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帰省、そして自省

お盆の時期には必ず実家に帰るようにしている。普段両親・祖父母に対して親孝行的なものを一切できていないため、せめてもの罪滅ぼし、とった思いで顔を見せに帰る。

今年も実家に帰省した。現在住んでいるアパートから実家までのバスは例年、帰省客でごった返すのだが今年はコロナウイルスの影響もあってか帰省客は僕も含めて4名のみだった。コロナによって本当に世の中は現在進行形で変化しているのだと実感する。

変化、といえば家族の様子もだいぶ変化した。まず祖母が補助車なしで歩くことが困難になった。毎年お墓まいりに一緒に行っていたのだが、今年は孫に任せきりだ。祖父は相変わらずお盆中も仕事をしている。ただ、タバコの本数が少し減ったような気もする。

以前の帰省時から家もリフォームされていた。高齢になった祖父母のために段差のない設計になったリビング。薪ストーブが撤去され新たに設置されたエアコン。そして自分も含め子供達がいた時代には10人分の食事を置くことができる大きなテーブルがあったが今では父母と祖父母の4人用のテーブルがあるのみである。

自分が歳をとったせいか、それとも家族が歳をとったせいか、いや両方があるだろうか。何れにせよ、変化というものを今まで以上に感じる。

久しぶりに高校・大学時代のノートを見返してみた。A4の物もあればB5サイズのノートもある。日付とタイトルが書いてあるものもあればいきなり誰かの名言で始まるページもある。

そんな中、大学時代、特に大学の授業をサボり図書館で本をひたすらに読み漁っていた時期に書かれたと思われる自分の日記を見つけた。

当時の自分が悩んでいたことや社会への不満、自分への不満が殴り書きされていた。当時自分は劣等感の塊であり、どうしたらこの劣等感から解放されるだろうかと日々考えていたようだ。

当時を思い出すと本当に辛い日々だが、あの悩みに悩んで答えのない問いを投げかけ考え続けた時間こそ、他ならぬ今の自分の思考と経験につながっているのだと思うとあの頃の時間は大変貴重だったのだと痛感する。

あの頃の日記の中の自分はまだストーリーの序章だった。これから何が起こるかわからない恐怖感とワクワク感があった。

一通り日記を読み終え畳の上に日記を置えた私は焦燥感にかられた。

中学の頃からずっと思っていた教員になることができた。でも教員になってからの自分はパタンと努力をしなくなった。仕事で疲れたからと自分に言い訳をし帰宅後はスマホでyoutubeを見る日々。

圧倒的に未来を思い描くことに割く時間が減った。未来を思い描く代わりに今を退屈させないことや現実逃避に時間を使うようになった。

世の中の課題に目を向け、どうしたら自分が影響力を持ってその問題を解決できるかなんてことを実現可能性なんか考慮せずに考えていたあの頃の自分の方が今よりよっぽど輝いているんじゃないだろうか。

心なしか最近の自分の心の火が消えかけているような気もする。

もうすぐ二学期が始まる。コロナもあって異例の二学期を迎えそうだ。生徒たちは日々ものすごいスピードで変化している。自分もその変化に追いつき「先を生きる」ものとしての行動を示せるだろうか。

と自省する夜であった。


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