「あの人よりマシ」と思った時点で試合終了 #スポーツがくれたもの
大丈夫、あの人よりもマシだ。
弓道場に、ガシャンと音が響いた。放った矢が、的と地面の間に滑り込んだ音だ。もうこれで何度目だろうか。何百本と打っているのに、的中する気配はない。的中数を記録する黒板に、的中0を表すバツ印が並んでいる。弓道は、的中した本数を競う競技だ。アーチェリーとは異なり、的の端でも当たればいい。それなのに、矢は的を避けるように飛んでいく。
高2の夏、県大会まであと1か月もない。大会メンバーも近々発表されるだろう。そんな大切な時期に、私はめちゃくちゃ調子が悪かった。ついこの前まで普通だったのに。後ろから後輩の矢が的中した音がした。やばい、どうしよう。
不安な気持ちを抑えるために、私は心の中でつぶやく。
まだ大丈夫、あの人よりもマシだから、と。
私は調子の悪い先輩を見て安心していた。先輩は射形(弓道の体の動きや姿勢)の調整に苦労しており、なかなか的中率が上がっていなかった。先輩の矢はゆるやかなカーブを描き、的の下へ落ちている。その先輩を見て「わたしはまだマシだ」と思っていた。確かに私も調子が悪い。でも今だけだ。その前までは、それなりに高い的中率だった。調子の悪い今だって、先輩よりは当てられている。1か月後に控えた大会は出場枠が多く、女子のほとんどがレギュラーか補欠になれる。選ばれない確率の方が低い。先輩は選ばれないかもしれない。でも私なら大丈夫。繰り返し、自分に言い聞かせていた。
数日後に大会メンバーが発表され、私は補欠にすら選ばれなかった。名前を呼ばれなかったのはたった一人、それが私だった。調子の悪い先輩は補欠に選ばれていた。同期の女子2人とも、レギュラーメンバーだ。うち一人は、高1のとき全然的中できなかった子だ。腕力が弱かった彼女の矢は、28m離れた的に届かなかった。当時、私の矢も当たっていなかった。でも、的の真下には届いていた。この時も「あの人よりマシだ」と自分を慰めていた。気づかぬうちに、えらい差がついてしまった。
消えてしまいたい、と本気で思った。同期も後輩もメンバーに選ばれたのに。なぜ私でなくあの先輩が選ばれたのだ。私の方が当てられる。あの人よりもマシなのに。
ここでようやく気が付いた。わたしが試合のメンバーに選ばれなかったのは、「自分よりマシ」な人をみて安心するばかりで、実力不足に向き合ってこなかったから。他人と比べてしまうのは、自信がないから。「あの人よりマシ」と自分の実力不足から目をそらし続けた。その結果、「あの人よりマシ」なんて言える人は誰もいなくなった。
一方私が「マシ」だと思っていたメンバーは、きちんと練習を重ねてきた。調子の悪い先輩も、1年の時に矢が的に届かなかった同級生も、ずっと自分の弓道と向き合って努力してきた。彼女たちに比べて、私のどこが「マシ」なんだろうか。私が下を向いている間に、周りはどんどん先を歩いていたのだ。
このままではダメだ。誰よりマシとか考えている場合じゃない。引退まで1年もない。試合に出られないまま引退なんて嫌だ。次は絶対試合に出たい。出なきゃいけない。変わらなきゃ。まずは自分の実力不足を認める。そして誰よりも練習しよう。弓道部に入部して約1年8か月、ようやく自分と向き合う覚悟ができた。
翌日から他人を気にするのはやめた。2週間は的前(矢を射るために立つ場所)に立たず、弓だけをもって弦をひく素引きを繰り返した。同期や後輩がバンバン的中させている。そんな彼らを無理やり視界から外す。そして自分の課題をクリアするまで、素引きを行った。的前に立つようになってからは、周りからアドバイスをもらうようにした。今までプライドが邪魔して出来なかった。でもアドバイスのおかげで、自分では気づけなかった欠点にも気が付けた。朝練や昼休み、下校時間ギリギリまで自主練をした。すぐには結果が出なかった。でも1ヶ月、2ヶ月と経つうちに、じわじわと的中率が上がってきた。
高3の夏、運よく次の試合メンバーに選ばれた。引退前の最後のシーズン、滑り込みだった。メンバー発表時に私の名前が呼ばれた時、涙が出るほど安心した。本当に嬉しかった。
試合ではいい結果は残せずに、結局早めの引退になってしまった。それでも後悔は全くない。人と比べず、自分の実力と向き合って努力ができた。弓道部に入って、本当に良かったなと感じた。
あれから約10年、実は今でも人と比べてしまう時がある。転職した会社で、同期が自分より多くの仕事を任されていると超悔しいし。逆に、先輩から自分だけが褒められていたら、優越感に浸ってしまう。相変わらず性悪だ。
でも弓道部を引退してから「あの人よりマシ」と考えないようになった。自分より「下」の人は存在しない。みんな自分のために一生懸命頑張っていて、実力不足の自分がいるだけだ。そう思って、受験や就活、転職活動も乗り越えられた。もし弓道部に入っていなかったら、今でも周りと比べてばかりいただろう。でも、「あの人よりマシ」と思った時点で試合終了だ。
27歳、私の試合はまだ終わらない。時には負ける日もあるだろう。
でも大丈夫、昨日の自分よりマシだから。
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