リコリコは何も解決していない、だがそれでいい:『リコリス・リコイル』最終話放送直後の雑感 #リコリコ
この記事は2022年夏クールにおいて世間(主に俺)を最も狂わせた賑わせたTVアニメのうちのひとつである『リコリス・リコイル』の最終話をリアタイした直後に書かれている。まず先に断っておくが、ロクな考察も推敲も経ていない、脊髄で書かれた雑感であることに注意していただきたい。
当然ながらこの記事はTVアニメ『リコリス・リコイル』全話のネタバレを含むので注意されたい。なお、筆者は小説『リコリス・リコイル Ordinary days』を事前に予約して紙の本でも買い、その上で発売日に速攻Kindleでも買ったのにも関わらず、本記事執筆時点ではまだ読めていない(*1)ので、同小説のネタバレは一切含まない。未読の諸氏は安心して以下の文章を読んでほしい。
観た直後で未だに心臓がバクバクしており、後日落ち着いてもう一度見ないとロクな感想も出てこないのだが、第一に感じたことは千束が死ななくてよかったである。ここに異論を持つ者はいないだろう。そして第二に感じたことは、逆にそれ以外何も解決していないということである。
『リコリコ』は「情報量が多い」作品である
リコリコは情報量が多かった。まず「陣営」が多い。例えばごくシンプルで古典的な勧善懲悪物語では、登場人物は善と悪、主人公と"敵"という二項対立の構図にあるだろう。視聴者は主人公サイドに完全に感情移入し、応援すればいい。しかし『リコリコ』では、主に以下のような陣営が存在する。
【喫茶リコリコ 陣営】
千束、たきな、ミカ、ミズキ、クルミ【真島 陣営】
真島、ロボ太、他【DA 陣営】
楠木、DA司令部、DA所属リコリスたち【アラン機関 陣営】
吉松、他
他にも喫茶リコリコの常連客やリリベルサイドなど色々あるが、それは一旦置いておくとして、まずもって各陣営が複雑に関係しあっており、しかも単純な善悪には分類できないものが多かったことが言える。喫茶リコリコサイドはともかく;真島は過去にも旧電波塔を破壊するなどの多くの犯罪を犯し、作中でも多くのサードリコリスらを惨殺した極悪テロリストであるが、その主義思想はリコリス/DAにより秩序が保たれている気味の悪い="バランスの悪い"世界への嫌悪であり、その他の人柄や言動などもあって、彼はリコリコファンの間で「憎めない悪役」として評価されてきた。DA/リコリスは日本社会の秩序を維持しているが、その実態が"キモい組織"であることは1話のミズキの発言の時点で既に明らかであり、作中の日本社会は真島が指摘するように歪である。吉松は千束に命の続きを授けた"救世主"であるが、思想は狂っており、アラン機関の実態はまだあまり明らかになっていない。
こうした様々な要素が複雑に絡まりあった『リコリコ』において、"解決すべき問題"は非常に多く存在した。
千束の心臓/余命の問題
ミカ・千束と吉松との決別
真島との決着
"歪な世界"の是正 (≒リコリス制とDAの打倒?)
アラン機関に関して (まだ情報不足)
人々によるリコリスへの疑念、バラ撒かれた銃の問題
まず最も重要なのは当然千束の心臓・余命の問題であり、ミカ・吉松、および千束・吉松の間の関係性の問題、"家族"の物語だろう。これについては、最終話において文句ナシに解決した。
しかし、逆に言うとそれ以外は何も解決していない。この作品で描かれた諸問題は全てそのままである。真島は生きながらえて依然として自らの思想のために活動し続ける様子が描かれたし、人々に植え付けられた歪な社会やリコリスへの疑問、バラ撒かれた大量の銃の問題も本質的には解決していない。そもそも世界が歪であること自体が何も変わっていないし、"キモい組織"ことDAも一応はそのままの存続を見せている。アラン機関やリリベルなる存在に関しては、実態がまだあまり明らかになっていないので何も言えないレベルである。
『リコリコ』は「選択と集中」を行った
しかし私は、"何も解決していない"この作品の終わり方に疑問を持っていない。最終回を迎える前から、全てを解決することは不可能であるとわかっていたし、むしろ千束の命の問題が解決しないのに他の問題の解決に向かうべきではないとまで、漠然とではあるが思っていた。
物語が終盤に向かうにつれて、展開に疑問を持つ声がインターネット上で散見されたが、それに対し「リコリコは人間の感情や関係性を描くために存在している作品であって、物語構成の緻密さには用事が無いのであろう」という指摘があった。私は非常にこれに納得した。あらゆる設定や諸問題は関係性や人間の感情を描くために用意された舞台装置なのであり、決して蔑ろにされているわけではないが、あくまでも本質ではない。このことにより、関係性のオタクや人間の感情に用事のある人間は歓喜してこの作品を愛し、構成の緻密さと納得感を求める層は多少の疑問を持っているのだろう、という主張である。
これはある種の「選択と集中」である。私はそもそもこの作品の構成やストーリー展開にそれほどの疑問を抱いていないが、それでも『リコリコ』は最後まで、「人間の感情と関係性」という最も重要な問題に集中しきったというのは事実だと思う。最大のミッションを果たすことからブレなかったのである。
そして、"何も解決していない"ことも、この「選択と集中」であると言える。この物語で最も重要な問題は「主人公・千束の生存」と「家族の関係性」であり、そこには誰も異論はないだろう。『リコリコ』はこの最重要ミッションを完璧に解決し幕を下ろした。
そもそもの問題として、千束の生存も安心できない状態で世界を変えようとか敵と決着をつけようとかいったことは無茶である。千束さんの余命を無駄に消費するな!という話であるし、正直言って「お話が始まらない」状態である。『リコリコ』は千束の心臓の問題を解決したことで、ある種の「スタートライン」に達したものと言えるだろう。
かくして、千束の心臓の問題は解決した。文字通り"新たな誕生日"を迎えた千束は、これまでの人生では予定もしていなかった「余命のその先」を生きることになる。愛する妻頼れる相棒・たきなとの新たな日々も、喫茶リコリコという大切な場所での暮らしの続きも、"今まで諦めていたこと"も、それら全てを叶えてしまえるかもしれないような途方も無く長い時間が、新たに千束に与えられたのだ。
世界の歪さや各種人物との決着も、これからゆっくりつけていけばいい。もはや千束に"タイムリミット"は無く、生き急ぐ必要も、諦める必要も無いのだから。
もし『リコリコ』という物語に続きが与えられたなら、ようやくスタートラインに立った千束が、そしてたきなが、これらの諸問題と対峙していく話になるのだろう。そもそも千束がこれらを解決する必要はあるのか、という話はあるが。
さいごに
この作品と過ごした3か月は非常に楽しかった。まだ最終話を一度リアタイしただけの段階で、私の中での咀嚼は全く済んでいない段階だが、今後の展開に多いに期待したいという思いでいっぱいである。また後日機会があれば、その他の感想も言語化していきたいと思う。
P.S.
ちさたきの結婚式の模様はいつ放送されますか?