舞台『リコリス・リコイル』雑感:俺は確かに錦木千束を見たんです……【#舞台リコリコ】
2023年1月14日土曜日、舞台「リコリス・リコイル」夜の部を観てきましたので感想を思い出せる範囲で書いていこうと思います。
TVアニメは放送当時に履修済みです。舞台はそれほど多く見た経験があるわけではありません。最近観たのは舞台「やがて君になる」encoreです。舞台やが君で主演・小糸侑役を務められたのは河内美里さんで、舞台やが君が本当に良かったので、河内美里さんが主演・錦木千束役を演じられると聞いた時から舞台リコリコが素晴らしいものになるだろうという予感はしていましたが……本当に素晴らしかったです。
なおこの記事は当然ながら舞台「リコリス・リコイル」およびTVアニメ「リコリス・リコイル」のネタバレを含む可能性がありますので、未見の方はご注意ください。小説・漫画などその他の媒体のリコリコのネタバレはたぶん含んでいないと思います。
“実在感”がすごい
なんといっても舞台リコリコを観てきた全員が口にするのは「錦木千束が実在する……」ということだと思います。実在しました。本当ですこの目で見たんです、信じてください。
千束だけでなくあらゆるキャラクターがTVアニメで観たそのまま現実空間に現れていて、あまりの再現性と解像度の高さに衝撃を受けました。舞台は生身の人間が体を使って演じる以上、TVアニメでは描ききれないミリ単位での動きを通してキャラクターが描写されるわけですが、どのキャストの皆さんもこのキャラクターが実在したらこんな動きするよねっていう動きを全部やってました。原作の動きや喋り方の特徴をよく捉えていらっしゃるなぁと感じました。
……公式にダイジェスト映像が公開されていたので、それを観ていただくのが一番伝わると思います。舞台を直接見て衝撃を受けていただくのが一番の体験なので、そういう意味では直球のネタバレなのですが、様々な事情があり舞台を観られない方はこの動画で雰囲気を感じ取っていただければと思います。
全員マジでアニメそのままだったのですが、やはり最も印象に残っているのは千束です。TVアニメの1~3話あたりでリコリコに初めて触れた私たちが最初に目を奪われたのは、やはり錦木千束という人間の所作、話し方、性格、考え方、メンタリティだったのではないかと思います。我々視聴者と井ノ上たきなの心を突き動かして狂わせた、錦木千束から放たれた強烈な魅力は、リコリコという作品の根幹をなす一端です。だから、私は今回の舞台で千束が最も印象に残っているのだろうと思います。
……最も記憶に残っているのは、たきなが初めて喫茶リコリコを訪れ、千束と握手を交わす場面。「たきなもリコリコの仕事を手伝ってくれないか」と千束が手を差し出しても、すぐにはたきなが手を取らない少しの間のあと、千束が手の指をうにょうにょ~~🫲と動かすというシーンがありました。ウワッ!錦木千束、絶対そういう動きする~~~~!!!!!と頭を殴られたような感覚に襲われたというか、アニメーションでは描けない生身の人間ならではの解像度で映し出された「錦木千束」があまりに錦木千束すぎて思わず己の胸を掴んで悶えました。そのほかにも、「ちょいちょいちょいちょい」「ちょちょちょちょちょちょ」などの言い方や、何かに行くときの「レッツゴー!」的くだりの所作など、色々な場面で「解釈一致の錦木千束像」を摂取することができました。ごちそうさまでした。
せっかくなので千束以外の“実在感”についても書いておきます。なお○○というキャラクターについて毎度「○○じゃん……」と述べるだけの内容になっております。
本西彩希帆さん演じる井ノ上たきなも話し方・所作がアニメそのままで、リコリスとしてのシャキッとした喋り方や初期の氷のようなたきな像から、次第に千束という存在に絆されて様々な表情を見せていくようになるところまで、まさに井ノ上たきなでした。TVアニメの5倍ぐらい千束の乳を強引に触ろうとしていたのがめちゃめちゃ面白かったです。舞台では原作のだいたい7話ぐらいまでが描かれていたのですが、私が井ノ上たきなという存在に特に狂わされていったのは、千束の余命の問題が浮上しはじめる9話以降だったりするので、是非とも続編の舞台も作っていただいて、さらなる井ノ上たきなの狂犬具合と錦木千束への巨大感情を見せつけていただき無事死にたいなという願望が生まれました。真島に車で撥ねられたり目を無力化されてタコ殴りにされたりするあの辺りの話で、千束のピンチを聞いたたきなが全力疾走で喫茶リコリコを出ていくシーンは、錦木千束のピンチとあれば井ノ上たきなは絶対に即座にこの走り方で飛び出していくよな……というそのまんまの動きをしていて大変良かったです。
石井美絵子さん演じる中原ミズキも、まさに「ミズキだ……!」という印象で、酒カスであったり男に飢えていたりするミズキがまんまそこに存在していました。メタ的演出で観客にまで話しかけてきたのが超面白かったです。ふとしたタイミングで覗かせる実は千束のことをとても理解している良き姉的性質も、ミズキの欠かせない魅力なので、こうした部分も見ることができて良かったです。
大渕野々花さん演じるクルミは、声も話し方もクルミそのものでしたし、何よりも幼さと大人っぽさの表現が卓越していました。見た目通りの幼さは客席にいる私からも「ロリだ……」と思わせるかわいらしい所作や存在感の説得力がありつつ、顔立ちの凛とした美しさや知能の高さの出た喋り方などで、クルミが時々覗かせる大人っぽさも両立して表現されていたのがすごいと思いました。でもやっぱり根底には無邪気さがあるというか、ロリっぽくもあり大人っぽくもあるクルミの特性が両立していたと思います。
北村圭吾さん演じるミカは、声の渋さや優しさ、時々千束たちを諫めるときの話し方がそっくりで、一方シンジとバーで密会するときの出で立ちには大人の男性としてのダンディな魅力が香ってきました。引き金を引く覚悟なんてあるわけないだろうと泣き崩れるシーンは、原作同様にとても印象的でした。
……これを書いているのは深夜なのですが、全員分書いているとすごい量になりそうなのでいったん喫茶リコリコメンバーだけにして、後日ゆっくりとTwitterなどで書いていきたいと思います。あとこの記事の後半でも触れています。とにかく全員実在感や解像度がすごかった…。
演出と舞台装置の巧
舞台という媒体の魅力といえば、演出です。歌舞伎の時代から、例えば拍子木で足音や水の流れる音を表現したり、隈取の種類で主人公・悪役を表現したりして「演出」を行います。現実にファンタジーを起こすことはできないので、「こういう動きをすることでこういう事象を表現している」、「こういう記号を用いることでこういう意味合いを伝えている」というような“お約束”を使うことで代わりに表現しています。こうした“お約束”をいかに使っているのかが、舞台という媒体を鑑賞し考察するときに非常に面白いと感じる部分です。
「リコリコ」では主に銃撃戦などが、実際にやってみせることはできないファンタジーの部分なわけですが、21世紀にはプロジェクターや繊細な照明という高度な技術があるので、これらを駆使して巧みに世界観が表現されていました。具体的には、発砲された際に実弾やペイント弾の銃痕がキャラクターたちの背景に描画されたり、千束が銃弾を避ける際に地面や背景に緑色のエフェクトが描画されたりといった具合です。このぐらい普段から舞台を観ている人ならもしかしたら当たり前のことなのかもしれませんが、普段舞台を観ない私は、こうした演出表現が非常に巧みだなぁと感じました。
舞台装置の使い方も見ていて「なるほど、そうきたか!」と思うことが多くあり非常に面白かったです。最も印象に残っているのは、舞台中央に設けられた大きな扉、引き戸です。これが、ある時は喫茶リコリコのバックヤードにつながる扉として機能し、ある時はDA本部のシュイーンってかっこいい音がして開く自動ドアとして機能し、ある時は中にハシゴを用意し千束のセーフハウスの入り口部分として機能させ、ある時は護衛対象のリスの着ぐるみが出て行って蜂の巣にされて撃ち殺される屋上の扉として、そしてまたある時は車が飛び出してくる道として機能していました。何よりも驚いたのが、中に押し入れが爆誕してクルミが住まう襖として機能したこと。中に荷物やらディスプレイやら座椅子やらが置いてあって、まさにドラえもんの寝床のようなあの押し入れがいきなり登場したときは驚きました。そこの扉、そう使うんだ――!!
あとは、机や椅子、造り付けの段差などの使い方も見どころでした。ある時は銃撃戦の遮蔽物として使ったり、ある時は日常風景の椅子や机になったり……
ミカ・シンジがバーで密会する場面がありますが、シンジの言動にショックを受けて舞台手前中央で立ちすくむ千束の後ろで他の演者たちが大道具を動かし、照明が明るくなった時には、さっきまで大人な雰囲気のバーだったステージ上がもういつもの安心感のある喫茶リコリコになっていて、舞台っていう媒体は本当に魅力的だなと感じました。喫茶リコリコのカウンターの右側、先述の扉の左上にランプがあって、これも喫茶リコリコらしさを演出していました。
こちら↑をご覧ください。舞台装置は全てこの、花崗岩…?コンクリ…?のような石のような模様のグレーの地に赤茶色の模様が入ったデザインをしていましたが、これが絶妙にいかなるシーンでもマッチしていて、様々な形に表情を変えてコロコロと化けるのが面白かったです。「どのようなシーンでも溶け込む」「リコリコの世界観とマッチしている」そしてなおかつ「プロジェクションマッピングの描画と相性がいい」という条件を満たしていなければならないので、こうした舞台装置や大道具のデザインも興味深いなと感じました。
原作が存在する作品の舞台展開においては、実写の人間が原作をただそのまま音読すればいいのではなく、舞台という媒体においていかに最適な演出で・いかに最短ルートで再構成するかという点が非常に重要になってくるのだろうと思うのですが、舞台における「リコリス・リコイル」のまさに最適解を見ることができたな……という印象です。純粋なお話の面白さだけに集中できないのはある意味私の悪いクセなのかもしれませんが、どうしても無意識に、こういう演出の腕や舞台装置の使い方などといった制作側の工夫の部分を見て、「なるほどなぁ」「すごいなぁ」「そうきたか!」などと感じながら観てしまうタチなんですよね。あとは、アニメでのこの場面はこう作り変えて入れてきたのか!とかも面白いですよね。
観客との空間の作り方
公演期間の初めの方はまた違ったのかもしれませんが、私が観たのは千秋楽の前日といったこともあり、アドリブやメタ的演出が多く登場しました。舞台やが君も同じぐらいのタイミングで行きましたが、ほぼアドリブやメタ演出はありませんでした。繊細で緊張感のある作品の世界観に合わないからでしょう。一方リコリコは元々の世界観のコミカルさもあってか、これらのお笑い的要素が入っていても違和感なく楽しむことができました。
例えばミズキが観客の男性たちに求愛しだしたり、着ぐるみのウォールナットが千束から「リスの鳴きまねをしろ」との無茶振りをされてかなり時間を使って狼狽えながらそれに応じたり、ロボ太が指にスマホを乗せてバランスを取ることに挑戦するも普通に失敗したり、着ぐるみウォールナットの車に乗り込むときに千束が「嫌だ嫌だこの車なんか人がついてる」(車の大道具の四隅に大道具を移動させる黒子がいた)、「たきな今見えないドア閉めたー!」(大道具は車を模したデカい台車でしかないので空想上のドアを閉める動作をするが、そこのお約束突いちゃうんだw)などと言っちゃうなどなど。あとは、「さかなー」「ちんあなごー」の部分で原作にはない3つ目の生物をやるシーンがあるのですが、公演回によって違う生物をやっているらしくて、私が観た回では「オウムガイ」でした。原作のこのシーンはファンにもとても愛されていた部分だったので、舞台でこうした一種のファンサービスを入れてくれたのがとても嬉しかったし楽しめました。
最も世界線がフィクションと現実の中間にやってきたなと感じたのは、幕間直後第2幕冒頭。河内美里さん演じる千束が登場し「みなさーん!」と呼びかけ拍手を求め、しばしメタ的空間が広がります。そのあと「今日は喫茶リコリコは閉店し、これから恒例のボドゲ大会だ」ということでボドゲ大会パートが始まるのですが、その時の言い回しから、我々観客は舞台を見に来た観客でありながら、喫茶リコリコの客でもあったのかもしれないというような錯覚を覚え、メタさがあるのにちゃんと納得感が伴っている形で我々を作品の世界観の中に引き込んでくれたなという印象を受けました。俺ら、喫茶リコリコで錦木千束さんに接客されたんだぜ…へへっ……。幕間を開けた後にストーリーに集中しやすくする工夫でもあったと思います。
ボドゲ大会はある種なんでもアリのサービス空間なので、観客の笑いを誘う場面が非常に多く含まれていました。例えばたきなのパンツ問題。TVシリーズではVRゲームに熱中するたきなのパンツを千束が後ろから目撃するという場面でしたが、舞台では段差を利用して、立っているたきなのパンツを座っている千束がのけぞりながら仰ぎ見て「アァーーーーーーーー」と呻き声を発するという構成になっていました。観客の大半はアニメを視聴済なのでこのシーンの意味は誰でもわかりましたし、「舞台版でもこのお笑いを盛り込んできたのかw」という気持ちもあって会場全体が笑いに包まれていました。極めつけは吉松シンジのなぞかけ。
ヨシさん!?なぞかけとかするの!?とか思ったけど、あのボドゲ大会のわちゃわちゃした雰囲気ならありえそうな気もしたし、ボドゲ大会のセクションはマジでなんでもアリ空間みたいな感じだったので、そういうメタさみたいなものも許される作り方や見せ方がうまいなと思いました。そんでたきなが「その心は?」と聞くの!?中のキャラクターのための舞台であり、一方で演者たちが輝くために用意されている空間でもあるので、舞台ならではのこうしたエンターテイメントの作り方にとても楽しませていただきました。観客としても、ただ座って舞台を傍観しにきたのではなく、その世界の中に混ぜてもらえるような体験ができたことがとても嬉しかったですし、あくまでもキャラクター像は崩さないままであったのが本当に役者ってすごいなと感じました。
……で、私が言いたいのは、こうした演出は観客の協力がないと作れないし、劇場という空間を観客と一緒に作るのがうまいということです。TVシリーズの時代から、リコリコというIPはTwitterを巧みに活用していて、製作陣も積極的にTwitterで発信したり、ファンの創作に反応したり、コミケにサークル参加したりしていました。作り手サイドが遠い存在ではなく、我々の空間に一緒に混ざって楽しんでくれている感覚があったと思います。毎週の放送回を制作側も視聴者側も一緒になって楽しんでいました。リコリコはこうした「空間」の作り方がうまくて、漠然としたリコリココミュニティみたいなものを巧みに感じさせてくるなと感じます。作り手側と消費側の相互関与と相互愛によって作られているリコリコというIPの「うまさ」が、この舞台リコリコにも非常によく出ていたのではないかと思いました。
ここすきポイント
ではここからは難しい話は抜きに思い出せる範囲での「ここすき」なポイントをごくごく一部列挙します。現地で観て感じたここすきポイントのうちのほんの一部だとお考え下さい。
千束の動きが元気いっぱいですき
カーテンコールの楠木司令の礼の姿勢がマジ楠木司令
フキの気性の粗さとツンデレさが最高
サクラの治安の悪さがマジで原作のまんま
吉松の不気味さとイケメンさがマジでうまい
姫蒲さんマジで姫蒲だった……ロボ太に「がんばってください」って言って電話切る所おもろすぎた
たきながジャンケンに勝って花の塔が流れてエンディングなのですが、まず花の塔が聴けてうれしかったし、カーテンコールの途中で例の扉を使って電波塔のエレベーターで真島が千束のカバンを投げ込んで千束がそれを取りに行って……のシーンを入れることで次へのつながりを巧みに示唆していた
正確にどこかは忘れたけど千束が上手側の段差からウッキウキでジャンプして飛び降りるところマジで錦木千束
黒子は基本的に「見えない」というお約束なわけですが、ロボ太の呼びかけに対してネット民が「ウォールナット最高!」などと口々に書き込んでいくシーンで黒子たちがそれを大声で叫ぶという一幕があり、「見えない」という性質を持った黒子を使ってネットの向こう側の匿名ユーザーを表現するの天才だろと思った。あれは黒子が意思を持っちゃうという単なるお笑いなだけではなくて、そういう高度な演出なんだと私は捉えた。あとこの書き込みが大道具にプロジェクションマッピングされてるとこだいぶすき
真島の狂気の出し方がだいぶ天才すぎて狂ってしまった ちなみに入場者特典のコースターは真島さんでした カッコよすぎる
真島が惨殺したサードリコリスたちから奪ったスマホを4つ重ねてバランスを取りながら入場したあそこめちゃ笑ったし、ロボ太の「なんだよバランスバランスって!バランス中毒かよ!」言ってたの、TVシリーズ当時からの俺らのツボを的確に突いて来ててダメだった
こういう感じのここすきポイントは、そのうちTwitterにでももっといろいろ書いていくと思います。
おわりに
とりあえず当日のうちに感想を記さねば……と思い現在深夜3時半を回っています。俺は何をしているんだ。とにかく舞台リコリコ、最高でした!!!やが君に続き、最近舞台という媒体の魅力を知ってきている感じです。何の専門家でもない私が言うのもおこがましいですが、メディア媒体を超えたコンテンツの展開において、大切なのは単に原作をコピーするのではなく、その媒体においての最適解は何か、その媒体だからできることは何かという点に力を注ぐ点なんだろうと思います。だから、舞台という媒体における「リコリス・リコイル」の紛うことなき最適解を見せてくださった製作陣の皆様に対しては尊敬の気持ちでいっぱいです。リコリコという世界観の魅力と、舞台という概念自体の魅力、どちらも感じることができました。とても楽しい時間、空間でした。
舞台リコリコを観ずにこの記事を読んでくださった方は、ぜひ舞台リコリコを千秋楽ライブ配信や初演・千秋楽のディレイ配信、あるいは円盤など、何らかの形で観てほしいなと思います。既に舞台リコリコを観劇された方で、私に共感してくださった方は、ぜひこの記事をシェアしていただければと思います。感動はみんなで共有していきましょう。
ということで私の感想にお付き合いいただきありがとうございました!リコリス・リコイル、最高!!