなことが浮かんだ深夜。

降ってる間は、それはもう大変で、
前は見えないし、目は開けづらく、
足も手も体も水浸しで、
持ってるものすら浸水して

何だこの理不尽はと叫んでも、突然降りかかるものを避けるには、限界がある。

だから、準備は必要で、器用でも不器用でも。
自分のできることをできる限りやっておくしかない。

それでも、痛みはあるし、無くなるものも多分ある。
それは、悲しいし辛いことではあるけど、
不要なものも同じく流れてくんだから、
普段から見極めておくことは重要なのかもしれない。

それは、「誰かにとって」ではなく、「自分にとって」
嘘、偽りのない、自分だけがわかる自分が大切なもの。 
例え、離れていったとしても、見失わないように。
心のなかで生かしておけるように。

そして、過ぎ去ってしまえば、案外、なんてことはないのかもしれない。
目を覆いたくなるほどの、被害がある場合もあるから、一概には言い切れないけど。

雨の去った、空を見て、なんだ。
と思うのは、躓いた後に少し似てる。

痛みがあるのは、頑張った証拠で、
耐えた証拠で、大事だった証拠なんだろう。

理不尽だからこそ気付けることもあるよね。
なんとも皮肉だけど。

何もしなければ流されて終わり。
どうせ、流されるなら足掻きたい。
好きなもの忘れないように。
仮に遠くに閉まっても何かの拍子に思い出せるように、ちゃんと紐で固く結んで。

人生2度死ぬって言ってた人は、そういうのを普段から感じてたのかもね。

ま、そんなことは言った本人にしかわからないけど

もしかしたら、僕みたいに、考えてたとかじゃなくて、唐突に降って湧いて感じただけかもしれない。
あーそれも雨なのかもね。

いや、飴なのかも。

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