お茶碗への鎮魂歌、あるいは人生の賛歌
新婚時代に作ったお茶碗が割れた。
子供たち2人との夕飯のとき、私は食べ終わって、お茶碗にお椀を重ねた。
よちよち歩きの娘がそれを持って、廊下のほうに歩き出した。
これは割れる、と思って掴もうとしたら、娘がしりもちをついて手から落として、割れた。
ああー割れた!と大きな声を出した。
最近、縁のところが欠けてきてたし、割れそうな予感はしてたんだよ。
形あるものはいつか壊れる。今までのお茶碗だって、いくつも壊してきたじゃない。
100均でお茶碗買う?気分が上がらないわ。それならまた作りに行こう!何なら、家族の分も作ろう!
などなど、一瞬で色んなことを思った。
前向きに、また作りに行こうと思ったものの、これは、私の残念な気持ちにフタをしていないか、とも思った。
でもそんな感傷的な気分に浸ってはいられなかった。
息子にご飯を食べさせて、その後はお風呂と寝かしつけだ。
台所に割れた茶碗を無造作に置いた。夫は今日帰ってくるのは遅いらしいけど、この割れた茶碗を見たらどう思うかな…と思った。
いつものように子どもとお風呂に入って、寝かしつけをした。
一緒に寝てしまった。娘が2回ほど夜中に起きて泣いたので、添い乳をした。
娘が寝たので、そのまま天井をぼんやりと眺めながら、割れたお茶碗のことを思い出していた。
就職して半年くらいのときに、先輩と上司と飲みに行って、「最近何か好きなことができていないので、陶芸やります」と言って、飯田橋の陶芸教室の体験に夫と2人で行って、ろくろを回して作った。
素焼きをした後の釉薬をかける段階もやらせてもらった。
ツルツルではなく、ザラザラとした肌触り。
ろくろを回しているとき、底に指を押し当ててつけた「の」の字。
自分で言うのもなんだけど、すごくいい出来だった。
それはそれは愛着を持って使っていた。
私は卵かけご飯が好きなのだが、卵かけご飯を作って、食べ終わると底の「の」のところに少し卵が残った。
ていうか、育休中何回お昼に卵かけご飯を食べたかなぁ。この1年の娘の育休だけじゃなくて、4年前の息子の育休中も。
そうか、子供が生まれる前から使っていたのか。
私が初めて子供を産んで大変だったときも、子供が2人に増えてバタバタの毎日も、あなたは全部見てたんですね。
そして毎日支えてくれてたんですね。
お昼ごはんめんどくさいなぁ、卵かけご飯でいいやってときも、毎回黙って受け入れてくれましたね。
そんなときもね、私、あなたで卵かけご飯を食べられて、満たされていました。底から縁へのカーブの角度とか、唇と舌に当たるザラッとした感触とか最高だった。
もう使ってあげられないけど、あなたと一緒に歩いていた私の人生の時代、毎日大変でバタバタして自分のことにあんまり時間かけられなくてきぃーーってなったりしてるけど、たぶん眩しいほど輝いてるこのとき、いつものご飯どきにいてくれたのがあなただってこと、ずっと忘れないよ。
ありがとう。
たぶん、まだまだ人生は長い。これからも色んなお茶碗を使うだろう。
でも、このとき、私の毎日を彩ってくれたこのお茶碗を、私は忘れない。
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