受験?やりたきゃどうぞ。
3月あたまに県立高校入試があって、UTUWAの子たちも何名か受験する。
そのうちの2人が、当落線上にある。
受かるか落ちるかビミョーなラインってこと。
どっちかっていうと、このままでは落ちる。
現状のやり方、努力を(今でも十分頑張っているんだけど)続けても受からなさそう、経験上そう感じた。
だから2人を呼んで、ありのまま話した。
現状では志望校に受からないこと。
おかもとは2人に志望校に行って欲しいとは1ミリも思っていないこと。
2人がどうしたいのか、その決定を尊重しサポートすること。
おかもとはかなり厳しい言葉を子どもたちに浴びせる。
何も知らない人が見たら、おっさんがキレてるようにしか見えない。
でも、意外と厳しくするポイントは1つだったりする。
(その割に、小学生には「おかもとは理不尽だ」と面と向かって言われたから、違うのかもしれない笑)
自らの意思でやりたい、達成したいと言いながらそれに向けたアクションを起こさないことだ。
やってみて、やっぱり違いました、だからやめますー、
これはありだと思う。
やってみたらオモロくないとか、やってみたら無理やったとか、まああるわなと。
でも、やりたい、実現したいって口で言いながら何もしてへんときは、おいおい、言うてることとやってることちゃいまっせーって。
ほな初めからそんなこと言うなやと。
受験も同じで、
別に高校に進学しようが就職しようが旅に出ようが、お好きにどうぞって感じで。
高校に行って欲しいなんてこれっぽっちも思わない。
好きに生きたらええやんって。
本人は行きたくないのに、親にある高校をゴリ押しされてる場合なんかも、
いやそんなんいかんでええやん、って言ってしまう。
本人が自ら「あの高校に行きたいんです」と言った場合のみ、
よしゃ、ほんならいっちょやったろうや、サポートすんぜと。
だから今回も、まず最初にその意思表示を確認した。
どうしても行きたいそうだ。
ほな、お手伝いしますか。
わたくし、厳しいですけどね。許してね。
また改めて書こうと思うけど、
受験って運ゲーな(100%じゃない)部分が結構あるから、
どうやっても落ちるときは落ちちゃうのよね。
でも、落ちても受かっても、(そりゃ落ちたら悔しいよ?)、
「あー、わたし、やり切ったわ」って、
その感覚を持つことが、これからの人生につながると思うのです。
やり切った感覚を得て、
そして受かった人間は将来こう言うと思う。
「あの成功があったから、今の自分があります。」
やり切った感覚を得た、
なのに落ちてしまった人間は将来こう言うと思う。
「あの失敗があったから、今の自分があります。
てか、失敗だったとか1ミリも思ってないんすけど(笑)」
受験は手段であり、選択肢の1つでしかありませんよと。
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